2011年(平成23年)に

中国・内蒙古自治区の区都 呼和浩特(フフホト)に行きました。

で囲ったところが中国・内モンゴル自治区です。

がフフホト

がエレンホト

 

フフホトはモンゴル語で「青い城」という意味です。

フフホトの人口は約100万人ですが、80%は漢族で、

モンゴル族は13%ぐらいです。

モンゴル族の友人が、

国は違ってもモンゴル国のモンゴル人と自分たちは

同じ「モンゴル人」なんだと、強く言っていました。

これには過去の事件も含む微妙な問題があるので、

ここではこれ以上触れません。

モンゴル国の人々も含めると「モンゴル族」と言ってしまえないほど

民族が複雑なこともあり、

「モンゴル族」という言葉を使わず

「モンゴル人」と言うことにしました。

 

 

フフホトには1980年ごろには

車は3台しか走っていなかったそうですが、

これは2011年のフフホトです。

混んでいるときは車がぎっしり。

 

 

一方、ロバも果物を載せてゆっくり歩いていました。

 

 

古い建物は壊され、新しいマンションがどんどん建てられています。

 

 

そのため、至る所工事中です。

乾燥している時期にはとても埃っぽいのに、よけい埃っぽくなります。

風が強い日には、砂嵐が襲ってくるようです。

 

 

フフホトのデパートの中にある吉野家です。

モンゴル文字と漢字で看板が書いてあります。

メニューは日本のものとずいぶん違いました。

 

 

 

大召(チベット仏教であるラマ教寺院)

明代に建てられた、フフホトで最も古いチベット仏教寺院です。

「召」はチベット語起源のモンゴル語でお寺のことで、

「大召」は大きな寺院という意味です。

中国語では「無量寺」と呼ばれます。

 

 

 

清真大寺(イスラム教の寺院)

この地域にはイスラム教を信仰する回族が集まっています。

 

 

 

五塔寺

チベット仏教寺院の建物の一部

300年前に作られたモンゴル語の石刻天文図があります。

 

将軍衛署

清朝時代に西北の防衛のために建てられました。

満州族の遊牧生活の紹介もあります。

 

 

 

王昭君の墓(青冢)

古代中国四大美人の一人である王昭君は、

前漢の時代に匈奴の呼韓邪単于に嫁ぎました。

 

人民政府がここの観光に力を入れて整備していますが、

地元の人たちは、あまりここには行かないと言っていました。

 

 

 

満都海公園

この公園は、6月の初めごろに花がとてもきれいです。

5月はなんだか肌寒いと感じていましたが、6月になると一気に暑くなり、乾燥してきます。

7月は、給水車が水をまきながら道路を走ります。

 

 

植物園

 

 

植物園の中にあるウランフ(乌兰夫)の像

内モンゴル自治区の初代主席です。

この地が中国の内モンゴルとしてなんとか収まるまで

紆余曲折があったので、

軍人だったウランフさんも苦労されたと思います。

 

 

内モンゴル博物館

恐竜の化石や、モンゴルの歴史などを紹介しています。

 

 

市民には、こちらの古い建物(内モンゴル博物館)が親しまれています。

展示物はすべて、新しい博物館に移りました。

 

人民政府

側に馬の像があります。やはり馬はモンゴルの象徴です。

 

 

人民政府の近くの川では、夜になるとカラフルな噴水ショーが行われるので、

人々が集まってきます。

 

 

 

これは、爆破事件ではありません。このホテルで結婚式が行われたので、

お祝いの爆竹です。すごい音がするので、とても近所迷惑でした。

 

 

 

 

これは、わかりにくいけれど、花火です。

大きな通りで、勝手に打ち上げている花火なんて信じられません。

 

 

草原にも行きましたが、フフホトの近くは観光化されています。

 

モンゴルではゲルと言いますが、内モンゴルでは包(パオ)と言います。

   

 

蒙古馬はかわいいと思いませんか ハート

この馬に乗りました。

 

二胡の名曲「賽馬」のことを思い出しました。

黄海懐が1960年ごろに作った曲です。

内モンゴルの夏の祭り「ナーダム」での馬の競走に着想を得て、

内モンゴルの民謡旋律をモチーフにして作曲したそうです。

馬の蹄の音や嘶きが入り、

馬が疾走する場面が目に浮かぶような曲です。

残念ながら作曲者の黄海懐は、

文化大革命に巻き込まれ32歳の若さで亡くなってしまいました。

この曲は今も中国の人々に愛され、進化し続けています。

 

 

 

 

モンゴル服を作ってもらいました。

右が作ってくれた萨琪日さん

 

 

日本語学校です

 

 

 

フフホトに来る前に聞いた話と違って、なんと学生が二人だけ。

(哈斯格日勒さんは、東日本大震災のためだと説明したが…)

 

二人とも日本に留学したくてとても熱心に勉強していました。

 

クーちゃんは、小学校はモンゴル人の学校に行ったので、

中学校になって初めて中国語を勉強したと言っていました。

だから、中国語も漢字も得意ではありません。

日本語を一生懸命勉強して、日本に留学して、

いい仕事に就きたいと話してくれました。

 

サッちゃんもモンゴル人だけれど、

漢族の中国人と同じように中国語も話します。

日本語も上手です。内蒙古大学の学生で、

漫画の『NARUTO』が、日本語の話し言葉を勉強するのに

おもしろくていいと言っていました。