ちんすこうが仕上がるまでのお話。

 

小学校に入学。脳性小児まひの同級生と出会う。
何も考えることなく、友だちになり家にあそびに行ったりしていた。

 

転機はココ!18歳頃、同級生に誘われ車イス介助に足を突っ込む。

 

24歳頃、子供会のサークル活動をする中で、聴覚障害者と出会い、サークル仲間と、手話サークルに通い始める。

 

定年退職後、後輩の誘いにまんまと乗り、デイサービスで5年ほど働いた。

 

振り返れば、自分からやろうと思ったことはない。
とはいえ小学校に体験から、障害があることに違和感もない。

 

そんな流れに身を任せた現在、ヘルパーと登録手話通訳者に仕上がった。

 

流される私の趣味の一つが沖縄旅行ハイビスカス
10年以上は年に何回か訪れている。
いくら観光スポットが多いとはいえ、さすがに興味のある名所の在庫も尽きてくる。

 

と、いうことで地元の手話サークルに行ったりもする。
手話という言語は、他の音声言語と同じように、いや、それ以上に地方色が強く方言が多い。
なので、お互いに初めて見る表現も多く楽しく交流できる。

 

沖縄手話サークルメンバーとの記念写真

(沖縄県中頭郡西原町 手話サークルふじ)

 

那覇の街や他の街も、ほかの地域と同じように、身体的に障害を持つ人たちには行動しやすいとはいえない。と、わたしは感じる。
けれど、車イス利用者や白状で一人歩く視覚障害者をけっこう見かける。
以前、たまたま再会した車イスの友だち(東京在住一人旅)が「バスの運転手が優しくて親切だった」
と言っていた。インフラも大切だけれど、やっぱ「ゆいまーる」の沖縄だからでしょうか。

 

東京在住の友だちとちんすこう写真

(東京在住の友だち)