こんにちは。
グラフィックレコーダーの湯朝かりんです。
今日は分かりにくく話す、というお話をしたいと思います。
私の知っている方で音声メディアをされている方がいらっしゃいます。
その方は「わざとわかりにくいように話してるんです」っておっしゃっていたんです。
それは一体どういうことなんだろう?
と思いましたが
分かりにくく話すことで、
内容よりも非言語情報の部分を感じて欲しいから
ということのようでした。
その方の話し方とか抑揚とかこの人と合う合わないを見極めるとか
そんなことを指していらっしゃったように記憶しています。
その方のメディアは
あるテーマに沿ってノウハウや考え方を伝えていらっしゃって
その方がノウハウの内容の部分よりも
「感じること」を大切にされている姿勢を
そこで体現しているのかなーと思っています。
わかりやすく話す技術というのは
いろんなところでたくさん調べることができますが
目的を持ってあえてわかりにくか話すという技術を
調べるのはとても難しいと思います。
ただ伝わらないという意味でのわかりにくさとは違うので
なかなか難しいです。
そういう調節を自分でできるというのは
改めてすごいことだなぁと今日こうやってしゃべっていて思います。
これからの時代にそういうスキルが
もしかしたら必要になることもあるのかもしれないなと思います。
ただこれってわかりやすい話し方ができるという前提じゃないと
分かりにくさを調節するというのは難しいのかなあとも思うんですが
ただその人を感じられるかどうかという点で言えば
分かりやすく話せるという前提がなくても
もしかしたら良いのかもしれないなとも思います。
さて今日の私の話。
わかりにくくしたつもりは全くないんですが
分かりやすいのでしょうか?笑
ご感想を教えて頂けたら嬉しいです。