ヒトが人である理由。
それは多分走るというところに在るんじゃ無いかって思った。
頭が良いとか、手が器用かとかでは無く。


僕らがお猿さんだったころ。
進化の段階として、チンパンジーと枝分かれする前。
小学生のときNHKの番組でやっていたけど、僕らのご先祖様はみんなアフリカの木の上で生活していたらしい。足以上に手駆使し、ほんとにおサルと一緒。木の上で枝から枝へ。
天敵もいない。食べ物もある。まさに楽園。
ところが、何かしらの自然災害(おそらく噴火や地殻変動等の災害)によってヒトは木の上って楽園から叩き落されて、ヒト々はその後荒野を文字通り自立して歩まなくては行けなくなった。
地上は間単に手に入る食べ物も無く、四つん這いで鈍間に歩く猿なんてむしろ簡単に仕留められる獲物でしかなかった。そんな中で、進化というふとした遺伝子の悪戯のによって四つん這いにならず後ろ足の二本だけで歩行するものが現れた。
それがヒト。らしい。
アフリカの大草原のど真ん中、掴む枝の無い猿が生きおれが残る条件として二足歩行がマッチした。
二束の足で直立して歩く、これがヒトが今爆発的に世界中に繫栄する第一歩だった。

ヒトが人であるという最初がこの直立二足歩行の話で、それ以前、ヒトは猿だった時分、ヒトは二足で直立して走るということは無かった。
ヒトが人となった時にやっと初めて走る衝動が生まれたはずである。
もしかしたら、走るヒトとしての最初の衝動だったかもしれない。
長すぎる、あるいはマニュピレータとして特化しすぎた前足が邪魔でうまく走れなかった。
でも今は後ろ足だけで立つことができる。

走りたい。

俺がアダムやイヴだったらそう思っただろう。
自由度が違う。
邪魔なものはもう無い。
敵から逃れ、獲物を追い、まだ知らない場所へ行こうと。

それは本当に初期衝動だと思う。
だから人は今でも、マラソンや短距離走っていう最も単純な動作で最も速い者に感嘆し、最も塁を盗む者を賞賛し、最も早くフィールドを駆け抜けボールを運ぶものに世界は興奮する。

そう思った。単純に自分には出来ないから以上に、それが感動を生む理由なんじゃないかって。

この二週間の内、最初の一週間ずっと躁鬱だった。
自分で自覚したわけじゃなく、他人に言われてあぁそうかと思った。
気分転換してみようと思ったら、何故か走ろうと思った。
それで本当にジョギングを始めたら、すごくスカッとした。
何か違うものが分かった気がした。

それが何でかな?って思ったとき、この大昔のお話を思い出した。


誰かが不幸だとか言うつもりは無い。
不幸かどうかは他人が決めることじゃない。
今、この足で走ることが出来るのは幸せだと思うんだ。
カルビーのピザポテト、明太マヨ味。
素晴らしい。
これは新たな発見だ。

ただ明太マヨなんじゃない。
それがピザで構成されているのだ。
チーズのとろけるまろやかさ、明太の辛味、魚醤などの魚介の成分、そして隠し味の様な焼き海苔の豊潤な香り。
全てがアンバランスになるギリギリで構築されながら圧倒的距離感を保っている。
日本のジャンクはどこまで進化を続けるのだろうか?

これがまた私の好きなフォアローゼスハイボールと抜群の相性なのだ。

期間限定?
ふざけるな、恒久的に販売すべき商品だ。
一人で三千人分の嘆願書を書き込んでやる。






新曲が出来た。
久しぶりに名曲だ。
と思えた。
スタジオ録りした音をiPodにいれヘッドフォンで聴いてそう思えた。
ほぼワンコード。
出てもサビでスリーコード簡潔。
しかも全部簡単なローCode。
やれ、ROCKがどうだこうだ言うのは節操がなくて嫌いだけど…。

シンプルがロックならこれはROCKだし、それで良いと思えたのは初めてかもしれない。

タイトルは「砂時計」

メロディー自体は三年前ぐらいからあってホントに大事な歌だった。
そして大切な曲に仕上がりそうだ。

みんなに聴いて欲しい。

僕には資本主義も共産主義も無い。

国家主義?国粋主義?どう違う?

全体主義、個人主義。

権威主義者、アナーキスト、議事堂を奪い合え。

右だの左だの言って騒ぐ連中は上手く説明してよ。

あんたらの正しさは僕にとってどれだけ正しい?

どれが誰をどれだけ救える。

僕には僕の近くの人たちが幸せになる方法が必要だ。

親父がもう頭を抱えずに生きて行ける社会にしたい。

あの人がもう家族を見捨てずに済む神様なら許してやる。

じいさん、ばぁさんが独り寂しく逝く場所を高い金をかけて作るのは福祉じゃない。

僕の側にいる人たちが少しでも笑って楽しく過ごせる世界にしなきゃいけない。