赤鬼仮面

人は仮面を被ると、それまで押さえつけられていた本性を表にだしやすくなる。この事は映画「マスク」(だっけ?あの緑色の陽気な兄ちゃん)などでご存じの方も多いだろう。
今回のテーマは、私が生まれ育った地域に伝わる伝統的な風習だ。おそらく知名度は全国区である。
1月半ばにそれは開催されるのだが、幼少時代私は一年で一番この日が嫌いであった。何故なら異形の者と対峙しなければならないという単純な恐怖心と、どうしようもない理不尽さと言うものを同時に味わわなければならないからである。
その風習の概要はこうだ・・・一年の初めに面を被ってみのまとい鬼に扮した村人が家々を練り歩き無病息災を祈り、またついでに日頃なかなか言うことを聞かない悪い子にも、その風貌を生かして、半ば脅し気味によい子になることを約束させると言うものてある。
しかし一番の問題は
続く
ほんまスミマセン
日本語の便利なところは一つの言葉であいまいにいろんな表現に使えること。
例えば挨拶....朝昼晩関係なく「ど~も」「う~す」で通用する。これはいささか気の抜けた挨拶だが、このような表現が日本語には沢山ある。
その中で「ありがとう」と「ごめんなさい」という相反する意味をひとまとめにしてしまう言葉がある。それは「すみません」という単語。
何かをしてもらって「すみません」。相手に対して謝るときも「すみません」。何となく通じてしまうが、私はこの言葉には心がこもってないように思えて嫌いである。
第一、意味に「すみません」→「それでは済ますことが出来ない」っと言っておきながら、その一言で済ませてしまう矛盾が気に入らない。
あまのじゃくな私は「すみません」と言われたら、心の中で(じゃあどうやって落とし前付けてもらおうかな)と考えてしまう訳である。
例えば挨拶....朝昼晩関係なく「ど~も」「う~す」で通用する。これはいささか気の抜けた挨拶だが、このような表現が日本語には沢山ある。
その中で「ありがとう」と「ごめんなさい」という相反する意味をひとまとめにしてしまう言葉がある。それは「すみません」という単語。
何かをしてもらって「すみません」。相手に対して謝るときも「すみません」。何となく通じてしまうが、私はこの言葉には心がこもってないように思えて嫌いである。
第一、意味に「すみません」→「それでは済ますことが出来ない」っと言っておきながら、その一言で済ませてしまう矛盾が気に入らない。
あまのじゃくな私は「すみません」と言われたら、心の中で(じゃあどうやって落とし前付けてもらおうかな)と考えてしまう訳である。
時間性貧乏症
とあるパソコンサイトの心理ゲーム「あなたは何性貧乏症??」という物の結果、私は「時間性貧乏症」であるらしい。
「あなたは多くのことを短時間でこなせる人みたいです。しかし様々なことに深く時間を掛けられずに浅いものになってしまわないような注意が必要です」とのこと。
この結果はなかなか嬉しかった。
日頃から時間は大切にしているつもりだし、減りもするが増えもするお金などより、減り続ける一方の時間と言う概念は何よりも大切なものだと考えているからである
「あなたは多くのことを短時間でこなせる人みたいです。しかし様々なことに深く時間を掛けられずに浅いものになってしまわないような注意が必要です」とのこと。
この結果はなかなか嬉しかった。
日頃から時間は大切にしているつもりだし、減りもするが増えもするお金などより、減り続ける一方の時間と言う概念は何よりも大切なものだと考えているからである