身内…
と、いうとまず、
“家族”とか“親族”
あるいは、
“同じ会社”とか。
自分に近ければ近いほど、“身内”と呼びますね。
長い時間一緒にいたり、
色々関わりを持つから、
お互いに自分を自然と出すようになる。
気を使ってばかりでは疲れるし、つらくなる。
だからこそ、本当にお互いに気持ちよい、心地よい存在であるはず。
でも一方で、
緊張感がなくなり、
甘えが出てくるかもしれない。
いて当たり前の存在になってくる。
解って当たり前。
やって当たり前。
“あ、うん”の呼吸とはよく言ったもんで、
言わなくても解るでしょ。
これくらいやってよ。
理解してよ。
と、なってしまう。
自分の“思い通り”にしてくれる事は当たり前の事で感謝しなくなってしまう。
例えば、
“おしょうゆ取って。”
これが、友達や先輩相手なら、
“ありがとう”
と、自然に出てくるはず。
でも、家だったらどうだろう。
こんなとっても“些細な”事から、後々何かと残ることまで。。
例えば、
“仕事がきつくて大変”
と、友達が言ったら、
“大変なんだ、よく頑張ってるもんね、毎日…”
と、まず受け入れ話を聴いてあげられる。
でも身内だったら、
“仕事なんだからきつくて当たり前”
とか、
“自分が選んでいるんだから”
とか。
身内だからこそ、
実は心配して、叱咤激励してくれる。
でも、
ずっと頑張れ、頑張れとか、
無理しすぎて心配、心配とか、
甘えてるとか、
言われ続けると
言えなくなる。
身内だから、
心配かけちゃいけない。
苦しめたらいけない。
認められなくちゃいけない。
になってしまう。
当たり前の存在だからこそ、
言わなくても当たり前でなく、ちゃんと自分の
“気持ち、感じていること”
を口にする。
『ありがとう』
『ごめんね』
『愛してる』
EFTをしてきて、
自分という存在に1番影響を与えている“身内”に気付き、
いかに、常日頃から身内に愛と思いやりを持つ事が出来ずにいて、
そして苦しんできたか。
(お互いに)
それを学んでいるような気がします。
週末、
意識して身内の存在に感謝して、
意識して“ありがとう”と言ったらちょっと気持ちいいかもしれませんね。
照れ臭くて言えなかったり、
相手がそうしてくれないから、、
とか出てきたらぜひ、EFTをしてみて下さいね。
と、いうとまず、
“家族”とか“親族”
あるいは、
“同じ会社”とか。
自分に近ければ近いほど、“身内”と呼びますね。
長い時間一緒にいたり、
色々関わりを持つから、
お互いに自分を自然と出すようになる。
気を使ってばかりでは疲れるし、つらくなる。
だからこそ、本当にお互いに気持ちよい、心地よい存在であるはず。
でも一方で、
緊張感がなくなり、
甘えが出てくるかもしれない。
いて当たり前の存在になってくる。
解って当たり前。
やって当たり前。
“あ、うん”の呼吸とはよく言ったもんで、
言わなくても解るでしょ。
これくらいやってよ。
理解してよ。
と、なってしまう。
自分の“思い通り”にしてくれる事は当たり前の事で感謝しなくなってしまう。
例えば、
“おしょうゆ取って。”
これが、友達や先輩相手なら、
“ありがとう”
と、自然に出てくるはず。
でも、家だったらどうだろう。
こんなとっても“些細な”事から、後々何かと残ることまで。。
例えば、
“仕事がきつくて大変”
と、友達が言ったら、
“大変なんだ、よく頑張ってるもんね、毎日…”
と、まず受け入れ話を聴いてあげられる。
でも身内だったら、
“仕事なんだからきつくて当たり前”
とか、
“自分が選んでいるんだから”
とか。
身内だからこそ、
実は心配して、叱咤激励してくれる。
でも、
ずっと頑張れ、頑張れとか、
無理しすぎて心配、心配とか、
甘えてるとか、
言われ続けると
言えなくなる。
身内だから、
心配かけちゃいけない。
苦しめたらいけない。
認められなくちゃいけない。
になってしまう。
当たり前の存在だからこそ、
言わなくても当たり前でなく、ちゃんと自分の
“気持ち、感じていること”
を口にする。
『ありがとう』
『ごめんね』
『愛してる』
EFTをしてきて、
自分という存在に1番影響を与えている“身内”に気付き、
いかに、常日頃から身内に愛と思いやりを持つ事が出来ずにいて、
そして苦しんできたか。
(お互いに)
それを学んでいるような気がします。
週末、
意識して身内の存在に感謝して、
意識して“ありがとう”と言ったらちょっと気持ちいいかもしれませんね。
照れ臭くて言えなかったり、
相手がそうしてくれないから、、
とか出てきたらぜひ、EFTをしてみて下さいね。