ジョン・レノンの季節 | もずくスープね

ジョン・レノンの季節

本日の朝日新聞夕刊を手に取ると、一面に掲載されたオノヨーコの写真が、まず目に飛び込んだ。「ニッポン人脈記」という連載記事、このところ「ビートルズの時代」というテーマで、ビートルズに様々な形で関わった日本人が紹介されてる。今日は、その最終回ということで、オノヨーコにスポットがあてられているわけだ。彼女は、ビートルズ解散の一因と世間で言われていることについて、やんわりとそれを否定したうえで、「今年ビートルズに関する新しい本が出て、その著者が、ヨーコは解散の責任者ではありませんでした、とTVで明言したんです」的なことを述べていた。

実は、この記事を目にする直前まで、私は集英社新書の新刊「ジョン・レノンを聴け!」(中山庸樹・著)を読んでいたのだった。で、このジョン・レノンのソロ楽曲解説本は、ヨーコに対する敵意がこれ以上ないほど剥き出しなのだ。中には、ヨーコが関与しなかった楽曲について、もしここでヨーコが演奏現場にいたらさぞやひどい展開になっていただろう、といった仮定の非難まで書かれており、その執念に対しては恐れ入るというか、もはやそれは笑えてしまえるほどなのであった。そんな本を読んだ直後に、さっきの朝日夕刊におけるヨーコの楽天的なコメントである。その大きな隔たりをまのあたりにして、再びゲラゲラと笑いがこみあげてくるしかなかった。ジョン・レノン没後25年の追悼の季節なのに、不謹慎な奴め、と怒られそうである。しかし、わたしは日頃あまり口にはしないけれど、実のところ、けっこうなジョン・レノンFanなのである。高校生以来ずっと丸眼鏡をかけているのも、レノンへの敬慕からである。が、それだけではない。掲載した写真を見て欲しい。

strawberryfields  dakoda


ジョン・レノン最期の場所となったダコタハウスや、セントラルパークのストロベリーフィールズ(ここは、ダコタハウスのジョンの部屋から見える場所であり、ジョンの死後、ヨーコが買い取った土地であるという。円陣の中心にはイマジンと書かれている)を訪問するほどの熱心さだって持ち合わせているのだ。さらにである、今年ブロードウェイで評判が悪く、あまりの不入りですぐに打ち切りになったミュージカル「レノン」も見たし、それがなんとたまたま最終日だったので、カーテンコールのステージに生オノヨーコが現れたところもきちんと目撃したことは、過去既に述べたとおりである。




なお、この「レノン」の上演劇場のすぐお隣なりでかかっていたのが、NY一番の大ヒット作品「モンティパイソンのスパマロット」なのであった。ときに、ダコタハウス前で一緒に写真にうつっている連中は、茨城県古河市を拠点とする劇団、自己批判ショーの面々である。私が彼らと仲が良いのは、ビートルズやモンティパイソンの話ができる同好の士であるからだ。そんなわけだから「レノン」も「モンティパイソンズ・スパマロット」も、彼らと共に観劇したのである。・・・そういえば、ジョン・レノンは暗殺される二日前のインタビューで「今度生まれてくる時には、ビートルズじゃなくて、モンティ・パイソンに入りたい」と答えたとか。

かつて、その話を教えてくれたのは、出版プロデューサーの宮永正隆氏こと、みーやんだ。元・雑誌「りぼん」トンケチャ編集者のみーやんである。彼は本邦でも屈指のビートルズ・オーソリティである。現在は、「風雲!ビートルズ大学」というトークイベントを定期的に開催し、昨日の朝日新聞夕刊一面に、その紹介記事がカラー顔写真とともに出ていた。その記事によると、友人たちに熱くビートルズを語っているうちに「面白い。人前で話したら」と勧められたという。最初にそう勧めた人間は、たぶん私であろう。そして、池袋のコミュニティカレッジというカルチャーセンターでの講座を私がコーディネイトしたのが、事の始まりであったと記憶する。10年も前のことだ。なにも今そのことを自慢したいというつもりは毛頭なく、ただ、「ああ、みーやん、今も頑張っているんだなあ」という感慨が、つい昔日を回想させてしまうに過ぎない。

ところで、同日の朝日夕刊をめくると、著名な着物デザイナーの豆千代さんがこれまたカラー顔写真付きで登場している。彼女の著作をプロデュースしているのがみーやんであり、どこまで書いていいのかよくわからないけど、まあいいか、つまり、みーやんと豆千代さんは現在、諸局面で深い関係性を持つ間柄なのである。その二人が、同日の朝日夕刊のカラー写真に同時に登場するとは、実に羨ましい。彼らにとっては、たいへんな自慢の種になることであろう。

・・・さて、話を自分のことに戻すと、先日、劇団自己批判ショーの団員3人(リーダー、小菅、川辺)らとカラオケにゆき、私はジョン・レノンの歌を数曲歌った。「ハッピークリスマス」「インスタントカーマ」「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」など。コーラスについてきて欲しい歌ばかりを選んだのは、自己批判ショーさんにぜひともコーラス参加して欲しかったからだが、結局のところ、誰も期待通りにはついて来てくれなかった。実に残念であった。まさに自己批判してほしいと思った。