国立競技場の聖火台 | 花よりあんだんごと嵐

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うちの子どもの通う小学校の今月の学校だよりが、今月の初めに配られました。


そのお手紙に聖火台の事がかいてありました。校長先生が書かれたお手紙です。


普段、学校の手紙って。。。


なんとな~く読んで、ぽいっとしてしまう私ですが汗


この手紙はアラシックの皆さんにも知ってほしいなぁと思ったので


ブログに載せたいと思いますニコニコ




 東京の国立競技場。バックスタンドの最上段に、円錐を逆さにした格好の聖火台が鎮座する。

東京のシンボルだ。日本初のオリンピックの火を灯した聖火台。手がけたのは鋳物産業で栄えた川口市の鋳物師、鈴木萬之助さん、文吾さん親子。

 萬之助さんは銅像や仏教彫刻などに用いられる鋳造技術「惣型法(そうがたほう)」の名工で、上野の西郷隆盛像の製作を彫刻家である高村光雲のもとで手掛けたこともある。

文吾さんもまた、子どもの時分から父親の元で修業を重ねた腕利きの職人だ。

 聖火台の製作は、オリンピックの前に開催するアジア競技会に間に合わせるために、国が当初は大手造船会社に発注したが技術も手間も要するということで交渉が難航していた。

萬之助さんに話がきた時に、「国の仕事ができるのは名誉な事だ。金銭的には全く採算は合わないが、鋳物師の仕事はお金じゃない。」という職人の心意気から引き受けた。

そして、製作期間3ヶ月という中で、親子で聖火台の作成に取り掛かった。

 しかし、直径2.1mある聖火台の製作は簡単ではなかった。萬之助さんは、1400度の鋳鉄を鋳型に流し込む作業で失敗をしてしまい、そのショックと過労とが重なり寝込んでしまった。そして、8日後に帰らぬ人となった(享年68歳)。

 一方、文吾さんは、父親の失敗直後から仕事を続け、再挑戦していた。なんと、萬之助さんが亡くなったことも家族が文吾さんの仕事に影響するからと聞かされてなかった程だ。しかし、近所の方の知らせで、亡くなった父親の見送りだけは何とか行えた。

 その後、文吾さんは不眠不休で仕事を続け、2週間後に見事に重量感ある聖火台を完成させた。「親父できたよ。引き受けた仕事は命がけでやるのが職人。親父はそのことを教えてくれた。」とようやくできあがったその聖火台を前に涙ながらに語った。

 聖火台には「鈴木萬之助」を略した「鈴萬」の文字が刻み込まれている。「虎は死して皮を残すというが、職人は名を残す。親父への恩返し。」という文吾さんの思いが込められている。希望と勇気を持って、最後までやり遂げた文吾さんは偉大な職人である。

(彩の国道徳資料参照)


すごいですよねーしょぼん


あの聖火台がこんなふうに造られてたなんて・・・知りませんでした。


偶然でしたが、この前めざましテレビで聖火台を磨いてる映像をみたんです。


1年に1回、遺族が中心となってごま油で磨いてるんですって。


室伏選手も4年前から参加してると。


遠く、高い場所にある聖火台。。。


近くでなんてもちろん見た事ないし、どんな形、デザインなのか全然わからなかったけど。


めざましで、黒光りした素敵な聖火台を見る事ができて、なんかすっごく嬉しくて、感無量でした。


国立競技場。。。来年から工事始まるけれど。。。


聖火台はどうなるんでしょうね。。。


競技場は新しくなっても、聖火台はそのままでいてほしいなぁニコニコ