「伊福部昭を聴きながら星野之宣を読んでみたい」と思った日のこと
後藤ひろひと作・演出の『恐竜と隣人のポルカ』を、数日前にパルコ劇場で観た。これぞ後藤の真骨頂が発揮されている作品だと、素直に楽しめた。…ちなみに「真骨頂」って何だ。もちろん、使用法としての意味はわかるが、単語そのものの成り立ちはよくわからなかったので、気になってネットで調べてみると、「真=本当の/骨=物事の核心/頂=これ以上はないという状態」ということらしい。よって「最良の本質的姿」という意味をあらわすそうだ。
通常、世間一般的に、後藤ひろひとの「最良の本質的姿」たる真骨頂は、「笑い」「泣かせ」「マニアック」の三本柱とされている。ただし、私は、「泣かせ」とか「センチメンタリズム」とか「人情話」といった類いがすこぶる苦手なタチなので、後藤の脚本ものでも、そういうのが入ってくると、これまでいささかの当惑を禁じ得なかった。一方、彼のナンセンスコメディのセンスたるや、これは卓抜なものがある。私としては、純粋に「笑い」だけを追い求めていたい。よく、ステーキラーメンとか蟹ラーメンみたいな贅沢グルメがテレビ番組で紹介され、「うわっ、なんて美味しいんでしょう!」とリポーターはのたまうが、私からすればそれは大いなる疑問であって、ステーキはステーキだけ、蟹は蟹だけ、ラーメンはラーメンだけで、それぞれ集中して食べることで、それぞれの真の旨味を理解することができると考える。だから、お芝居にしたって、「涙あり笑いあり」は、私の個人的な趣味嗜好からすると、同じ皿に盛りつけないで欲しいのだ。
で、話を戻すと、今回の『恐竜と隣人のポルカ』は、ほぼコメディに徹しているし、もうひとつの後藤の特質である「マニアック」さも、コメディにとっての相性のいい調味料たりえているので、個人的には「これぞ後藤の真骨頂」だと思えた次第である。いやもう、私は「泣かせ」抜きの後藤は、本当に大好きで、もし『The Office』(英国BBCのコメディドラマ)の日本版が作られるようなことがあるとしたら、リッキー・ジャーヴェイス演じるセクハラ支社長デヴィッド・ブレントの役はぜひとも後藤で見てみたい、とさえ思っているほどなのだ。
さて、『恐竜と隣人のポルカ』。今回の公演パンフレットをめくると、後藤は、『空想科学読本』の著者である柳田理科雄と対談している。柳田は、実在した恐竜も、空想上の怪獣も、つまり、ティラノサウルスもゴジラも同じ土俵の上で分け隔てなく科学的に論じる。だから後藤にも「柳田さんは特撮・空想系の話と科学の至極真面目な話を、同じトーンで話されている。聞いているとどこまでが空想かわからなくなりますね(笑)」と指摘されるほどだ。これに対して柳田「基本的に僕の話は、“ウルトラマンは本当にいるんだ”と信じるところから始まっていますから」と答え、また「僕は学問として恐竜に接するのではなく、憧れでアプローチしていますから」とも述べている。後藤もまた、「どうも僕は(自分の作品の中で)恐竜やロボット、宇宙人なんかを使いたいという衝動が抑えられない」といった心情を吐露している。二人とも、少年時代と現在が同じ心理でつながっている感じがして微笑ましい。
ときに恐竜の話といえば、星野之宣の傑作恐竜漫画『ブルーホール』そして『ブルーワールド』を抜きに語ることはできないが、星野は中学生の時すでに、星新一の『午後の恐竜』という小説を、恐竜漫画として(それもけっこう巧みに)描いているのだ(…ちなみに、前述の公演パンフレットの対談の中で、後藤は「人類滅亡の際には“地球の走馬灯”が見えるかもしれない。進化や恐竜のスゴイ秘密まで見て、この星がパタッと終わるような気がします」と、星新一『午後の恐竜』さながらのヴィジョンが現実化する可能性をも指摘している)。
こういう人たち、つまり、後藤にしても柳田にしても星野にしても、少年時代に芽生えたマニアックな好奇心を大人になってから、自分自身で切り拓いたフィールドにおいて改めて追求できる人たちってのは、なんとも羨ましいかぎりだなあ、と思った。後藤に至っては、今回の芝居では、そのマニアックの対象が、必ずしも恐竜だけでなく、アイドル石野真子だったりもするわけで、これがまた嫌味なまでに羨ましく見える。きっと石野真子は、後藤の少年時代のアイドルだったに違いあるまい(かくいう私も、石野真子のことは、そこそこ好きだった。とりわけ筒美京平作曲の『日曜日はストレンジャー』はいまだに愛聴歌のひとつだ)。その石野真子に、彼女の往年のヒットソングの歌詞が多数ちりばめられた戯曲のうえで、よりにもよって石野真子という役で、かなりぶっ飛んだ、そう、“羽曳野の伊藤”(後藤が遊気舎時代に作り、久保田浩が演じた狂気のキャラ。これを持ち出すこと自体が相当にマニアックというべきか)を彷彿とさせるような芝居をやらせているのである。後藤的には、さぞや「願望充足」というか「ドリームズカムトゥルー」あるいは「長淵剛に勝った」といった感慨に浸っていることであろう。
観劇後に、気鋭のクラシック音楽評論家・片山杜秀による『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング刊)という本を買った。片山杜秀の書く文章は、博覧強記、そして、そのイメージ連鎖的な思考回路が実に面白い。既刊の『音盤考現学』も大変イマジネーションを刺戟される名著だった(吉田秀和先生も絶賛したという)。また、私は以前、朝日カルチャーセンターで片山杜秀が講師をした「シュトックハウゼン」という講座も聞きに行ったことがあるのだが、この時は人柄にも親しみがもてた。なんとも品格がある。
…そうそう、品格といえば、昨今、『○○の品格』といった「“品格”本」がやたら多い。最初は『国家の品格』だった。著者の藤原正彦は鼻毛を抜きながら“品格”を論じる原稿を書くそうだが、私も鼻毛を抜くのが好きなので、その“品格”の無さは、まあまあ微笑ましいと思う。とにかくこの本は売れた。だが、そのあとからがいけない。『女性の品格』という本がでて、大ベストセラーになった。この著者の坂東眞理子は、さらに『親の品格』なんてものまで出した。その裏では、渡部昇一が『日本人の品格』『自分の品格』なんて本を出している。あまり知られていないが川北義則著『男の品格』というのもあるようだ。これらのもの一切合切を読んでいない私であるが、かつて評論家の福田和也が何かの週刊誌で、坂東眞理子のことを「そもそもタイトルからして『国家の品格』のパクリでしょう。そんなパクリをするような人に品格云々を説かれても…」とコメントしていたことに尽きると思う。『○○の品格』とつければ売れるから、と、平気でパクリっぽいタイトルで本を出す感性とは、いかがなものか。そこに“品格”はない。だから、ほとんどの「“品格”本」は、「“品格”なき“品格”本」なのだ。あのねのねの「赤とんぼの唄」に倣えば、「“品格”なき“品格”本」はただの「本」である。何? ただの「本」だって? ただの「本」とは、かのマラルメが追求した「純粋なる書物」みたいじゃないか。「純粋なる書物」ならば、至上の“品格”を備えているはずだ。全くわけがわからない。
閑話休題。片山杜秀の新刊、『音盤博物誌』に戻る。さっそく私はペラペラとページをめくった。それによると、片山の音楽趣味の原点は、子供の頃、『ゴジラ』や『大魔神』の映画鑑賞を通じて出会った伊福部昭(いふくべあきら)の映画音楽にあるそうだ。言うまでもなく、伊福部昭は、日本の20世紀音楽界のパイオニアでもある。片山は伊福部昭の世界に惹かれ、追求するうちに、学生時代から伊福部本人と交流を持つようになった。伊福部から相談を受けることもあったそうだ。そんな片山なればこそ、日本の現代音楽を論じる際には、伊福部への言及が頻繁になされるわけだ。とすれば、彼(片山)もまた、少年時代に怪獣と共に憧れた対象と、大人になってから自分のフィールドにおいて、さらなる強固な関係性を持ち得た、羨ましい人種の一人といえるだろう。
そんなことを私は思いつつ、今度は帰りの電車の中で、日経新聞を開き、本日の「私の履歴書」を読んだ。今月は、民俗学者の谷川健一である。谷川はかつて肺を患い、生田緑地の一角に建つ稲田登戸病院に長期入院していたそうだ。そこで感じた己の情けなさがバネとなって、その後の旺盛な活動のエネルギーへと転じたらしい。私もまた7年ほど前に、肺炎をおこして同病院に1週間ほど入院した思い出がある(私の場合は、どちらかといえば快適なバカンスのような療養だったが)。そして、その思い出の病院が、昨年、閉院してしまった。なんとも淋しいかぎりだ。時代こそ違え、今はなき同じ病院に、肺の病で入院したことのある者としての共感を、私は谷川に対して抱いていた。
そんな谷川が、1975年、岐阜県不破郡垂井町にある南宮神社のふいご祭りを見に行った。南宮神社の近くには金生山という鉱山があり、かつて「たたら」という製鉄がおこなわれていた。そして、そのあたりには「伊吹おろし」と呼ばれる冬の西北風が吹く。その風が、昔は製鉄炉の炭を自然におこしてくれていたという。これを地元の宮司から聞いた谷川は、南宮神社の近くにある伊富岐神社(いぶきじんじゃ)も、また、それを氏神とする古代の伊福部(いふくべ)氏も、金属精錬に関係があるのではないかと思いついた。それをきっかけに著したのが、たたらと関係の深い伊福部氏の謎に迫った『青銅の神の足跡』だった。これは、谷川民俗学の代表作となった。
その『青銅の神の足跡』には、柳田理科雄、もとい、柳田国男の『一目小僧その他』批判も含まれていた。柳田国男は、「目一つの神」=「天目一箇神」について、祭りのときのいけにえとして予め一眼をつぶしておかれた習俗の名残としていたが、谷川はそれをたたら師の職業病の投影とする。すなわち、胴や鉄を溶解する仕事に携わる労働者が、炉の火を見つめ過ぎて一眼を失したものであると。
「私の履歴書」を読みながら私が興奮したのは、無理もない。片山杜秀によって論じられた伊福部昭の、そのルーツに係わる論考が、同日のうちに、私の目に飛び込んで来たからである。片山の『音盤博物誌』によれば、伊福部昭は、因幡国一宮は宇部神社の神官の家系という。その始祖は、国津神の大国主命とされる。谷川の『青銅の神の足跡』によると、その宇部神社の近くで銅壺や銅鐸が出土している。だとすれば、なるほど、伊福部昭の音楽、つまり皆さんもご存知の、一連の「ゴジラ」シリーズの音楽には、古代の製銅や製鉄の遺伝子的記憶が投影しているようにも聴こえてくる。そういえば、ゴジラの鳴き声も、金属的な響きがあるし…。
片山によれば、伊福部昭の父は北辺の開拓地・北海道に落ち、そこで昭が誕生する。昭はその地で、「被差別少数民族」だったアイヌ民族の文化に入れ込み、そのようなものの価値を認めようとしない当時の日本人の常識と対立した。また、戦時期には、放射線を使った木製飛行機素材用強化木の開発研究に従事し、そこでゴジラよろしく被爆してしまう。それほど苦労したのに、科学力の差でアメリカに敗けてしまい、そこから転じて破壊的・暴力的な近代科学に支えられた現代文明を嫌悪し、アイヌとの交流の中で培った原初的生命力への憧憬をつのらせ、そうした(先祖・大国主命以来の)「負の怨念の相乗が伊福部の音楽の熾烈な強度につながっている」のだそうだ。そして、そんな「熾烈な強度」の源泉を改めて確認するには、谷川健一を読むことが何よりも重要だと、私は思うのだった。伊福部昭の被爆エピソードにしたって、「胴や鉄を溶解する仕事に携わる労働者が、炉の火を見つめ過ぎて一眼を失した」という「天目一箇神」のイメージと、どうしたって重なりあう。
民俗学者・谷川健一の有名な仕事といえば、古代と金属をめぐる研究、そして白鳥伝説、また沖縄の研究などだが……こう書けば、そのすべてにリンクする漫画を私たちは知っているはずだ。そう、星野之宣の『宗像教授伝奇考』『宗像教授異考録』にほかならない! 一日の間に二度、星野之宣の話題に辿りついてしまったことに小さな驚きをおぼえつつ、星野之宣の一連の作品(たとえば『ヤマタイカ』なんかも含めて)を読む時には、伊福部昭の音楽がBGMとして合うのではないか、なんてことを、ふと思いながら、いまや不気味な廃虚と化した稲田登戸病院を横目に、生田緑地にほど近い我が家へと帰路を急ぐ私であった。
通常、世間一般的に、後藤ひろひとの「最良の本質的姿」たる真骨頂は、「笑い」「泣かせ」「マニアック」の三本柱とされている。ただし、私は、「泣かせ」とか「センチメンタリズム」とか「人情話」といった類いがすこぶる苦手なタチなので、後藤の脚本ものでも、そういうのが入ってくると、これまでいささかの当惑を禁じ得なかった。一方、彼のナンセンスコメディのセンスたるや、これは卓抜なものがある。私としては、純粋に「笑い」だけを追い求めていたい。よく、ステーキラーメンとか蟹ラーメンみたいな贅沢グルメがテレビ番組で紹介され、「うわっ、なんて美味しいんでしょう!」とリポーターはのたまうが、私からすればそれは大いなる疑問であって、ステーキはステーキだけ、蟹は蟹だけ、ラーメンはラーメンだけで、それぞれ集中して食べることで、それぞれの真の旨味を理解することができると考える。だから、お芝居にしたって、「涙あり笑いあり」は、私の個人的な趣味嗜好からすると、同じ皿に盛りつけないで欲しいのだ。
で、話を戻すと、今回の『恐竜と隣人のポルカ』は、ほぼコメディに徹しているし、もうひとつの後藤の特質である「マニアック」さも、コメディにとっての相性のいい調味料たりえているので、個人的には「これぞ後藤の真骨頂」だと思えた次第である。いやもう、私は「泣かせ」抜きの後藤は、本当に大好きで、もし『The Office』(英国BBCのコメディドラマ)の日本版が作られるようなことがあるとしたら、リッキー・ジャーヴェイス演じるセクハラ支社長デヴィッド・ブレントの役はぜひとも後藤で見てみたい、とさえ思っているほどなのだ。
さて、『恐竜と隣人のポルカ』。今回の公演パンフレットをめくると、後藤は、『空想科学読本』の著者である柳田理科雄と対談している。柳田は、実在した恐竜も、空想上の怪獣も、つまり、ティラノサウルスもゴジラも同じ土俵の上で分け隔てなく科学的に論じる。だから後藤にも「柳田さんは特撮・空想系の話と科学の至極真面目な話を、同じトーンで話されている。聞いているとどこまでが空想かわからなくなりますね(笑)」と指摘されるほどだ。これに対して柳田「基本的に僕の話は、“ウルトラマンは本当にいるんだ”と信じるところから始まっていますから」と答え、また「僕は学問として恐竜に接するのではなく、憧れでアプローチしていますから」とも述べている。後藤もまた、「どうも僕は(自分の作品の中で)恐竜やロボット、宇宙人なんかを使いたいという衝動が抑えられない」といった心情を吐露している。二人とも、少年時代と現在が同じ心理でつながっている感じがして微笑ましい。
ときに恐竜の話といえば、星野之宣の傑作恐竜漫画『ブルーホール』そして『ブルーワールド』を抜きに語ることはできないが、星野は中学生の時すでに、星新一の『午後の恐竜』という小説を、恐竜漫画として(それもけっこう巧みに)描いているのだ(…ちなみに、前述の公演パンフレットの対談の中で、後藤は「人類滅亡の際には“地球の走馬灯”が見えるかもしれない。進化や恐竜のスゴイ秘密まで見て、この星がパタッと終わるような気がします」と、星新一『午後の恐竜』さながらのヴィジョンが現実化する可能性をも指摘している)。
こういう人たち、つまり、後藤にしても柳田にしても星野にしても、少年時代に芽生えたマニアックな好奇心を大人になってから、自分自身で切り拓いたフィールドにおいて改めて追求できる人たちってのは、なんとも羨ましいかぎりだなあ、と思った。後藤に至っては、今回の芝居では、そのマニアックの対象が、必ずしも恐竜だけでなく、アイドル石野真子だったりもするわけで、これがまた嫌味なまでに羨ましく見える。きっと石野真子は、後藤の少年時代のアイドルだったに違いあるまい(かくいう私も、石野真子のことは、そこそこ好きだった。とりわけ筒美京平作曲の『日曜日はストレンジャー』はいまだに愛聴歌のひとつだ)。その石野真子に、彼女の往年のヒットソングの歌詞が多数ちりばめられた戯曲のうえで、よりにもよって石野真子という役で、かなりぶっ飛んだ、そう、“羽曳野の伊藤”(後藤が遊気舎時代に作り、久保田浩が演じた狂気のキャラ。これを持ち出すこと自体が相当にマニアックというべきか)を彷彿とさせるような芝居をやらせているのである。後藤的には、さぞや「願望充足」というか「ドリームズカムトゥルー」あるいは「長淵剛に勝った」といった感慨に浸っていることであろう。
観劇後に、気鋭のクラシック音楽評論家・片山杜秀による『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング刊)という本を買った。片山杜秀の書く文章は、博覧強記、そして、そのイメージ連鎖的な思考回路が実に面白い。既刊の『音盤考現学』も大変イマジネーションを刺戟される名著だった(吉田秀和先生も絶賛したという)。また、私は以前、朝日カルチャーセンターで片山杜秀が講師をした「シュトックハウゼン」という講座も聞きに行ったことがあるのだが、この時は人柄にも親しみがもてた。なんとも品格がある。
…そうそう、品格といえば、昨今、『○○の品格』といった「“品格”本」がやたら多い。最初は『国家の品格』だった。著者の藤原正彦は鼻毛を抜きながら“品格”を論じる原稿を書くそうだが、私も鼻毛を抜くのが好きなので、その“品格”の無さは、まあまあ微笑ましいと思う。とにかくこの本は売れた。だが、そのあとからがいけない。『女性の品格』という本がでて、大ベストセラーになった。この著者の坂東眞理子は、さらに『親の品格』なんてものまで出した。その裏では、渡部昇一が『日本人の品格』『自分の品格』なんて本を出している。あまり知られていないが川北義則著『男の品格』というのもあるようだ。これらのもの一切合切を読んでいない私であるが、かつて評論家の福田和也が何かの週刊誌で、坂東眞理子のことを「そもそもタイトルからして『国家の品格』のパクリでしょう。そんなパクリをするような人に品格云々を説かれても…」とコメントしていたことに尽きると思う。『○○の品格』とつければ売れるから、と、平気でパクリっぽいタイトルで本を出す感性とは、いかがなものか。そこに“品格”はない。だから、ほとんどの「“品格”本」は、「“品格”なき“品格”本」なのだ。あのねのねの「赤とんぼの唄」に倣えば、「“品格”なき“品格”本」はただの「本」である。何? ただの「本」だって? ただの「本」とは、かのマラルメが追求した「純粋なる書物」みたいじゃないか。「純粋なる書物」ならば、至上の“品格”を備えているはずだ。全くわけがわからない。
閑話休題。片山杜秀の新刊、『音盤博物誌』に戻る。さっそく私はペラペラとページをめくった。それによると、片山の音楽趣味の原点は、子供の頃、『ゴジラ』や『大魔神』の映画鑑賞を通じて出会った伊福部昭(いふくべあきら)の映画音楽にあるそうだ。言うまでもなく、伊福部昭は、日本の20世紀音楽界のパイオニアでもある。片山は伊福部昭の世界に惹かれ、追求するうちに、学生時代から伊福部本人と交流を持つようになった。伊福部から相談を受けることもあったそうだ。そんな片山なればこそ、日本の現代音楽を論じる際には、伊福部への言及が頻繁になされるわけだ。とすれば、彼(片山)もまた、少年時代に怪獣と共に憧れた対象と、大人になってから自分のフィールドにおいて、さらなる強固な関係性を持ち得た、羨ましい人種の一人といえるだろう。
そんなことを私は思いつつ、今度は帰りの電車の中で、日経新聞を開き、本日の「私の履歴書」を読んだ。今月は、民俗学者の谷川健一である。谷川はかつて肺を患い、生田緑地の一角に建つ稲田登戸病院に長期入院していたそうだ。そこで感じた己の情けなさがバネとなって、その後の旺盛な活動のエネルギーへと転じたらしい。私もまた7年ほど前に、肺炎をおこして同病院に1週間ほど入院した思い出がある(私の場合は、どちらかといえば快適なバカンスのような療養だったが)。そして、その思い出の病院が、昨年、閉院してしまった。なんとも淋しいかぎりだ。時代こそ違え、今はなき同じ病院に、肺の病で入院したことのある者としての共感を、私は谷川に対して抱いていた。
そんな谷川が、1975年、岐阜県不破郡垂井町にある南宮神社のふいご祭りを見に行った。南宮神社の近くには金生山という鉱山があり、かつて「たたら」という製鉄がおこなわれていた。そして、そのあたりには「伊吹おろし」と呼ばれる冬の西北風が吹く。その風が、昔は製鉄炉の炭を自然におこしてくれていたという。これを地元の宮司から聞いた谷川は、南宮神社の近くにある伊富岐神社(いぶきじんじゃ)も、また、それを氏神とする古代の伊福部(いふくべ)氏も、金属精錬に関係があるのではないかと思いついた。それをきっかけに著したのが、たたらと関係の深い伊福部氏の謎に迫った『青銅の神の足跡』だった。これは、谷川民俗学の代表作となった。
その『青銅の神の足跡』には、柳田理科雄、もとい、柳田国男の『一目小僧その他』批判も含まれていた。柳田国男は、「目一つの神」=「天目一箇神」について、祭りのときのいけにえとして予め一眼をつぶしておかれた習俗の名残としていたが、谷川はそれをたたら師の職業病の投影とする。すなわち、胴や鉄を溶解する仕事に携わる労働者が、炉の火を見つめ過ぎて一眼を失したものであると。
「私の履歴書」を読みながら私が興奮したのは、無理もない。片山杜秀によって論じられた伊福部昭の、そのルーツに係わる論考が、同日のうちに、私の目に飛び込んで来たからである。片山の『音盤博物誌』によれば、伊福部昭は、因幡国一宮は宇部神社の神官の家系という。その始祖は、国津神の大国主命とされる。谷川の『青銅の神の足跡』によると、その宇部神社の近くで銅壺や銅鐸が出土している。だとすれば、なるほど、伊福部昭の音楽、つまり皆さんもご存知の、一連の「ゴジラ」シリーズの音楽には、古代の製銅や製鉄の遺伝子的記憶が投影しているようにも聴こえてくる。そういえば、ゴジラの鳴き声も、金属的な響きがあるし…。
片山によれば、伊福部昭の父は北辺の開拓地・北海道に落ち、そこで昭が誕生する。昭はその地で、「被差別少数民族」だったアイヌ民族の文化に入れ込み、そのようなものの価値を認めようとしない当時の日本人の常識と対立した。また、戦時期には、放射線を使った木製飛行機素材用強化木の開発研究に従事し、そこでゴジラよろしく被爆してしまう。それほど苦労したのに、科学力の差でアメリカに敗けてしまい、そこから転じて破壊的・暴力的な近代科学に支えられた現代文明を嫌悪し、アイヌとの交流の中で培った原初的生命力への憧憬をつのらせ、そうした(先祖・大国主命以来の)「負の怨念の相乗が伊福部の音楽の熾烈な強度につながっている」のだそうだ。そして、そんな「熾烈な強度」の源泉を改めて確認するには、谷川健一を読むことが何よりも重要だと、私は思うのだった。伊福部昭の被爆エピソードにしたって、「胴や鉄を溶解する仕事に携わる労働者が、炉の火を見つめ過ぎて一眼を失した」という「天目一箇神」のイメージと、どうしたって重なりあう。
民俗学者・谷川健一の有名な仕事といえば、古代と金属をめぐる研究、そして白鳥伝説、また沖縄の研究などだが……こう書けば、そのすべてにリンクする漫画を私たちは知っているはずだ。そう、星野之宣の『宗像教授伝奇考』『宗像教授異考録』にほかならない! 一日の間に二度、星野之宣の話題に辿りついてしまったことに小さな驚きをおぼえつつ、星野之宣の一連の作品(たとえば『ヤマタイカ』なんかも含めて)を読む時には、伊福部昭の音楽がBGMとして合うのではないか、なんてことを、ふと思いながら、いまや不気味な廃虚と化した稲田登戸病院を横目に、生田緑地にほど近い我が家へと帰路を急ぐ私であった。