人は自分の価値や自分の存在を
低く観てしまう・・
特に民族性もあって日本人はそうかもしれません。

奥ゆかしいとか
優しさとか

それはそれで大事なのですが、

どこか、

あの人みたいに

 

が植え付けられてきたかもしれません。

〇〇ちゃんみたいに・・
勉強ができたら・・
可愛かったら・・
お目々が大きかったら・・

背が高かったら・・
強かったら・・

それは、
何気ない言葉だったり
心配するがゆえの言葉だったり。

なかなか

あなただから

ということを実感して育ってきていない・・

があるかもしれません。

でも、
ここ10年の間に
災害・災難・疫病・・など起こって

自分

という存在と
社会や世間との間で
色々

感じたり
考えたり
なにかやってみたり

して、

少しかたくさんかわからないけど

気持ちが揺れ動いたり
人との関係性に変化があったり

今まで
知らなかったこと
やらなかったこと
感じてこなかったこと

を体感する機会が増えた・・。

そうした体験をした方も
少なからずいらっしゃったと思います。

そんな中・・

自分以外の人の

考え・やり方・感じ方

とちょっと距離を置き
更に
自分自身の

考え方・やり方・感じ方

に意識が向き始めた

という方もいらっしゃり、

今まで
隠してきたもの
知らないふりしてきたもの
頑なにまもってきたもの

が吹き出てきた・・

そんな感覚があります。

それは自分にとって悪いこともいいこともで
ただ、
出てきた・・・だけなんだけど
とてもとてもしんどくて辛くて
嫌なこともあったけど

でも、

その感じきった
考えきった
やりきった先に

あの人のように

はなく

私はわたし

にたどり着く。

私はこれでいい
あのひともそれでいい

それは多分、

誰かを通しての自分
誰かの望む自分
誰かのための自分
大勢の中の自分

ではなくて
自分という存在が
自分でちゃんと認識できるようになったんではないかと。


日本古来の神話では

八百万の神がいらっしゃり

それぞれに役割があって

風の神様

火の神様
水の神様

木の神様
土の神様
・・・・・・・

それぞれの特徴・得意分野があって

それで

 

成り立っている。

多分、、
人もそう。

風は起こせても火は起こせない神さまのように

自分にしかできないこと
あの人にしかできないこと

きっとある。

だから、

それぞれが自分の特徴・得意分野を見つけて

発揮できたらいい。

ゆっくりだけど丁寧にできるのもよき。
ちょっと雑だけど早くできるのもよき。

大事なのは

それぞれが補い合える関係性


だと思うのです。