こちらあみ子
あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校をしてくれる兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示したデビュー作。
映画を観て、好きな作品とか面白いとかではないのだけど、なんか揺さぶられてしまったので、
原作も読んでみた。
映画は結構忠実に作られていたのだなというのがわかった。
先に読んでたらまだ違う印象だったかもしれないけれど。
映画のあみ子が頭の中で、
小説を読む時も登場する。
なんか得体の知れない怖さがあって、
これなんだろうと思うと、
あみ子の存在というものが
この世界の中にはないような感じがするからなのかもしれない。
常に境界の外にいるような。
例えば、母親の書道教室を襖の外から覗いていたりするところも。
あみ子は普通ではないから、書道教室にいることを許されてない。
外から覗いていたら、のりくんの字に惚れ込み、
追いかける。のりくんの字は境界を越える光のように、あみ子を魅了する。普通の世界への接点のように。
母が流産し、落ち込みながらも以前より
あみ子を受け入れていこうとする母。
母はあみ子の実母ではない。
距離が縮まりそうな二人の関係。
あみ子が死んだ赤ちゃんの墓標を母に贈ったことにより、家族の全てのバランスが崩れていく。
あみ子は墓標の字を、嫌がるのりくんに頼んで書いてもらった。
あみ子にとっては最高の贈り物だったのだ。
それ以降母は部屋の中に引きこもり、唯一あみ子の気持ちを代弁してくれていたような兄は不良になってしまい、父は感情を殺し何事もないように日々をやり過ごす。
元からひとりぼっちだったのかもしれないけれど、あみ子の存在はますます境界の外へとやられてしまう。
カサカサと幻聴まできこえだしてくる。
おばけなんてないさーと歌うと幻聴はマシになる。歌ってるあみ子自体がオバケのように
存在しても誰にも見えてないようだ。
悲しくなってくる。
空気が読めない、やってはいけないことがわからない。子供時代でも大変だけど、
思春期になっていくと余計つらい。
あみ子は中学卒業とともに、祖母の家に行くことになる。父はついてこない。
大事なものだけを持っていきなさいと言われ、
誕生日プレゼントにもらったトランシーバーを見つける。
お腹の赤ちゃんが生まれたら、それで遊びたかったから。
直接話しすればいいのに、
やはりあみ子がいるのは境界の外で、
トランシーバーが必要だったのかもしれない。
幻聴の原因はベランダにいる鳥の巣だった。
それだけではないだろうが。
あみ子の兄が突然やってきて、
その巣を投げ捨てる。
やはり、兄とはどこか繋がってたのかもしれない。
境界の外にいるあみ子、だけど自然はあみ子ごと
引き受けて一緒にいてくれるのだろう。
思い出したのは、吉田知子の無明長夜。
あれもすごいけど、この今村夏子もなんかすごいな。
「ピクニック」というもうひとつの
作品もいたたまれない気持ちになる。
売れっ子芸人の恋人であると信じてる女の話。
これまたある種、境界の外なのかもしれない。
外を描くと、中のおかしさがよくわかる。
外の人がおかしいと思ってたら、
中の歪さも際立つ。
他の作品も読んでみたくなった。