歴史は違和感から作られる。
「椎名麟三か。むろん知っとるで。むかし読んだことあるぞえ」
「違いますよ、松本さん。椎名麟三じゃなくて、椎名林檎です」
そんな会話を、維新派の松本雄吉さんと交わしたのは、JR中野駅に程近い居酒屋においてだった。当時、私もまた、椎名林檎の登場にはコロッとやられてしまったくちで、会う人会う人に、彼女の魅力を熱心に説いてまわっていた。しかし、矢沢永吉の話をすれば「たしかに谷沢永一はおもろいわ」などと返ってきてしまう松本翁であれば、上記のやりとりも致し方のない成行きではあったのだ…。
椎名林檎は、音楽も衝撃的だったが、なんといっても強烈無比なライブが圧巻だった。思い出されるのは、「無罪モラトリアム」発表を記念しての渋谷クラブクアトロでの公演。にしおかすみこばりの(?)女王コスチュームで鞭を振るいながら現れた彼女は鮮烈このうえなかった。彼女の作り出す過激でシアトリカルな世界に魂レヴェルまで侵食され、狂乱する観客の波に圧死寸前の状況の中、自分もまた、願わくば林檎女王さまに鞭打たれたいし、ハイヒールで踏まれたいとさえ思った。
あれから早10年。先週末(11月29日)、さいたまスーパーアリーナに「椎名林檎 生 林檎博’08 ~10周年記念祭~」を観に行った。「林檎博」というと、私のような古いマック・ユーザーには、最近日本で開催されていないアップルの「マックエクスポ」が懐しく感じられてしまうが、そういう人々に歴史的郷愁を喚起させるのも今回の公演のネーミングの狙いの一つではあったのだろう。
さて、CD封入先行予約で買ったチケットはステージから最も遠い席だったうえ、大スクリーンに映る演奏風景もほとんどが“引き”で撮られていたから(つまり大スクリーンの意味なし)、出演者の顔は全くといってよいほど見えなかった(これは将来発売されるであろうライブのDVDを買え、ということなのかな?)。まあ、ファンクラブに入っているわけでもなし、東京事変になってからはライブそのものにもあまり足を運ばなくなってきてる自分には「ま、こんなもんなんだろう」と思った。
それはともかくも、初期ナンバーを数多く含むセットリスト(林檎単独名義だから必然的にそうなるのだが)は、耳に馴染んだ曲ばかりで幸いであった。しかもそこに、10年間の年季の効いた歌唱力と、斉藤ネコ指揮「林檎博記念管弦楽団」の厚みのあるサウンドが加味され、音楽的な満足感は充分に得られたといえる。曲間のMCはあまりない(それがむしろよい)のだが、SHOWとしての演出は様々な趣向に事欠かない。開演早々、ジェネシス時代のピーター・ゲイブリエルを思わせるような、被り物めいたコスチューム(ヘッド・ドレスと言うそうな)で歌ったり、林檎が包丁を手にしたかと思うと俎板の上でリンゴを高速で切り刻んでいったり…。林檎の10年間の軌跡がスライドショウで紹介されたり、林檎の実子のナレーションによって“母”の生い立ちが紹介されたり…。
ライブ後半、「茎(stem)」以降は、「林檎博記念舞踊団」(イデビアン・クルーの斉藤・依田・菅尾・金子=東京事変「OSCA」PV に出てた4人)が登場、彼女らの伴舞が実に颯爽とキマッており、これを観るだけでもはるばる埼玉まで駆けつけた甲斐があったというものだ。もちろんコレオグラファーは、「OSCA」も振付けた井手茂太(最近ではSAKEROCK「会社員と今の私」PV の踊る会社員としておなじみ)である。
井手の手にかかると、例の「あーしくじったぁしくじったぁ」の手振りを含む「積木遊び」さえ、すこぶるファッショナブルに洗練された身のこなしへと変容する。「御祭騒ぎ」では、80人もの阿波踊り集団(高円寺阿波踊り振興協会)が登場、サンバ風に踊る「記念舞踊団」と合流して文字通り“お祭り騒ぎ”状態となるのだが、これがまた「マツケンサンバ」に劣らぬ壮観ぶりで会場全体を興奮の坩堝と化せしめるのだった。さらに、林檎が純平兄とデュエットした「この世の限り」の時であったか、来場者全員に配布された旗を「記念舞踊団」も両手に携え、巧妙な手旗のムーヴメントをチャッチャッと展開させながら左右に移動する。コミカルかつチャーミングでありながらも、しっかりエッジの利いた、ばつぐんに素敵なバックダンスだった。
そんな具合に、「椎名林檎」と「イデビアン・クルー」という、2つの“My Favorite Things”が、我が生なる視界の中で奇蹟の邂逅コラボレイションを遂げている光景を、私は得も言われぬ感慨深さで眺めていた(ちなみに12/18~20には、我が家から遠くない新百合ヶ丘の川崎アートセンターで、イデビアン・クルー・オム「大黒柱」 という公演がおこなわれる。オムというのは、homme、つまり男性陣だけ、男7人でのダンス公演である。「記念舞踊団」とはガラリと印象の違うイデビアン・クルーを楽しめるというわけだ。それと、聞いた話では、一青窈×小林武史×岩松了の音楽劇「箱の中の女」の振付も井手茂太だとか)
ところで、来場者全員に配布された旗であるが、いわゆる“旭日旗”と呼ばれる代物で、満員のさいたまスーパーアリーナで1万8千人もの観客がステージに向かって、これをパタパタと振るわけだ。多少なりとも日本現代史を知る者にとって会場内は、「学徒出陣」などに代表される、戦時中の怪しい雰囲気に見えてくる。かつて「依存症」という曲の歌詞の中に、ヒトラーという言葉があって回収騒動になったこともある林檎である。「東京事変」というバンド名だって、よくよく考えてみりゃキワドイ。そういう危険な香りあっての彼女の魅力なのではあるが、その魅力を享受する側としては、やはり良識との葛藤のうえで、その葛藤が滲み出るような表情でもって旗とか振って欲しいよね。いまどきは集団的エモーションの中で無自覚に全体主義的昂揚に突き進んで行く者が世の中の大部分なわけで、それに物言いをつけることは無粋だとか思われがちだが、むしろ、アッケラカンと全体主義に酔い浸る人々こそ巨大な無粋の塊である。「危険」という名の美酒を味わうことをせずに、皆で一気呑みして酔い騒ぐみたいな、ね。今回のコンサートで配布された“旭日旗”は、そういう感性に対するアイロニカルなリトマス試験紙にも思えて、私は敢えてそれを振ることをしなかった。別に、私が戦後民主主義の申し子だから、というわけではない。もし皆が旗を振らなかったら、敢えてキッチュの美学を示すため、逆に自分は振っていただろう。つまり私は私なりの林檎の味わい方を貫徹したいのだ。
“旭日旗”といえば、朝日新聞の社旗でもある。朝日=旭だから仕方ないのかもしれないが、たとえば朝日新聞主催のマラソン大会ではそれが見物客達に配られるから、見た目、戦時を彷彿とさせてしまう。或る種の世代の人々にとって、それは不快極まりないのではないだろうか。左寄りをモットーとする朝日新聞がそれでいいのか、と、かねてより感じていたが、ネットで調べると同じ疑問は多くの人々に共有されていることがわかった。そもそも、戦前の朝日新聞は、戦後とは正反対の右寄りイケイケドンドンだった。だから敢えて軍旗に似たイメージで社旗としたようだ。だが、それをいまでも改めようとしない理由はわからない。単に無自覚だからなのか、それとも、常に戦前を反省するための自分たちへの戒めたらしめるべく“違和感”を持続させているのか。なるほど、人は“違和感”あってこそ歴史というものに興味を抱き始める。“違和感”は歴史への問題意識の第一歩である。歴史は違和感から作られる。
林檎博に仕掛けられた、そんな違和感は、かくして、林檎史のみならず、昭和史、さらには、そんな昭和に生まれた自分自身の歴史にまで問題意識を拡大させることになる。が、そのことについては、次回以降に改めて書くこととする。
「違いますよ、松本さん。椎名麟三じゃなくて、椎名林檎です」
そんな会話を、維新派の松本雄吉さんと交わしたのは、JR中野駅に程近い居酒屋においてだった。当時、私もまた、椎名林檎の登場にはコロッとやられてしまったくちで、会う人会う人に、彼女の魅力を熱心に説いてまわっていた。しかし、矢沢永吉の話をすれば「たしかに谷沢永一はおもろいわ」などと返ってきてしまう松本翁であれば、上記のやりとりも致し方のない成行きではあったのだ…。
椎名林檎は、音楽も衝撃的だったが、なんといっても強烈無比なライブが圧巻だった。思い出されるのは、「無罪モラトリアム」発表を記念しての渋谷クラブクアトロでの公演。にしおかすみこばりの(?)女王コスチュームで鞭を振るいながら現れた彼女は鮮烈このうえなかった。彼女の作り出す過激でシアトリカルな世界に魂レヴェルまで侵食され、狂乱する観客の波に圧死寸前の状況の中、自分もまた、願わくば林檎女王さまに鞭打たれたいし、ハイヒールで踏まれたいとさえ思った。
あれから早10年。先週末(11月29日)、さいたまスーパーアリーナに「椎名林檎 生 林檎博’08 ~10周年記念祭~」を観に行った。「林檎博」というと、私のような古いマック・ユーザーには、最近日本で開催されていないアップルの「マックエクスポ」が懐しく感じられてしまうが、そういう人々に歴史的郷愁を喚起させるのも今回の公演のネーミングの狙いの一つではあったのだろう。
さて、CD封入先行予約で買ったチケットはステージから最も遠い席だったうえ、大スクリーンに映る演奏風景もほとんどが“引き”で撮られていたから(つまり大スクリーンの意味なし)、出演者の顔は全くといってよいほど見えなかった(これは将来発売されるであろうライブのDVDを買え、ということなのかな?)。まあ、ファンクラブに入っているわけでもなし、東京事変になってからはライブそのものにもあまり足を運ばなくなってきてる自分には「ま、こんなもんなんだろう」と思った。
それはともかくも、初期ナンバーを数多く含むセットリスト(林檎単独名義だから必然的にそうなるのだが)は、耳に馴染んだ曲ばかりで幸いであった。しかもそこに、10年間の年季の効いた歌唱力と、斉藤ネコ指揮「林檎博記念管弦楽団」の厚みのあるサウンドが加味され、音楽的な満足感は充分に得られたといえる。曲間のMCはあまりない(それがむしろよい)のだが、SHOWとしての演出は様々な趣向に事欠かない。開演早々、ジェネシス時代のピーター・ゲイブリエルを思わせるような、被り物めいたコスチューム(ヘッド・ドレスと言うそうな)で歌ったり、林檎が包丁を手にしたかと思うと俎板の上でリンゴを高速で切り刻んでいったり…。林檎の10年間の軌跡がスライドショウで紹介されたり、林檎の実子のナレーションによって“母”の生い立ちが紹介されたり…。
ライブ後半、「茎(stem)」以降は、「林檎博記念舞踊団」(イデビアン・クルーの斉藤・依田・菅尾・金子=東京事変「OSCA」PV に出てた4人)が登場、彼女らの伴舞が実に颯爽とキマッており、これを観るだけでもはるばる埼玉まで駆けつけた甲斐があったというものだ。もちろんコレオグラファーは、「OSCA」も振付けた井手茂太(最近ではSAKEROCK「会社員と今の私」PV の踊る会社員としておなじみ)である。
井手の手にかかると、例の「あーしくじったぁしくじったぁ」の手振りを含む「積木遊び」さえ、すこぶるファッショナブルに洗練された身のこなしへと変容する。「御祭騒ぎ」では、80人もの阿波踊り集団(高円寺阿波踊り振興協会)が登場、サンバ風に踊る「記念舞踊団」と合流して文字通り“お祭り騒ぎ”状態となるのだが、これがまた「マツケンサンバ」に劣らぬ壮観ぶりで会場全体を興奮の坩堝と化せしめるのだった。さらに、林檎が純平兄とデュエットした「この世の限り」の時であったか、来場者全員に配布された旗を「記念舞踊団」も両手に携え、巧妙な手旗のムーヴメントをチャッチャッと展開させながら左右に移動する。コミカルかつチャーミングでありながらも、しっかりエッジの利いた、ばつぐんに素敵なバックダンスだった。
そんな具合に、「椎名林檎」と「イデビアン・クルー」という、2つの“My Favorite Things”が、我が生なる視界の中で奇蹟の邂逅コラボレイションを遂げている光景を、私は得も言われぬ感慨深さで眺めていた(ちなみに12/18~20には、我が家から遠くない新百合ヶ丘の川崎アートセンターで、イデビアン・クルー・オム「大黒柱」 という公演がおこなわれる。オムというのは、homme、つまり男性陣だけ、男7人でのダンス公演である。「記念舞踊団」とはガラリと印象の違うイデビアン・クルーを楽しめるというわけだ。それと、聞いた話では、一青窈×小林武史×岩松了の音楽劇「箱の中の女」の振付も井手茂太だとか)
ところで、来場者全員に配布された旗であるが、いわゆる“旭日旗”と呼ばれる代物で、満員のさいたまスーパーアリーナで1万8千人もの観客がステージに向かって、これをパタパタと振るわけだ。多少なりとも日本現代史を知る者にとって会場内は、「学徒出陣」などに代表される、戦時中の怪しい雰囲気に見えてくる。かつて「依存症」という曲の歌詞の中に、ヒトラーという言葉があって回収騒動になったこともある林檎である。「東京事変」というバンド名だって、よくよく考えてみりゃキワドイ。そういう危険な香りあっての彼女の魅力なのではあるが、その魅力を享受する側としては、やはり良識との葛藤のうえで、その葛藤が滲み出るような表情でもって旗とか振って欲しいよね。いまどきは集団的エモーションの中で無自覚に全体主義的昂揚に突き進んで行く者が世の中の大部分なわけで、それに物言いをつけることは無粋だとか思われがちだが、むしろ、アッケラカンと全体主義に酔い浸る人々こそ巨大な無粋の塊である。「危険」という名の美酒を味わうことをせずに、皆で一気呑みして酔い騒ぐみたいな、ね。今回のコンサートで配布された“旭日旗”は、そういう感性に対するアイロニカルなリトマス試験紙にも思えて、私は敢えてそれを振ることをしなかった。別に、私が戦後民主主義の申し子だから、というわけではない。もし皆が旗を振らなかったら、敢えてキッチュの美学を示すため、逆に自分は振っていただろう。つまり私は私なりの林檎の味わい方を貫徹したいのだ。
“旭日旗”といえば、朝日新聞の社旗でもある。朝日=旭だから仕方ないのかもしれないが、たとえば朝日新聞主催のマラソン大会ではそれが見物客達に配られるから、見た目、戦時を彷彿とさせてしまう。或る種の世代の人々にとって、それは不快極まりないのではないだろうか。左寄りをモットーとする朝日新聞がそれでいいのか、と、かねてより感じていたが、ネットで調べると同じ疑問は多くの人々に共有されていることがわかった。そもそも、戦前の朝日新聞は、戦後とは正反対の右寄りイケイケドンドンだった。だから敢えて軍旗に似たイメージで社旗としたようだ。だが、それをいまでも改めようとしない理由はわからない。単に無自覚だからなのか、それとも、常に戦前を反省するための自分たちへの戒めたらしめるべく“違和感”を持続させているのか。なるほど、人は“違和感”あってこそ歴史というものに興味を抱き始める。“違和感”は歴史への問題意識の第一歩である。歴史は違和感から作られる。
林檎博に仕掛けられた、そんな違和感は、かくして、林檎史のみならず、昭和史、さらには、そんな昭和に生まれた自分自身の歴史にまで問題意識を拡大させることになる。が、そのことについては、次回以降に改めて書くこととする。