堀尾貞治 あたりまえのこと 千点絵画 | 映画と私

堀尾貞治 あたりまえのこと 千点絵画

あたりまえのことをしていけば
あたりまえでなくなり
やがて力となる
堀尾貞治

 

美術家・堀尾貞治(1939-2018、神戸市兵庫区生まれ)は美術教師との出会いや民芸運動に尽力した叔父・堀尾幹雄の影響により、15歳の時に一生美術をやると決心しました。中学卒業後から定年を迎えるまで三菱重工業神戸造船所で働きながら、創作活動と仕事を両立。多い時には年間100 回以上という超人的なペースで、個展やグループ展、パフォーマンスを国内外で行いました。
前衛美術グループ「具体美術協会 には1965年に初出品し、翌年から1972年の解散時まで在籍。1985 年に目に見えない「空気」という存在を「あたりまえのこと」と表現し、生涯の創作テーマにすると決意。身体的行為から生み出す「空気」を可視化するための様々な美術表現に挑みつづけました。

10年ぶりの開催となる本展では、堀尾が2016年に奈良県大和郡山市にある喜多ギャラリーで全6回に亘り取り組んだ千点の絵画を描くプロジェクト《千Go千点物語》 の作品群を紹介します。
元々は〈千号サイズの絵を描きたい〉という堀尾の言葉に、〈千号ではないが、廃棄パネルなら千点入手できる〉と同ギャラリーが呼応したことから始まったこの取り組みは、2016年の6日間(215日、318日、522日、626日、94日、104日)で、凄まじい集中力と瞬発力をもって描かれました。
支持体として使われた使用済みの展示会用木工パネル(廃棄パネル)は、広告等の様々な出力シートが貼られ、寸法もサブロク版(90×180㎝)を半分にカットした90cm角の正方形約600点を中心に、大きいもの、小さいもの、四角形、三角形、台形とひとつとして同じものがありません。
対象の持ち味を瞬時に見極めて描くことは、堀尾が1997年から2018年に亡くなる前日まで毎朝継続していた「一分打法」による創作鍛錬の賜物であり、集大成と言えるでしょう。
ペンキやアクリル絵具、墨で描くだけでなく、鈍器で叩く、火で炙るなど、様々な技法を駆使して生み出された作品を通して、自己との対話と制作現場における不断の挑戦により、極限まで研ぎ澄ませた堀尾の創作精神をぜひご体感ください。

(BBプラザ美術館)



日曜美術館のアートシーンで紹介されていたので、とても気になり神戸までみにいく。

毎日毎日大量の作品を制作する。

AIRとあたりまえのことをテーマにしていたそうだが、確かに絵を描くことが息をすることのような人生だったのだろう。息することを意識しないように、絵を描くことも無意識の境地まで達していたのかもしれない。


大量の作品を目の前に圧倒される。

同じものはない、ひとつひとつが違う。

即興的に描かれている。

そして、そのひとつひとつの作品があつまり、

大きな塊のようにも思える。


神戸に暮らし、定年まで勤めあげたのも、

アート活動のためだったそう。

最期は自ら命を絶った。鬱病だったそう。

映像に残る姿はエネルギッシュで、

想像できない。

映像でもその創作スタイルに惹かれたけれど、

生で作品たちを鑑賞できて良かった。

そのエネルギーが充満しているようだった。