<サチコの幸> あるいは <理想の果て> その2
(承前)
人気バンド、オトゥールズのリーダーにして、英国ポップス界随一の偏屈者として知られていたルーク・ヘインズは、1996年に『バーダー・マインホフ』というソロプロジェクトを立ち上げ、同名のアルバムを発表した。そのCDの解説文によると、バーダー・マインホフに興味を抱くルークは「彼らの半生は映画化されるべきだ。アルバムは、その“まだ存在しない映画”のためのサウンドトラックなのだ」と力説していたそうだ。その希望がようやく叶ったというべきか、12年後にバーダー・マインホフの映画は現実のものとなった。ただし、ルーク・ヘインズの音楽はついぞサントラに使われることはなかった…。では、そのバーダー・マインホフとは何なのか、改めて確認しておこう。
1968年にフランクフルト百貨店放火事件を起こしたカップルの極左活動家、アンドレアス・バーダー(男)とグドルン・エンスリン(女)。この二人にシンパシーを寄せる、ジャーナリストのウルリケ・マインホフ(女)や弁護士ホルスト・マーラー(男)らが合流し、1970年春、「バーダー・マインホフ・グルッペ(Baader-Meinhof-Gruppe)」は形成された。ついで同年5月より「ドイツ赤軍派(RAF=Rote Armee Fraktion)」を名乗るようになる。この組織名称は日本の「赤軍派」に倣ったとされる。
彼らは「帝国主義的支配システムに対する武装闘争」として、銀行強盗、爆破、要人誘拐および殺害、ハイジャック、窃盗etc.といった、非道な犯罪行為を次々に繰り広げ、当時の西ドイツを震撼させた。初期の中心メンバー達は1972年までに全員逮捕・投獄され、内部分裂や法廷闘争を経て、いずれも獄中での自殺に至る。しかし、組織自体は、 1998年の解散声明まで30年間近く、三世代にも渡って地下活動を続けたという。
これら一連の史実を、シュテファン・アウストという作家が、1985年に『バーダー・マインホフ・コンプレックス(Der Baader-Meinhof-Komplex)』というノンフィクション小説にまとめた(これはぜひどなたか、日本語に翻訳して欲しい)。
さらに、これを原作として、ベルント・アイヒンガー<製作/脚本>、ウリ・エデル<監督/共同脚本>が2008年、映画化を実現させたのである(ベルント・アイヒンガーは、あの話題作『ヒトラー 最期の12日間』の製作/脚本も手掛けた人物。そしてウリ・エデルは、アイヒンガー製作による『クリスチーネ・F』『ブルックリン最終出口』の監督もおこなっている人物だ)。映画『バーダー・マインホフ・コンプレックス』(以下『バーダー・マインホフ』と表記する)は、ドイツでは記録的な大ヒットとなり、アカデミー賞最優秀外国語映画賞へのノミネートを決める。なお、日本では今年7月25日~9月18日に渋谷シネマライズにおいて、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』というタイトルで最初の公開上映がなされた。また、中国語圏では『赤色風暴』というタイトルで日本より早く公開されている。

注目すべきは、日本で若松孝二監督による『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』が公開された同じ年に、ドイツでは『バーダー・マインホフ』が公開されたこと。なんという奇遇であろうか。まるで示し合わせたかの如く、両国赤軍の凄惨な盛衰史がスクリーン上に映し出されたのである。
しかし、両者の質は全く異なっていた。しばしば、日本とドイツの国民性が似ているといった指摘も聞くが、両国赤軍を映画で比較するかぎり、そのベクトルは真逆に思える。連合赤軍には、歪んだストイシズムに導かれた、内向きで湿り気を帯びた狂気、このうえなく息苦しい狂気が渦巻いていたように思える。対するドイツ赤軍派のほうは、無軌道な狂熱性、それこそドイツ表現主義(Expressionism)的なスピリッツが絶えず炸裂しているように感じられたものだ(さすがヴェルナー・ヘルツォークやクラウス・キンスキーといったエキセントリックな才能を輩出した国だけのことはある)。
倫理的観点からは、どちらの赤軍がいいかなどとは言えないけれど(もちろん、どちらもけしからんのである)、しかし、不謹慎と批判されることを承知のうえで、あくまで映画的な観点だけで述べさせてもらうならば、『バーダー・マインホフ』にはアメリカン・ニューシネマやヌーヴェルバーグにも通底する、乾いた躍動感が漲っていて、どちらかといえば自分の趣味に合っていた。
そのうえ…、何といっても、演者達がみなカッコイイ。ドイツ赤軍派側でいえば、マインホフ(マルティナ・ゲデック)にせよ、バーダー(モーリッツ・ブライブトロイ)にせよ、エンスリン(ヨハンナ・ヴォカレク)にせよ、それぞれに濃厚な“オーラの泉”が湧いているし、彼らを取り締まる側のホルスト・ヘロルド連邦刑事局局長に至っては、『ヒトラー 最期の12日間』でヒトラー総統を演じた、あの名優ブルーノ・ガンツが配役され、絶妙な味わいをこれでもかと醸し出していたのである。そもそも(下の参考画像を見て欲しいのだが)俳優に負けず劣らず、実物のほうも独特のカリスマ的な“見た目”の魅力を有していたのである。西ドイツ内に、彼らの支持者が絶えなかった理由の一端が垣間見える気がする。

それで思い出すのは、これも今年1月に日本で公開されたチェ・ゲバラの映画二部作である。これも、革命の理想に近づいてゆく第1部『チェ 28歳の革命』と、苦難に満ちた<理想の果て>が描かれる第2部『チェ 39歳別れの手紙』という、いまの私の問題意識に深く突き刺さってくる、大変見事な構成の二部作だった。さすがは、名匠スティーヴン・ソダーバーグ監督であり、さすがは名優ベニチオ・デル・トロ(チェ・ゲバラ役)であった。しかしながら、ベニチオ・デル・トロがどんなに素晴らしく魅力的であっても、実物のチェ・ゲバラのカッコ良さには残念ながら到達しえていない。
そうなのだ。ソダーバーグのチェ・ゲバラ映画はけっして失敗作ではないし、紛う方なき傑作と断言できるのだが、観る者に“実際のチェのほうがカッコイイ”というプチプル的=反革命的な邪念を常に纏わりつかせてしまうことにより、チェ・ゲバラの目指した革命を理解しようとする純粋な鑑賞態度を溶解させてしまいかねなかった。チェ・ゲバラを映画化することの難しさはそこにある。と同時に、革命にせよ選挙にせよ、大衆による政治選択のポイントとは、結局のところ、そういう“見た目”に尽きるんだよなあ…ってことを、今度の総選挙(小沢ガールズ、小泉進次郎、etc.)なども振り返りつつ、人間社会の哀しき限界として認めざるを得ないのである。
しかし、少なくとも『バーダー・マインホフ』では、“実際の人物のほうがカッコイイ”といったような邪な問題は回避できていたと思う。その一方で、スクリーンの登場人物達が危険な魅力を発し過ぎるあまり、偶像崇拝的に極左へのシンパシーが強まってしまう危険性を孕んでいたかもしれない。かくいう私だって、グドルン・エンスリンを演じたヨハンナ・ヴォカレクには隷属したいというM心が湧いてくるほどだ。日本にせよドイツにせよ、かつてはファシズムの暴走を許した過去がある。とくにドイツは国民自らが選挙によってナチス党を選択した(…そういえば、レニ・リーフェンシュタール監督によるナチス党大会の記録映画『意志の勝利』、シアターN渋谷にて、2009年10月9日まで上映中)。大衆の理性の脆さは常に忘れないように心がけるべきだ。まあ、何もこれは日独に限った話ではなく、全世界共通にいえることではある。
もっとも、そうした危うい風潮を封じ込めるためなのか、この世界では時として目に見えない何かが動きだすことがある。思い返すがいい。『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』が2008年の日本を代表する映画になるかと思いきや、どこからともなく『おくりびと』が送られてきて、その座を奪っていった。しかも、アカデミー賞最優秀外国語映画賞の最有力候補だった『バーダー・マインホフ』までもが、その『おくりびと』に撃退され世界的なハレの舞台から遠ざけられてしまったのである。こうして、資本主義のほころんだ社会において不満分子が必要以上に左翼化する可能性が、『おくりびと』によって(文字通り)葬ら去れたのだとすれば、常識と理性をわきまえた保守勢力にとっては、とりあえず一安心といったところか(苦笑)。
だが、不都合なものを隠蔽するとか、既に死んだものとしてあの世に送り出してしまうとか、そんな安易な対処だけで世界が平安を保てるわけもない。理想に向けて高揚し、やがて崩壊の道を辿った<あの時代>(60's~70's)の赤色の風暴とは、そして赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)とは、一体何であったのか。その問いかけは、なおも拡がり続けることを止めない。
今年7月に出版された、小熊英二の『1968』(新曜社)。“全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的に扱い、分析を試みた初の研究書”である。たまたま現在、これが私の手元にあるのだが、上巻1091頁、下巻1010頁の超大作。ランダムにペラペラとめくってみると、かなり面白そうなのだが、持って読むと重すぎて手が痛くなるのが辛い。
それともう一つ、<あの時代>についての直接的な考察ではないものの、近しい臭いを感じさせる作品として気になるのが、いまちょうど渋谷のシアターコクーンで上演中の演劇『コースト・オブ・ユートピア ー ユートピアの岸へ』(作:トム・ストッパード、訳:広田敦郎、演出:蜷川幸雄)である。革命を志した19世紀ロシアの知識人たちの人間模様を描いた作品だ。ロシア文学者・沼野充義が朝日新聞に寄せた劇評(2009年9月22日朝刊)が興味深い。
<…重い思想的内容を正面から受け止めながらも、きびきびした身体性と笑いと抒情の要素も盛り込んで鮮やかな舞台に仕上げた鬼才、蜷川幸雄の演出の力は驚くべきものだった>
<…こういった急進的思想家たちの努力が積み重ねられた結果、ロシアではついにレーニンに率いられたロシア革命が1917年に実現した。(中略)ユートピアの岸辺を目指して前進しようとする運動が、20世紀の歴史を通じて逆に全体主義の恐怖を生み出したことを知っている現代人に、この作品は問いかける。原点に立ち返って勇敢な「航海者」たちの航跡の輝かしさを見直すとともに、なぜユートピアの夢が恐るべき悪夢に転化したのか、いま一度真剣に考えるべきではないのか。彼らは、いや、私たちは、いったい何を間違えたのか、と。>
ここでも<理想を果て>をめぐる、同じ問題意識が共有されていることは明らかだ。そのことを確認したいがゆえに、この舞台を観にゆきたい気持ちが膨らむものの、上演時間がなんと10時間、料金も30,000円近いと聞けば、少々及び腰にならざるをえない自分の弱さがここにある(テレビでやってくんないかな~)。大体が、2000頁の本を読んだり、10時間の演劇を観るだけの余裕とパワーなんて、一般庶民にはなかなか確保しづらいものなのだ。…おっと、話が逸れてきた、元に戻そう。
私は『バーダー・マインホフ』を観て、「そういえば」と、今年の正月明けに観たTPTによる最後のベニサンピット公演のことを思い出した。オーストリア出身の女流作家エルフリーデ・イェリネクが書いた戯曲『ウルリーケ メアリー スチュアート』を、川村毅が脚色・演出して日本語上演したのである。当時これを観た私は、なんだかよく理解できなかったのだが、それも無理からぬことではあった。当時の『ウルリーケ メアリー スチュアート』の公演パンフレットでドイツ文学者・山本裕子は次のように解説している。
<イェリネクの作品『ウルリーケ メアリー スチュアート』は、シラーの悲劇『メアリー・スチュアート』でのスコットランド女王メアリー・スチュアートvsイギリスの女王エリザベス一世という構図が、ドイツ「赤軍派」第一世代の主要メンバーである、ウルリーケ・マインホーフvsグードルン・エンスリーンという構図に重ね合わせられているのである。「赤軍派」の他のメンバーから孤立してゆくウルリーケと、率先してウルリーケを追いつめてゆくグードルン。(中略)長大なセリフはどれもモノローグに近く、その内容は矛盾にみちている。それどころか語っている人物が、本当にその人物なのかすらはっきりしない。この作品のモノローグは、実は多声的なのである…>
そもそも、今年1月の段階で、まだ『バーダー・マインホフ』を見ていない私は、ドイツ赤軍派のことも、マインホフやエンスリンのことも全然知らなかった。ましてや、それが、どうして、メアリー・スチュアートとエリザベス一世の確執に重なるのかイメージすることなど、ほぼ不可能だった。ただ、メアリー・スチュアートのことは、ダーチャ・マライーニの戯曲上演や映画『エリザベス』などを通じて、私自身はかろうじてわかってはいたけれど、日本では必ずしも一般的に知られている事柄ではないような気もする。そして、それ以上に、作者エルフリーデ・イェリネクのこと、その時、どれほどの人がどれほどのことをわかっていたであろうか。私もまた、そのうちの一人にすぎなかった。もちろん、恥じ入るべきは己の不勉強にこそあることは重々承知しているが…。
1946年オーストリアのミュルツツーシュラークに生まれたエルフリーデ・イェリネクは、ウィーンで育ち、60年代末ウィーン大学在学中に作家デビュー。小説『したい気分』『欲望』はベストセラーに。『ピアニスト』はミヒャエル・ハネケ監督により映画化されて2001年カンヌ映画祭グランプリを受賞。劇作家としても『ブルク劇場』『雲。家』『汝、気にすることなかれ』などの戯曲群がことごとく人気を博してきた。その特徴としては、(1)多層多義的で難解。(2)膨大な量の引用の織物。(3)ポルノともいうべき性的挑発に満ちている…等々。ドイツ語圏を中心に名だたる文学賞や戯曲賞を総舐めにし、2004年には遂にノーベル文学賞を受賞している。そんな彼女の戯曲は、ドイツ演劇研究者・谷川道子によれば、あの<ハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』のレヴェルをも、はるかに超えている>ほどの難解きわまるものだという。
それほどの厄介な作家のテキストを、川村毅が悪戦苦闘して舞台化させた労苦は今更ながらにして偲ばれる。ドイツ赤軍派の問題を、日本の連合赤軍の問題に引き寄せようとして、『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』公開記念トークショーのテキストをそのまま引用した、大雑把で強引なインターテクスチュアルの試みも微笑ましく感じられる。難解で訳のわからない戯曲は、そのくらいのユルさで調理するのが丁度いいのかもしれない。
だが、そうだとしても、私たちに『ウルリーケ メアリー スチュアート』を観劇する前の情報があまりに不足していたことは否みようのない事実であり、まことに勿体ないことであった。まずは『バーダー・マインホフ』の映画を見て、その人間模様をある程度把握したうえで、16世紀の英国史もおさらいし、さらにエルフリーデ・イェリネクの小説や戯曲なども何冊か読んで彼女の文体に慣れてから、『ウルリーケ メアリー スチュアート』の観劇に臨むことができたら、さぞや内容を深く味わうことができたのであろう。ま、さすがにそれは理想論に過ぎるであろう。ならば、少なくとも、せめて芝居の上演開始前に15分程度、そうしたレクチャーがあってもよかったかもしれない。TPTには、そういうサービス精神が望まれる。
それから、ここでさらに注目すべきは、イェリネクもまた、<あの時代>(60's~70's)にウィーンやベルリンで学生運動やフェミニズム運動に関わり、1974年~1991年にはオーストリア共産党に入党していた経験さえあったということ(「赤いポルノ作家」などと揶揄された所以である)。つまり、彼女の通過した、彼女自身の赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)が、ひょっとするとウルリケ・マインホフ/メアリー・スチュアートという、孤立の果てに死んでいった歴史上の女性の中に投影されていたのではないだろうか。悔しいことに、いまや芝居の内容をほとんど覚えていないので、そのあたりの検証がどうにもできない。また、川村毅は、たとえばあの芝居の中で日本の女性闘士、永田洋子や重信房子などをどう取り込んだのだったろう…申し訳ないが、その記憶も模糊としている。TPTさん、上演台本を貸してもらえないだろうか。そして、願わくば、なんとか再演してもらえないだろうか。ベニサンピットはもう存在しないけれど、何処か別の場所で。
そして…そうだ。あの舞台で私が微かに記憶していることの一つは、原サチコが、ナレーションとして声の参加をしていたことだ。彼女は現在、ウィーンきっての名門劇場たる「ブルク劇場」の専属俳優として活躍している。『ブルク劇場』といえば、その昔、同名映画もあったが(1936年)、そしてまた、なんとイェリネクの劇作家としての出世作(1985年)のタイトルでもあって、その絶妙な因縁を今更ながらに発見して私は驚いてしまった。そんな「ブルク劇場」の専属俳優、ウィーンではハンパなく相当なステイタスらしい。嗚呼、原サチコ恐るべし!
原サチコ(本名:原幸子)は、演劇舎蟷螂、オプティカル・マリンカ、ロマンチカの女優を経て、20世紀末には京都のKBS深夜お色気番組『世紀末TV・倫理の谷間』の中でカエル課長とOLの不倫を描いた超馬鹿馬鹿しいパペット寸劇シリーズ『サチコの幸』をやっていた。その彼女が、いまやドイツ語圏演劇界では大変な有名人となっているのである。この場合、彼女にとっての幸福とは、すなわち原<サチコの幸>は、実は思いがけない遠き“虹の彼方”で花開いたといえるかもしれない。
つまりは、込められた理想を裏切らない名前というのも、この世には存在したということか。
人気バンド、オトゥールズのリーダーにして、英国ポップス界随一の偏屈者として知られていたルーク・ヘインズは、1996年に『バーダー・マインホフ』というソロプロジェクトを立ち上げ、同名のアルバムを発表した。そのCDの解説文によると、バーダー・マインホフに興味を抱くルークは「彼らの半生は映画化されるべきだ。アルバムは、その“まだ存在しない映画”のためのサウンドトラックなのだ」と力説していたそうだ。その希望がようやく叶ったというべきか、12年後にバーダー・マインホフの映画は現実のものとなった。ただし、ルーク・ヘインズの音楽はついぞサントラに使われることはなかった…。では、そのバーダー・マインホフとは何なのか、改めて確認しておこう。
1968年にフランクフルト百貨店放火事件を起こしたカップルの極左活動家、アンドレアス・バーダー(男)とグドルン・エンスリン(女)。この二人にシンパシーを寄せる、ジャーナリストのウルリケ・マインホフ(女)や弁護士ホルスト・マーラー(男)らが合流し、1970年春、「バーダー・マインホフ・グルッペ(Baader-Meinhof-Gruppe)」は形成された。ついで同年5月より「ドイツ赤軍派(RAF=Rote Armee Fraktion)」を名乗るようになる。この組織名称は日本の「赤軍派」に倣ったとされる。
彼らは「帝国主義的支配システムに対する武装闘争」として、銀行強盗、爆破、要人誘拐および殺害、ハイジャック、窃盗etc.といった、非道な犯罪行為を次々に繰り広げ、当時の西ドイツを震撼させた。初期の中心メンバー達は1972年までに全員逮捕・投獄され、内部分裂や法廷闘争を経て、いずれも獄中での自殺に至る。しかし、組織自体は、 1998年の解散声明まで30年間近く、三世代にも渡って地下活動を続けたという。
これら一連の史実を、シュテファン・アウストという作家が、1985年に『バーダー・マインホフ・コンプレックス(Der Baader-Meinhof-Komplex)』というノンフィクション小説にまとめた(これはぜひどなたか、日本語に翻訳して欲しい)。
さらに、これを原作として、ベルント・アイヒンガー<製作/脚本>、ウリ・エデル<監督/共同脚本>が2008年、映画化を実現させたのである(ベルント・アイヒンガーは、あの話題作『ヒトラー 最期の12日間』の製作/脚本も手掛けた人物。そしてウリ・エデルは、アイヒンガー製作による『クリスチーネ・F』『ブルックリン最終出口』の監督もおこなっている人物だ)。映画『バーダー・マインホフ・コンプレックス』(以下『バーダー・マインホフ』と表記する)は、ドイツでは記録的な大ヒットとなり、アカデミー賞最優秀外国語映画賞へのノミネートを決める。なお、日本では今年7月25日~9月18日に渋谷シネマライズにおいて、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』というタイトルで最初の公開上映がなされた。また、中国語圏では『赤色風暴』というタイトルで日本より早く公開されている。

注目すべきは、日本で若松孝二監督による『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』が公開された同じ年に、ドイツでは『バーダー・マインホフ』が公開されたこと。なんという奇遇であろうか。まるで示し合わせたかの如く、両国赤軍の凄惨な盛衰史がスクリーン上に映し出されたのである。
しかし、両者の質は全く異なっていた。しばしば、日本とドイツの国民性が似ているといった指摘も聞くが、両国赤軍を映画で比較するかぎり、そのベクトルは真逆に思える。連合赤軍には、歪んだストイシズムに導かれた、内向きで湿り気を帯びた狂気、このうえなく息苦しい狂気が渦巻いていたように思える。対するドイツ赤軍派のほうは、無軌道な狂熱性、それこそドイツ表現主義(Expressionism)的なスピリッツが絶えず炸裂しているように感じられたものだ(さすがヴェルナー・ヘルツォークやクラウス・キンスキーといったエキセントリックな才能を輩出した国だけのことはある)。
倫理的観点からは、どちらの赤軍がいいかなどとは言えないけれど(もちろん、どちらもけしからんのである)、しかし、不謹慎と批判されることを承知のうえで、あくまで映画的な観点だけで述べさせてもらうならば、『バーダー・マインホフ』にはアメリカン・ニューシネマやヌーヴェルバーグにも通底する、乾いた躍動感が漲っていて、どちらかといえば自分の趣味に合っていた。
そのうえ…、何といっても、演者達がみなカッコイイ。ドイツ赤軍派側でいえば、マインホフ(マルティナ・ゲデック)にせよ、バーダー(モーリッツ・ブライブトロイ)にせよ、エンスリン(ヨハンナ・ヴォカレク)にせよ、それぞれに濃厚な“オーラの泉”が湧いているし、彼らを取り締まる側のホルスト・ヘロルド連邦刑事局局長に至っては、『ヒトラー 最期の12日間』でヒトラー総統を演じた、あの名優ブルーノ・ガンツが配役され、絶妙な味わいをこれでもかと醸し出していたのである。そもそも(下の参考画像を見て欲しいのだが)俳優に負けず劣らず、実物のほうも独特のカリスマ的な“見た目”の魅力を有していたのである。西ドイツ内に、彼らの支持者が絶えなかった理由の一端が垣間見える気がする。

それで思い出すのは、これも今年1月に日本で公開されたチェ・ゲバラの映画二部作である。これも、革命の理想に近づいてゆく第1部『チェ 28歳の革命』と、苦難に満ちた<理想の果て>が描かれる第2部『チェ 39歳別れの手紙』という、いまの私の問題意識に深く突き刺さってくる、大変見事な構成の二部作だった。さすがは、名匠スティーヴン・ソダーバーグ監督であり、さすがは名優ベニチオ・デル・トロ(チェ・ゲバラ役)であった。しかしながら、ベニチオ・デル・トロがどんなに素晴らしく魅力的であっても、実物のチェ・ゲバラのカッコ良さには残念ながら到達しえていない。
そうなのだ。ソダーバーグのチェ・ゲバラ映画はけっして失敗作ではないし、紛う方なき傑作と断言できるのだが、観る者に“実際のチェのほうがカッコイイ”というプチプル的=反革命的な邪念を常に纏わりつかせてしまうことにより、チェ・ゲバラの目指した革命を理解しようとする純粋な鑑賞態度を溶解させてしまいかねなかった。チェ・ゲバラを映画化することの難しさはそこにある。と同時に、革命にせよ選挙にせよ、大衆による政治選択のポイントとは、結局のところ、そういう“見た目”に尽きるんだよなあ…ってことを、今度の総選挙(小沢ガールズ、小泉進次郎、etc.)なども振り返りつつ、人間社会の哀しき限界として認めざるを得ないのである。
しかし、少なくとも『バーダー・マインホフ』では、“実際の人物のほうがカッコイイ”といったような邪な問題は回避できていたと思う。その一方で、スクリーンの登場人物達が危険な魅力を発し過ぎるあまり、偶像崇拝的に極左へのシンパシーが強まってしまう危険性を孕んでいたかもしれない。かくいう私だって、グドルン・エンスリンを演じたヨハンナ・ヴォカレクには隷属したいというM心が湧いてくるほどだ。日本にせよドイツにせよ、かつてはファシズムの暴走を許した過去がある。とくにドイツは国民自らが選挙によってナチス党を選択した(…そういえば、レニ・リーフェンシュタール監督によるナチス党大会の記録映画『意志の勝利』、シアターN渋谷にて、2009年10月9日まで上映中)。大衆の理性の脆さは常に忘れないように心がけるべきだ。まあ、何もこれは日独に限った話ではなく、全世界共通にいえることではある。
もっとも、そうした危うい風潮を封じ込めるためなのか、この世界では時として目に見えない何かが動きだすことがある。思い返すがいい。『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』が2008年の日本を代表する映画になるかと思いきや、どこからともなく『おくりびと』が送られてきて、その座を奪っていった。しかも、アカデミー賞最優秀外国語映画賞の最有力候補だった『バーダー・マインホフ』までもが、その『おくりびと』に撃退され世界的なハレの舞台から遠ざけられてしまったのである。こうして、資本主義のほころんだ社会において不満分子が必要以上に左翼化する可能性が、『おくりびと』によって(文字通り)葬ら去れたのだとすれば、常識と理性をわきまえた保守勢力にとっては、とりあえず一安心といったところか(苦笑)。
だが、不都合なものを隠蔽するとか、既に死んだものとしてあの世に送り出してしまうとか、そんな安易な対処だけで世界が平安を保てるわけもない。理想に向けて高揚し、やがて崩壊の道を辿った<あの時代>(60's~70's)の赤色の風暴とは、そして赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)とは、一体何であったのか。その問いかけは、なおも拡がり続けることを止めない。
今年7月に出版された、小熊英二の『1968』(新曜社)。“全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的に扱い、分析を試みた初の研究書”である。たまたま現在、これが私の手元にあるのだが、上巻1091頁、下巻1010頁の超大作。ランダムにペラペラとめくってみると、かなり面白そうなのだが、持って読むと重すぎて手が痛くなるのが辛い。
それともう一つ、<あの時代>についての直接的な考察ではないものの、近しい臭いを感じさせる作品として気になるのが、いまちょうど渋谷のシアターコクーンで上演中の演劇『コースト・オブ・ユートピア ー ユートピアの岸へ』(作:トム・ストッパード、訳:広田敦郎、演出:蜷川幸雄)である。革命を志した19世紀ロシアの知識人たちの人間模様を描いた作品だ。ロシア文学者・沼野充義が朝日新聞に寄せた劇評(2009年9月22日朝刊)が興味深い。
<…重い思想的内容を正面から受け止めながらも、きびきびした身体性と笑いと抒情の要素も盛り込んで鮮やかな舞台に仕上げた鬼才、蜷川幸雄の演出の力は驚くべきものだった>
<…こういった急進的思想家たちの努力が積み重ねられた結果、ロシアではついにレーニンに率いられたロシア革命が1917年に実現した。(中略)ユートピアの岸辺を目指して前進しようとする運動が、20世紀の歴史を通じて逆に全体主義の恐怖を生み出したことを知っている現代人に、この作品は問いかける。原点に立ち返って勇敢な「航海者」たちの航跡の輝かしさを見直すとともに、なぜユートピアの夢が恐るべき悪夢に転化したのか、いま一度真剣に考えるべきではないのか。彼らは、いや、私たちは、いったい何を間違えたのか、と。>
ここでも<理想を果て>をめぐる、同じ問題意識が共有されていることは明らかだ。そのことを確認したいがゆえに、この舞台を観にゆきたい気持ちが膨らむものの、上演時間がなんと10時間、料金も30,000円近いと聞けば、少々及び腰にならざるをえない自分の弱さがここにある(テレビでやってくんないかな~)。大体が、2000頁の本を読んだり、10時間の演劇を観るだけの余裕とパワーなんて、一般庶民にはなかなか確保しづらいものなのだ。…おっと、話が逸れてきた、元に戻そう。
私は『バーダー・マインホフ』を観て、「そういえば」と、今年の正月明けに観たTPTによる最後のベニサンピット公演のことを思い出した。オーストリア出身の女流作家エルフリーデ・イェリネクが書いた戯曲『ウルリーケ メアリー スチュアート』を、川村毅が脚色・演出して日本語上演したのである。当時これを観た私は、なんだかよく理解できなかったのだが、それも無理からぬことではあった。当時の『ウルリーケ メアリー スチュアート』の公演パンフレットでドイツ文学者・山本裕子は次のように解説している。
<イェリネクの作品『ウルリーケ メアリー スチュアート』は、シラーの悲劇『メアリー・スチュアート』でのスコットランド女王メアリー・スチュアートvsイギリスの女王エリザベス一世という構図が、ドイツ「赤軍派」第一世代の主要メンバーである、ウルリーケ・マインホーフvsグードルン・エンスリーンという構図に重ね合わせられているのである。「赤軍派」の他のメンバーから孤立してゆくウルリーケと、率先してウルリーケを追いつめてゆくグードルン。(中略)長大なセリフはどれもモノローグに近く、その内容は矛盾にみちている。それどころか語っている人物が、本当にその人物なのかすらはっきりしない。この作品のモノローグは、実は多声的なのである…>
そもそも、今年1月の段階で、まだ『バーダー・マインホフ』を見ていない私は、ドイツ赤軍派のことも、マインホフやエンスリンのことも全然知らなかった。ましてや、それが、どうして、メアリー・スチュアートとエリザベス一世の確執に重なるのかイメージすることなど、ほぼ不可能だった。ただ、メアリー・スチュアートのことは、ダーチャ・マライーニの戯曲上演や映画『エリザベス』などを通じて、私自身はかろうじてわかってはいたけれど、日本では必ずしも一般的に知られている事柄ではないような気もする。そして、それ以上に、作者エルフリーデ・イェリネクのこと、その時、どれほどの人がどれほどのことをわかっていたであろうか。私もまた、そのうちの一人にすぎなかった。もちろん、恥じ入るべきは己の不勉強にこそあることは重々承知しているが…。
1946年オーストリアのミュルツツーシュラークに生まれたエルフリーデ・イェリネクは、ウィーンで育ち、60年代末ウィーン大学在学中に作家デビュー。小説『したい気分』『欲望』はベストセラーに。『ピアニスト』はミヒャエル・ハネケ監督により映画化されて2001年カンヌ映画祭グランプリを受賞。劇作家としても『ブルク劇場』『雲。家』『汝、気にすることなかれ』などの戯曲群がことごとく人気を博してきた。その特徴としては、(1)多層多義的で難解。(2)膨大な量の引用の織物。(3)ポルノともいうべき性的挑発に満ちている…等々。ドイツ語圏を中心に名だたる文学賞や戯曲賞を総舐めにし、2004年には遂にノーベル文学賞を受賞している。そんな彼女の戯曲は、ドイツ演劇研究者・谷川道子によれば、あの<ハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』のレヴェルをも、はるかに超えている>ほどの難解きわまるものだという。
それほどの厄介な作家のテキストを、川村毅が悪戦苦闘して舞台化させた労苦は今更ながらにして偲ばれる。ドイツ赤軍派の問題を、日本の連合赤軍の問題に引き寄せようとして、『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』公開記念トークショーのテキストをそのまま引用した、大雑把で強引なインターテクスチュアルの試みも微笑ましく感じられる。難解で訳のわからない戯曲は、そのくらいのユルさで調理するのが丁度いいのかもしれない。
だが、そうだとしても、私たちに『ウルリーケ メアリー スチュアート』を観劇する前の情報があまりに不足していたことは否みようのない事実であり、まことに勿体ないことであった。まずは『バーダー・マインホフ』の映画を見て、その人間模様をある程度把握したうえで、16世紀の英国史もおさらいし、さらにエルフリーデ・イェリネクの小説や戯曲なども何冊か読んで彼女の文体に慣れてから、『ウルリーケ メアリー スチュアート』の観劇に臨むことができたら、さぞや内容を深く味わうことができたのであろう。ま、さすがにそれは理想論に過ぎるであろう。ならば、少なくとも、せめて芝居の上演開始前に15分程度、そうしたレクチャーがあってもよかったかもしれない。TPTには、そういうサービス精神が望まれる。
それから、ここでさらに注目すべきは、イェリネクもまた、<あの時代>(60's~70's)にウィーンやベルリンで学生運動やフェミニズム運動に関わり、1974年~1991年にはオーストリア共産党に入党していた経験さえあったということ(「赤いポルノ作家」などと揶揄された所以である)。つまり、彼女の通過した、彼女自身の赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)が、ひょっとするとウルリケ・マインホフ/メアリー・スチュアートという、孤立の果てに死んでいった歴史上の女性の中に投影されていたのではないだろうか。悔しいことに、いまや芝居の内容をほとんど覚えていないので、そのあたりの検証がどうにもできない。また、川村毅は、たとえばあの芝居の中で日本の女性闘士、永田洋子や重信房子などをどう取り込んだのだったろう…申し訳ないが、その記憶も模糊としている。TPTさん、上演台本を貸してもらえないだろうか。そして、願わくば、なんとか再演してもらえないだろうか。ベニサンピットはもう存在しないけれど、何処か別の場所で。
そして…そうだ。あの舞台で私が微かに記憶していることの一つは、原サチコが、ナレーションとして声の参加をしていたことだ。彼女は現在、ウィーンきっての名門劇場たる「ブルク劇場」の専属俳優として活躍している。『ブルク劇場』といえば、その昔、同名映画もあったが(1936年)、そしてまた、なんとイェリネクの劇作家としての出世作(1985年)のタイトルでもあって、その絶妙な因縁を今更ながらに発見して私は驚いてしまった。そんな「ブルク劇場」の専属俳優、ウィーンではハンパなく相当なステイタスらしい。嗚呼、原サチコ恐るべし!
原サチコ(本名:原幸子)は、演劇舎蟷螂、オプティカル・マリンカ、ロマンチカの女優を経て、20世紀末には京都のKBS深夜お色気番組『世紀末TV・倫理の谷間』の中でカエル課長とOLの不倫を描いた超馬鹿馬鹿しいパペット寸劇シリーズ『サチコの幸』をやっていた。その彼女が、いまやドイツ語圏演劇界では大変な有名人となっているのである。この場合、彼女にとっての幸福とは、すなわち原<サチコの幸>は、実は思いがけない遠き“虹の彼方”で花開いたといえるかもしれない。
つまりは、込められた理想を裏切らない名前というのも、この世には存在したということか。