「牡牛座 レーニンの肖像」と権力者4部作について
「牡牛座 レーニンの肖像」が、東京に先駆けて上映ということで、
シネヌーヴォーに行ってきた。
この映画は、レーニンの死の間際の生活を描いている。
雨の音を聴き、独り言をいいながら、全裸で体にシーツを巻き付けているレーニン。
でかい赤ちゃんのようだ。半身が麻痺し、記憶がだんだん薄れて行く姿が、淡々と描かれる。
そして、ソクーロフらしい淡い色調の映像が、
レーニンをもう既にこの世のものではないような不思議な存在にしている。
実際、表舞台から消えていたこの頃のレーニンは死んでるような存在だったのかもしれない。
歴史的な人物としてイメージするレーニンとはかけ離れている。
ソクーロフは同じように、権力者4部作としてヒトラーや、
天皇裕仁を歴史的なイメージとは、かけ離れた一人の人間として描いている。
「モレク神」では、ヒトラーを愛人エヴァの前で子供のように感情を露にする一人の人間として、
そして「太陽」は昭和天皇を神ではなく、苦悩するひとりの人間として描いている。
それは、見てはいけないものを覗きみているかのような、生々しさと同時に、
この世の出来事ではないような不思議さがある。
相反するものが共存している。
それは、イメージというフィルターを通して、レーニンやヒトラー、昭和天皇を
自分たちとは違う存在としてみているからだ。
しかし、ソクーロフはそれらのイメージを覆すことで、生身の人間として浮かびあがらせる。
そして、自分たちと変わらない人間として、
もう一度違う視点で歴史的な出来事を見つめることを強いてくる。
レーニンやヒトラーよりも日本人として、やはり昭和天皇が興味深かった。
人間でありながら、神と呼ばれた存在。
日本中の人々に崇められながらも、そのイメージで生きる意外許されない存在。
誰よりも孤独だったことがしみじみと伝わってくる。
皇后の胸に顔を埋める天皇の姿が特に印象的だった。
権力者4部作の最後ファウストもどんなのか楽しみだ。