<サチコの幸> あるいは <理想の果て> その1
“法の子”と名付けられたにも係わらず法を守れなかった酒井法子や、いままで一体何を“学”んできたのかわからない押尾学のニュースを見るにつけ、名とは、そこに込められた理想や理念を裏切るものなのか、とつくづく思う。私が先月ルテアトル銀座で観た芝居もそうだった。おっと、誤解しないでいただきたい。芝居が期待を裏切ったのではない。芝居の内容が<名の裏切り>を描いたものだった、という意味である。
その題名は『斎藤幸子』(作:鈴木聡、演出:河原雅彦)。斉藤由貴(サイトウユキ)が主演した舞台ではあるが、タイトルは「サイトウユキコ」ではなく、「サイトウサチコ」と読ませる。「幸せであるように」という親の願いで付けられたその名前は、実のところ姓名判断では最悪の画数だった。そして占い通りに、不幸の道を突き進む斎藤幸子。そんな<サチコの幸>は何処にあるのか。ざっと、そういう話である。
幸福の探求といえば、やはり『青い鳥』が思い出される(しかし今回は、innerchildの『青ゐ鳥』にあらず)。チルチルとミチルが、「此処ではない何処か」に探しにいったがどうしても捕まえることのできなかった幸せの青い鳥は、結局のところ最も身近な場所、自分んちの鳥籠の中にいた。しかしそれさえも、やがて飛んでいってしまう。つまり、幸福とか理想なんてものは、意識して追い求めた途端に、掴もうとした両手の間を、うなぎみたいにスルリと抜けて行ってしまうのだ。
そんな人生の教訓を、かつてメーテルリンクの童話劇から学んでいた私たちは、『斎藤幸子』においても、改めて同様のメッセージを受け取ることになる。物語の終盤、色々な苦難の末に“地球の生態系を守る”という口実でニュージーランド行きを思い立つ斎藤幸子(斉藤由貴)に、七年間に渡って彼女への好意を抱き続けてきた高校時代の同級生・坂本卓也(中山祐一朗)が、言う。
<いくな、もうどこにもいくなよ。さっき健さんが言ったよ。自分と目の前の人間のことしかわからないって。お父さんが言った。どこにもいかなくても、この場所に全部があるって。だいじなのは、きっとそういうことだけなんだよ。人間と人間の間にあるものだよ。それを楽しむことがぜんぶだ>
メーテルリンクのファンタスティックな象徴主義的手法によってではなく、下世話で通俗的な人情喜劇の中から、そんな、案外と深味のある台詞が不意に襲ってくれば、我が涙腺も思わず緩みかける。しかし、とりたてて恥じ入りもしない。劇全体としては説教臭いものではなく、活気溢れるドタバタコメディなのであればこそ、そんな、たまさかの不意打ちも許せるというものであった。
思えば、私が見た斉藤由貴の主演舞台の中では、1995年の『君となら』(於・パルコ劇場 作:三谷幸喜演出:山田和也)に、今年6月に観たばかりの『ゼブラ』(於・シアタークリエ 作・演出:田村孝裕)、そして今回の『斎藤幸子』と、一見心温まる家族ドラマかと思いきや実は不条理感に満ち溢れた痛快ドタバタコメディというのが、圧倒的傑作として印象が強い。斉藤由貴という人間に、そうした悲喜劇を呼び寄せる特権的な“オーラの泉”が内在しているということなのだろうか。そこが気になるところだ。
ところで、いま改めて『斎藤幸子』の公演パンフレットをめくってみると、「究極の姓名判断」なる広告が掲載されていることに気付く。今回の『斎藤幸子』を主催したのはパルコ劇場だが、近年のパルコ劇場といえば、美輪明宏や江原啓之の公演をヒットさせているので、『斎藤幸子』にも何かその種の神秘主義的な影がちらついているのか? …なんて思うのは、もちろん私の下衆の勘ぐりには違いあるまい。
ただ、そう思うに至ったのには訳がある。つい先日、そのパルコ劇場で寺山修司の『中国の不思議な役人』(演出:白井晃)を観たのをきっかけに、寺山修司のことを色々と考えていた。そういえば数年前に同劇場で同じ寺山の『青ひげ公の城』を演出した「J・A・シーザー」は、最近「J・A・シィザー」と表記を改めていて、これは何故なのかなあ、と。ひょっとして「渡辺えり子」を「渡辺えり」に改めさせた美輪明宏が、寺山/パルコ繋がりで、シーザーに何かアドヴァイスでもしたのかしらん、なんてことをつらつら思っていたところに、前述の広告が飛び込んできたことが、わが想像力を下衆な方角へと向かわせたのだ。しかるに、私には改名も、ある種の幸福追求行為のように思え、だとすれば、『青い鳥』で得た教訓に従えば、その先に必ずしも幸福が待っているとは言い切れないのではなかろうか…などと考えるのも、所詮は素人的な発想なのだろうけれど。
ときに、“<サチコの幸>は何処にある”というフレーズは、『斎藤幸子』宣伝のためにオリジナルで用意されたものではなく、あがた森魚の代表曲『赤色エレジー』の歌詞であることは言うまでもない。あがたは、林静一が「ガロ」1970年1月号~1971年1月号に連載した漫画『赤色エレジー』に大いなる感銘を受け、同名の“主題歌”を勝手に作って歌ったところ、思いがけず大ヒットとなってしまった(1972年)。その勝手に作った“主題歌”とは、あがた森魚にとっては、おおかた“まだ存在しない映画”のためのサウンドトラックといったような意味合いがあったのではないだろうか。
というのも彼は、ヒット曲『赤色エレジー』で得た巨万の富を、すかさず映画製作に注ぎ込むのだが、それこそは林静一の漫画『赤色エレジー』の映画化にほかならなかった。脳内ヴィジョンの実体化が叶う時であった。そうして出来た作品が、あがた自身が監督・脚本・主演および音楽(一部を除く)を務めた『僕は天使ぢゃないよ』(1974年)である。いまはDVDで観ることが出来る。(ついでに述べれば、林静一自身も同作品をアニメ映画化している。また、先日私がイメージフォーラムで観た、これも「ガロ」に連載された安部愼一の漫画を実写化した『美代子阿佐谷気分』という映画には、なんと林静一が役者として登場している。林静一は、安部愼一にも多大なる影響を与えているのだった)。
漫画『赤色エレジー』は、幸子と一郎という、若き女と男の貧しい同棲生活がもたらす、ほろ苦さに満ちた青春幻想譚である。そして、映画『僕は天使ぢゃないよ』の主人公も、同じく幸子と一郎であるが、そのヒロインのほう、すなわち幸子を演じた女優が、まさに「サイトウサチコ」という名前だったのである。といっても、あの「斎藤幸子」ではなく、こちらは「斉藤沙稚子」であった。いまインターネットで彼女のことを調べても、この映画に出演したこと以外に何も出てこず、杳として消息が知れない。かろうじて「幸子」ではなかったにせよ、“マッチ擦る束の間”の女優でしかなかったこの「斉藤沙稚子」の<サチコの幸>についても、私はなんだか思いを馳せてみたくなる。
(一部のマニアックな人ならば、<サチコの幸>と聞いて、今から10年ほど前に放映されていたKBS深夜お色気番組『世紀末TV・倫理の谷間』における『サチコの幸』というミニドラマを思い出すかもしれない。OLとカエル課長の不倫を描いた、中野貴雄監督、原サチコ主演の超くだらないパペット寸劇だった。まさか『赤色エレジー』へのオマージュなんかではなかったとは思うのだが…)
さて、林静一の『赤色エレジー』は、いま小学館文庫で手軽に読むことができるが、その巻末の解説文であがた森魚が書いている文章を少しだけ引用してみよう。
<…林静一がこの二人(※幸子と一郎)にこそ込めたのは、当時の若者達が自由や理想への共同闘争(※反ベトナム戦争運動、全共闘運動、カウンターカルチャー、等)に託そうとしたものと同じものではなかったか、と僕らは読んだのです。政治闘争も表現闘争も彼らのものではなかったが、「これだけが全てじゃないよね?」「このまま終わっていくわけじゃないよね」という希求。海へ行くことも、旅に行くこともままならなかったけど、自分達にはよりよい何かが、よりあうべきヴィジョナブルな何処かが待ちうけているはずだ…という心情が、幸子と一郎に託されている、と読んだはずです>
<ヴィジョナブルな彼方のヴィジョナブルな王国への希求、それはむしろ、何らかの意味での豊かな環境と豊かな感受性に恵まれた者のみのもてるエルドラドではなかろうか>
(※は当ブログ筆者=あんどうによる注釈)
こんなグッと来る文章を読めば、とっくに若者ではなくなっている自分でさえ、今から40年近くも前の若者の理想に共感・共鳴し、疲弊し果てた身体の内部に生気の蘇りを感じてしまうものだ。私の印象では、林静一やあがた森魚におけるエレジー(哀歌)とは、その赤貧の悲哀をバネに、現実と格闘し、必死にあがいていたものとして捉えられる。
しかし、である。2009年に生きる私たちは哀しいかな、その後の歴史の推移、<理想の果て>までも充分に認識してしまっている。だから、先だって下北沢で接した、もう一つの『赤色エレジー』において、私は、より絶望的な虚しさの漂うエレジー(哀歌)を耳にせざるをえなかった。その、もう一つの『赤色エレジー』とは、別役実による同名戯曲のことだ。1981年に文学座によって初演がなされ、今年2009年7月に下北沢スズナリでProject Natter(プロジェクト・ナッター)によって再演された。
林静一やあがた森魚の『赤色エレジー』から10年近く後に発表された別役実の『赤色エレジー』においては、原作漫画の設定をある程度は下敷きにしつつも、主にそこに描かれているのは、袋小路に陥った左翼闘争=内ゲバの世界だ。こちらに登場する幸子と一郎は新左翼組織のメンバーであり、敵対する党派からの襲撃に常に注意を払わねばならない。しかも一郎は生きることに自暴自棄となり、周囲の人々に嘘をつく。結果的にそのせいで、同志のアラカワや(一郎と別れてアラカワと結婚した)元恋人の幸子が内ゲバの犠牲となり重傷を負う。その後、仲間達の花見に参加する一郎。桜の木の下の場所がとれず、電信柱の下で花なき花見をしながら世俗的なカラオケに興じる仲間たち。彼らに逆らうように、電信柱にのぼり、一人「ワルシャワ労働歌」を歌う一郎。いつしか他の仲間もつられて、それを歌い出すが、そこに幸子が現れ、自分の夫アラカワが自殺したことを告げる…。
彼方への理想をいつしか見失い、もてあまされたエネルギーだけが閉鎖的に屈曲して消費される状況を、ある意味“象徴主義”的に描写した傑作戯曲である。そして、ここにおいて『赤色エレジー』というタイトルには、いうまでもなく、赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)、という意味が付与されている。だから、花なき花見で歌われる「ワルシャワ労働歌」の虚しい響きにこそ、『赤色エレジー』という題名の意味を重ねて聴く観客も多いはずだ。
Project Natterで演出を担当したのは東ドイツ出身のペーター・ゲスナーである。彼は、東ドイツのライプツィヒ出身、国立ベルリン俳優学校エルンスト・ブッシュで学び、ハレのターリア劇場で4年間演出、俳優、助監督として活躍した後、1993年より北九州で劇団「うずめ劇場」主宰。現在は調布市に在住し、桐朋学園芸術短期大学准教授、調布市せんがわ劇場芸術監督、という経歴を持つ。18歳から労働党のメンバーだったが、28歳のときに東ドイツが消滅したという。つまり、共産主義の理想を追い求めていたのに挫折を味あわされた人間なのだ。一方、作者の別役実も60年安保闘争に参加し、その後、東京土建一般労働組合港支部の専従書記として七年間勤務するなど、60年代には労働運動のまっただ中を真摯に生きた人である。
60年代、国中の若者たちが理想に向けて燃えあがった、あのエネルギーはどうなったのか。左翼運動を続けた者は、70年代以降、目標や目的を見失い、内ゲバや粛清、テロといった迷走に陥ってゆく。そんな時代を経て80年代初頭に書き下ろされたテキストを、90年代に社会主義国家の崩壊を内側で体験した演出家が、2009年という名の資本主義が限界を迎えつつある現代において演出するということ。こうした複数の時代的・地理的な位相の絡み合った回路から発せられるメランコリックな黄昏気分を、私は非常に興味深く賞味することができた。だが、それだけではない。私の観た日は、終演後のアフタートークに、還暦を迎えたあがた森魚が登場し、代表曲『赤色エレジー』を実演で聴かせてくれたので、相当に重層的な充実感を得ることができた。
(ただ一点、演出に対する疑問。本編のエンディングで別役実作詞、小室等作曲の『雨が空から降れば』を流したことだけは、その楽曲がMy Favorite Songであるにもかかわらず、ちょっと余分だと思った。別役戯曲の上演とはいえ、林=あがたラインに連なる世界に、しかも複雑な絶望感を内包した戯曲に、「しょうがない、雨の日はしょうがない」という歌は文脈的に少々似つかわしくないと感じられたからである)
それにしても、別役実版の『赤色エレジー』的文脈における<理想の果て>をめぐる歴史の検証作業は昨今、各方面で繰り広げられている。すなわち、<あの時代>(60's~70's)の若者たちの挑戦と挫折の物語が、ここに来て、色々なメディアで取り上げられるようになった。昨年(2008年)は若松孝二監督渾身の映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』。また、同題材で並行するように進行中の漫画作品、山本直樹の『レッド』。これらはいずれも、赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌) といえるものだ。<あの時代>に小学生だった私がもっぱらニュースでしか知り得なかった一連の事件の流れが、新たな人間ドラマとして肉付けが施されて再構築されることは大変ありがたいことである。また、これらの作品をきっかけに当事者たちによる回想録もいろいろ読むようになった私は、少しづつ当時の諸事情に詳しくなりつつある。
昨年ドイツで大ヒットし、今年のアカデミー賞外国語映画賞で『おくりびと』に敗れたドイツ映画『バーダー・マインホフ・コンプレックス(Der Baader-Meinhof-Komplex)』も私は観た。日本での公開初日、さぞや大入り満員のことであろうと思い早々とシネマライズ渋谷に駆けつけたが、それほど混んでいなかったのには少々気が抜けたが。この映画、日本公開での題名は、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』である。そう、ここにも赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)が描かれていたのだ。これは、ペータ・ゲスナーの出身ではない側のドイツ、すなわち西ドイツに実在したドイツ赤軍派の闘争史を描いた作品なのである。(…長くなったので、次回に続けることとしたい)
その題名は『斎藤幸子』(作:鈴木聡、演出:河原雅彦)。斉藤由貴(サイトウユキ)が主演した舞台ではあるが、タイトルは「サイトウユキコ」ではなく、「サイトウサチコ」と読ませる。「幸せであるように」という親の願いで付けられたその名前は、実のところ姓名判断では最悪の画数だった。そして占い通りに、不幸の道を突き進む斎藤幸子。そんな<サチコの幸>は何処にあるのか。ざっと、そういう話である。
幸福の探求といえば、やはり『青い鳥』が思い出される(しかし今回は、innerchildの『青ゐ鳥』にあらず)。チルチルとミチルが、「此処ではない何処か」に探しにいったがどうしても捕まえることのできなかった幸せの青い鳥は、結局のところ最も身近な場所、自分んちの鳥籠の中にいた。しかしそれさえも、やがて飛んでいってしまう。つまり、幸福とか理想なんてものは、意識して追い求めた途端に、掴もうとした両手の間を、うなぎみたいにスルリと抜けて行ってしまうのだ。
そんな人生の教訓を、かつてメーテルリンクの童話劇から学んでいた私たちは、『斎藤幸子』においても、改めて同様のメッセージを受け取ることになる。物語の終盤、色々な苦難の末に“地球の生態系を守る”という口実でニュージーランド行きを思い立つ斎藤幸子(斉藤由貴)に、七年間に渡って彼女への好意を抱き続けてきた高校時代の同級生・坂本卓也(中山祐一朗)が、言う。
<いくな、もうどこにもいくなよ。さっき健さんが言ったよ。自分と目の前の人間のことしかわからないって。お父さんが言った。どこにもいかなくても、この場所に全部があるって。だいじなのは、きっとそういうことだけなんだよ。人間と人間の間にあるものだよ。それを楽しむことがぜんぶだ>
メーテルリンクのファンタスティックな象徴主義的手法によってではなく、下世話で通俗的な人情喜劇の中から、そんな、案外と深味のある台詞が不意に襲ってくれば、我が涙腺も思わず緩みかける。しかし、とりたてて恥じ入りもしない。劇全体としては説教臭いものではなく、活気溢れるドタバタコメディなのであればこそ、そんな、たまさかの不意打ちも許せるというものであった。
思えば、私が見た斉藤由貴の主演舞台の中では、1995年の『君となら』(於・パルコ劇場 作:三谷幸喜演出:山田和也)に、今年6月に観たばかりの『ゼブラ』(於・シアタークリエ 作・演出:田村孝裕)、そして今回の『斎藤幸子』と、一見心温まる家族ドラマかと思いきや実は不条理感に満ち溢れた痛快ドタバタコメディというのが、圧倒的傑作として印象が強い。斉藤由貴という人間に、そうした悲喜劇を呼び寄せる特権的な“オーラの泉”が内在しているということなのだろうか。そこが気になるところだ。
ところで、いま改めて『斎藤幸子』の公演パンフレットをめくってみると、「究極の姓名判断」なる広告が掲載されていることに気付く。今回の『斎藤幸子』を主催したのはパルコ劇場だが、近年のパルコ劇場といえば、美輪明宏や江原啓之の公演をヒットさせているので、『斎藤幸子』にも何かその種の神秘主義的な影がちらついているのか? …なんて思うのは、もちろん私の下衆の勘ぐりには違いあるまい。
ただ、そう思うに至ったのには訳がある。つい先日、そのパルコ劇場で寺山修司の『中国の不思議な役人』(演出:白井晃)を観たのをきっかけに、寺山修司のことを色々と考えていた。そういえば数年前に同劇場で同じ寺山の『青ひげ公の城』を演出した「J・A・シーザー」は、最近「J・A・シィザー」と表記を改めていて、これは何故なのかなあ、と。ひょっとして「渡辺えり子」を「渡辺えり」に改めさせた美輪明宏が、寺山/パルコ繋がりで、シーザーに何かアドヴァイスでもしたのかしらん、なんてことをつらつら思っていたところに、前述の広告が飛び込んできたことが、わが想像力を下衆な方角へと向かわせたのだ。しかるに、私には改名も、ある種の幸福追求行為のように思え、だとすれば、『青い鳥』で得た教訓に従えば、その先に必ずしも幸福が待っているとは言い切れないのではなかろうか…などと考えるのも、所詮は素人的な発想なのだろうけれど。
ときに、“<サチコの幸>は何処にある”というフレーズは、『斎藤幸子』宣伝のためにオリジナルで用意されたものではなく、あがた森魚の代表曲『赤色エレジー』の歌詞であることは言うまでもない。あがたは、林静一が「ガロ」1970年1月号~1971年1月号に連載した漫画『赤色エレジー』に大いなる感銘を受け、同名の“主題歌”を勝手に作って歌ったところ、思いがけず大ヒットとなってしまった(1972年)。その勝手に作った“主題歌”とは、あがた森魚にとっては、おおかた“まだ存在しない映画”のためのサウンドトラックといったような意味合いがあったのではないだろうか。
というのも彼は、ヒット曲『赤色エレジー』で得た巨万の富を、すかさず映画製作に注ぎ込むのだが、それこそは林静一の漫画『赤色エレジー』の映画化にほかならなかった。脳内ヴィジョンの実体化が叶う時であった。そうして出来た作品が、あがた自身が監督・脚本・主演および音楽(一部を除く)を務めた『僕は天使ぢゃないよ』(1974年)である。いまはDVDで観ることが出来る。(ついでに述べれば、林静一自身も同作品をアニメ映画化している。また、先日私がイメージフォーラムで観た、これも「ガロ」に連載された安部愼一の漫画を実写化した『美代子阿佐谷気分』という映画には、なんと林静一が役者として登場している。林静一は、安部愼一にも多大なる影響を与えているのだった)。
漫画『赤色エレジー』は、幸子と一郎という、若き女と男の貧しい同棲生活がもたらす、ほろ苦さに満ちた青春幻想譚である。そして、映画『僕は天使ぢゃないよ』の主人公も、同じく幸子と一郎であるが、そのヒロインのほう、すなわち幸子を演じた女優が、まさに「サイトウサチコ」という名前だったのである。といっても、あの「斎藤幸子」ではなく、こちらは「斉藤沙稚子」であった。いまインターネットで彼女のことを調べても、この映画に出演したこと以外に何も出てこず、杳として消息が知れない。かろうじて「幸子」ではなかったにせよ、“マッチ擦る束の間”の女優でしかなかったこの「斉藤沙稚子」の<サチコの幸>についても、私はなんだか思いを馳せてみたくなる。
(一部のマニアックな人ならば、<サチコの幸>と聞いて、今から10年ほど前に放映されていたKBS深夜お色気番組『世紀末TV・倫理の谷間』における『サチコの幸』というミニドラマを思い出すかもしれない。OLとカエル課長の不倫を描いた、中野貴雄監督、原サチコ主演の超くだらないパペット寸劇だった。まさか『赤色エレジー』へのオマージュなんかではなかったとは思うのだが…)
さて、林静一の『赤色エレジー』は、いま小学館文庫で手軽に読むことができるが、その巻末の解説文であがた森魚が書いている文章を少しだけ引用してみよう。
<…林静一がこの二人(※幸子と一郎)にこそ込めたのは、当時の若者達が自由や理想への共同闘争(※反ベトナム戦争運動、全共闘運動、カウンターカルチャー、等)に託そうとしたものと同じものではなかったか、と僕らは読んだのです。政治闘争も表現闘争も彼らのものではなかったが、「これだけが全てじゃないよね?」「このまま終わっていくわけじゃないよね」という希求。海へ行くことも、旅に行くこともままならなかったけど、自分達にはよりよい何かが、よりあうべきヴィジョナブルな何処かが待ちうけているはずだ…という心情が、幸子と一郎に託されている、と読んだはずです>
<ヴィジョナブルな彼方のヴィジョナブルな王国への希求、それはむしろ、何らかの意味での豊かな環境と豊かな感受性に恵まれた者のみのもてるエルドラドではなかろうか>
(※は当ブログ筆者=あんどうによる注釈)
こんなグッと来る文章を読めば、とっくに若者ではなくなっている自分でさえ、今から40年近くも前の若者の理想に共感・共鳴し、疲弊し果てた身体の内部に生気の蘇りを感じてしまうものだ。私の印象では、林静一やあがた森魚におけるエレジー(哀歌)とは、その赤貧の悲哀をバネに、現実と格闘し、必死にあがいていたものとして捉えられる。
しかし、である。2009年に生きる私たちは哀しいかな、その後の歴史の推移、<理想の果て>までも充分に認識してしまっている。だから、先だって下北沢で接した、もう一つの『赤色エレジー』において、私は、より絶望的な虚しさの漂うエレジー(哀歌)を耳にせざるをえなかった。その、もう一つの『赤色エレジー』とは、別役実による同名戯曲のことだ。1981年に文学座によって初演がなされ、今年2009年7月に下北沢スズナリでProject Natter(プロジェクト・ナッター)によって再演された。
林静一やあがた森魚の『赤色エレジー』から10年近く後に発表された別役実の『赤色エレジー』においては、原作漫画の設定をある程度は下敷きにしつつも、主にそこに描かれているのは、袋小路に陥った左翼闘争=内ゲバの世界だ。こちらに登場する幸子と一郎は新左翼組織のメンバーであり、敵対する党派からの襲撃に常に注意を払わねばならない。しかも一郎は生きることに自暴自棄となり、周囲の人々に嘘をつく。結果的にそのせいで、同志のアラカワや(一郎と別れてアラカワと結婚した)元恋人の幸子が内ゲバの犠牲となり重傷を負う。その後、仲間達の花見に参加する一郎。桜の木の下の場所がとれず、電信柱の下で花なき花見をしながら世俗的なカラオケに興じる仲間たち。彼らに逆らうように、電信柱にのぼり、一人「ワルシャワ労働歌」を歌う一郎。いつしか他の仲間もつられて、それを歌い出すが、そこに幸子が現れ、自分の夫アラカワが自殺したことを告げる…。
彼方への理想をいつしか見失い、もてあまされたエネルギーだけが閉鎖的に屈曲して消費される状況を、ある意味“象徴主義”的に描写した傑作戯曲である。そして、ここにおいて『赤色エレジー』というタイトルには、いうまでもなく、赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)、という意味が付与されている。だから、花なき花見で歌われる「ワルシャワ労働歌」の虚しい響きにこそ、『赤色エレジー』という題名の意味を重ねて聴く観客も多いはずだ。
Project Natterで演出を担当したのは東ドイツ出身のペーター・ゲスナーである。彼は、東ドイツのライプツィヒ出身、国立ベルリン俳優学校エルンスト・ブッシュで学び、ハレのターリア劇場で4年間演出、俳優、助監督として活躍した後、1993年より北九州で劇団「うずめ劇場」主宰。現在は調布市に在住し、桐朋学園芸術短期大学准教授、調布市せんがわ劇場芸術監督、という経歴を持つ。18歳から労働党のメンバーだったが、28歳のときに東ドイツが消滅したという。つまり、共産主義の理想を追い求めていたのに挫折を味あわされた人間なのだ。一方、作者の別役実も60年安保闘争に参加し、その後、東京土建一般労働組合港支部の専従書記として七年間勤務するなど、60年代には労働運動のまっただ中を真摯に生きた人である。
60年代、国中の若者たちが理想に向けて燃えあがった、あのエネルギーはどうなったのか。左翼運動を続けた者は、70年代以降、目標や目的を見失い、内ゲバや粛清、テロといった迷走に陥ってゆく。そんな時代を経て80年代初頭に書き下ろされたテキストを、90年代に社会主義国家の崩壊を内側で体験した演出家が、2009年という名の資本主義が限界を迎えつつある現代において演出するということ。こうした複数の時代的・地理的な位相の絡み合った回路から発せられるメランコリックな黄昏気分を、私は非常に興味深く賞味することができた。だが、それだけではない。私の観た日は、終演後のアフタートークに、還暦を迎えたあがた森魚が登場し、代表曲『赤色エレジー』を実演で聴かせてくれたので、相当に重層的な充実感を得ることができた。
(ただ一点、演出に対する疑問。本編のエンディングで別役実作詞、小室等作曲の『雨が空から降れば』を流したことだけは、その楽曲がMy Favorite Songであるにもかかわらず、ちょっと余分だと思った。別役戯曲の上演とはいえ、林=あがたラインに連なる世界に、しかも複雑な絶望感を内包した戯曲に、「しょうがない、雨の日はしょうがない」という歌は文脈的に少々似つかわしくないと感じられたからである)
それにしても、別役実版の『赤色エレジー』的文脈における<理想の果て>をめぐる歴史の検証作業は昨今、各方面で繰り広げられている。すなわち、<あの時代>(60's~70's)の若者たちの挑戦と挫折の物語が、ここに来て、色々なメディアで取り上げられるようになった。昨年(2008年)は若松孝二監督渾身の映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』。また、同題材で並行するように進行中の漫画作品、山本直樹の『レッド』。これらはいずれも、赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌) といえるものだ。<あの時代>に小学生だった私がもっぱらニュースでしか知り得なかった一連の事件の流れが、新たな人間ドラマとして肉付けが施されて再構築されることは大変ありがたいことである。また、これらの作品をきっかけに当事者たちによる回想録もいろいろ読むようになった私は、少しづつ当時の諸事情に詳しくなりつつある。
昨年ドイツで大ヒットし、今年のアカデミー賞外国語映画賞で『おくりびと』に敗れたドイツ映画『バーダー・マインホフ・コンプレックス(Der Baader-Meinhof-Komplex)』も私は観た。日本での公開初日、さぞや大入り満員のことであろうと思い早々とシネマライズ渋谷に駆けつけたが、それほど混んでいなかったのには少々気が抜けたが。この映画、日本公開での題名は、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』である。そう、ここにも赤色革命の<理想の果て>の残酷なエレジー(哀歌)が描かれていたのだ。これは、ペータ・ゲスナーの出身ではない側のドイツ、すなわち西ドイツに実在したドイツ赤軍派の闘争史を描いた作品なのである。(…長くなったので、次回に続けることとしたい)