昨年の12月議会の一般質問で、富士森公園のリニューアルについて、いくつか提案をさせて頂きました(詳しくは以前のブログにてお知らせした市政報告に掲載してあります)。それから、様々な方から「もっとこうした方が良い」「今の富士森公園にはここが足りない」などのご意見を賜っております。
 今回お話しを頂いたのは、語り部の会や大久保長安の会などでご活躍されていらっしゃる方です。今回勉強させて頂いた事柄は、八王子市民の皆様にとって知っておいて損は無いので、少しだけ紹介したいと思います。
富士森公園は1896年・明治29年4月1日(今から約120年前)に現在の地に設置されました。時を同じくして、明治政府によって八王子招魂社(富士森招魂社)が同地に設置されました。招魂社といえば、「東京招魂社(現在の靖国神社)」が有名ですが、ここでは、八王子をはじめ多摩西部出身の方々の西南の役や日清戦争において戦病死された方々をの御霊を、忠魂碑を建立し、祀ったそうです。その後、明治36年に日露戦争の戦病死者の御霊も合祀されました。その後、昭和21年に忠魂碑は撤去されましたが、現在の浅間神社の境内付近に、当時祀られていた方々の名前と出身地が刻まれた石碑があります。

また、八王子市にゆかりのある偉人であり、八王子の教育の恩人と言われている奥津雁江(おくつがんこう)の顕彰碑や、板垣退助らと共に、自由民権運動の中心となり、自由党を設立した石坂昌孝
の碑があります。

ただ、それぞれ石碑がいわば雑然と存在するだけで、なかなか背景をしらなければ素通りしてしまうような形で設置されている(特に奥津雁行の石碑の前にはゴミの山が。。。)ので、せっかくのいわれや歴史が伝わらないような状況です。
富士森招魂社があった土地である事や、戦没者慰霊碑がたてられている事等、つくづく、富士森公園は祈りの丘なんだな、、と感じた次第です。また同時に、そういった背景を熟知せずに、今回先の一般質問で提案を行った事に対して、恥ずかしくも感じました。今、富士森公園の桜は満開です。今月16日には、八王子市主催の戦没者慰霊式典が催されます。連日お花見に訪れる方々で賑わう富士森公園ですが、富士森公園のいわれをご存知の方は少ないと思います。今後、こういった歴史的背景も多くの方々に知って頂けるように、富士森公園の再整備計画をたてていかなくてはならないと強く感じた次第です。
この他にも、浅間神社のいわれや大久保長安公との関連なども勉強させて頂きました。非常に有意義な時間を過ごさせて頂いた事、改めて感謝申し上げます。