当日、2日めと様々な感情を感じたわたし。

事故当日

 

2日め

 





朝晩、ビデオ通話ができるようになり、
ようやく色々聞けたからか、
随分と落ち着いて来ました。

が、
顔についた痛々しい傷を見たり、
お風呂に入れないだろうと持っていった
顔や体を少し拭けるシートも
動けず、まだ見れてない。
トイレができない。
と、聞いてしまうと、

ズキズキ痛む私。

そしてやはり矛先は病院に向かってしまう・・

個室なのに。
私は熱もないし、風邪も引いてないのに。
他のところは家族だけは面会できるって聞いたのに。
家族が出来ない分、少しは気をつけてよ・・

荷物を持って行っても、受け取るだけ。
受け取ってすぐ渡してくれない。
様子もわからない。
ビデオじゃ部屋の様子もわからない・・

悶々もんもん・・

こんな自分の悶々、もどかしさにタッピング。

「痛々しい、かわいそう、1人でかわいそう、痛そう

    我慢してる、なんでなん?なんで面会もあかんの?

    こんなんじゃメンタルが病気を悪化させるうんちゃうん?

    冷たい、冷たい・・」

と、出るのは、主人の気持ちや病院に対する不満ばかり。

 

トントントントンしながら、

思いの丈をぶちまける。

心臓がバクバクしてきて、

あ、、不整脈・・と気づいて、

自分のこの、心臓のバクバクにタッピング

 

「こわい、やっぱりこわい、不安、不安で仕方ない

    かわいそう、ほんとつらい、何もしてあげられない

   そんな自分がいや、何もできない」

あ〜・・こんなに大事やから不安になって当たり前よね・・

 

それに気づいて、

自分自身に意識を向けて

不整脈にトントンし続けつつ。

 

でも、思い起こしたら、

 

「ひげそり充電しといて」
「ズボン滑りやすいのを試したい」
「本、ずっと読んでる」

彼が私に話すのは、
いまの不快をどうするか?

と、
これからのこと

悲観的になっていたり、
もちろんストレスはあるやろうけど、

今の現実をちゃんと受け入れている。
クッション持ってきてほしいとか
居心地の良さを追求してる。
この時点ではまだうまく看護師さんに
頼めないみたいなのも自分でわかってる。
私達のライブ配信の休止の記事もUPしている。
しかも、自撮りして^^;

あ〜・・やっぱり私、
自分の気持ちの行き所や
自分の存在のちっぽけさに
彼が1人でなんでもできることに
がっかりして悲しいんやな。(寂しい)

と、気づいたら、
不整脈も治まり、
すんっ・・・とした自分になっていました。

 

彼が、いまここ。をちゃんと受け取り、
まぁ・・動けないから受け入れるしかないんだろうけど、

とにかく痛みがきついし、

あれこれに意識が行っていない。

それが現実。

 

なら・・わたしはなにする?


自分の気持を抑え込むのではなく、

自分自身の心配や不安、

怒りのエネルギーに

ちゃんと気づいて、

気づいたらタッピングして、

穏やかな自分であること。

きっと、それは、

彼にも影響する。

今まで目の当たりにしてきたのに・・
病人本人はもとより、
その周りにいる家族が
怒りや不安、悲しみを感じて
我慢して溜め込んでいる方が、
本人にとってよくない・・

って見てきてたのに。

ついつい、、はまり込んでいたなぁ・・と。
自分のエネルギーの状態がどうか

それをちゃんと自分で認識して、
他人から観ても整っていることが
どれだけ重要か。

どこか、私はタッピングしてるから・・とか
気づいているからとかおごりがまだ、あったんでしょうね。


だからここで決めた。

 

わたしは、私を整えよう。
来週からの個人セッションも、
自分自身が受けるセッションやセミナーも全部いこう。
こんな時だからこそ、自分を整えることに
エネルギーを使おう。

って。

そしたら・・です。

色々、このあと、展開したのです。


色々なことが起こったとき、

どうしても人は揺さぶられ
過剰に反応して過剰に行動してしまいます。
私もご多分にもれず・・
ではありましたが、
 

彼自身が大丈夫!というのを見せてくれ、
そこに私は絶対信頼を置いていく。
彼の痛みは私にはわからない。
けど、それを観ている自分がつらい。
そこに気づいていく。
そのために自分の感情を見逃さず
きちんと出していく。

どれだけ人は
自分自身のことを観られてないのか?
どれだけ人は

自分のそのキャパや
自分のエネルギーを過信しているのか。

自分の心配を人に送り、
自分の傷を癒そうとしてしまうのか・・

ほんと・・
大きな、おおきな気づ気がたくさん。

 

忘れちゃいけないですよね・・

ほんと。