嫌い
嫌いとまで行かないけどなんか嫌。
苦手・・とかもね。

そんなこと
誰でもあるんですよね。

身近な人だったり
芸能人だったり。

例えば
私ね、
忌野清志郎さん「好き」じゃなかったんです。
どちらかというと


嫌悪感


みたいな。

でも、今好きなんですね。

何が変わったのか?
というと、

自分自身が変わった

 

んですよ。

私の見方・考え方・感性


これが変わったんです。

そして嫌悪感を感じていたのは

自分自身とどこか似ていて
でも自分は不自由で
なんでこの人はこんなことできるの?
なんでこの人はこんなに自由なの?

って、

憧れみたいのが実はあって


嫌悪感=嫉妬

だったんだということ。

亡くなられた時は私もう大人で43歳くらい。
ちょうど、EFTタッピング始めて2年たったくらい。

その時もまだ好きじゃなかったんです。

でも、自分自身がタッピングを続けて
色々な感情表現や
色々な行動をするようになって
様々な体験をして傷ついたり人とトラブったりして

痛みや罪悪感・嫌悪感・正義感・傲慢さ・批判
がある自分
怒り・悲しみ・恐れ

がある自分

白い部分も黒い部分もまるっと自分

 

そんな自分と日々出会ってくるうちに

ふとしたタイミングで
忌野清志郎さんの歌を聞いて涙溢れてきて。

その後、彼のことを見聞きして
嫌いがどんどんなくなって好きに変わって。

彼の歌に込められたメッセージが痛かったし
観たくないがどこかあったんだなぁ・・ずっと。
彼自身とてもとても繊細で優しすぎて恥ずかしがり屋で
自分と世界とのズレがしんどかっただろうな・・

って。
お前が語るな・・ですよね^^;



感覚的に嫌いということで

 

知ろうとしなかったこと。
聞こうとしなかったこと。
やろうとしなかったこと。

って、いっぱいあると思うんです。

それは、とてもとても残念なことだけど
仕方ないことなんです。

それまでの自分を
ひっくり返さなきゃいけない。
観なくちゃいけない。

怒り・悲しみを感じなきゃいけない。

のはとてもとても怖い事で
やり方を知らずにきたから

今の自分を今までの自分を
変えたくないから。

変えるというのは
否定から始まる気がします。

今までの
自分を否定する
親を否定する
社会を否定する

それが辛いのかもしれません。


でも、否定するんじゃなくて

自分の今までも今もこれからも
親の今までも今もこれからも
社会の今までも今もこれからも

そうだったよねって認める

そりゃそうだよねって受け入れる

でも・・
となるのはそれまでの傷があると知る。

そして、
その自分の凝り固まっている

信念・行動を

本当の感情、気持ちがそうさせていることを知る。

知って解放していく。

そうすることで、

抜け出せる道があって

好き嫌いがどっちもいい、どっちでもいい
に変わると

とてもとても生きやすくなっていくのです。

 


俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。

右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね