東野圭吾さんのミステリー小説です
その名の通り、池の近くを舞台にした殺人の話です
すっげぇ話をそらしますが
最近の私は空前の文庫本ブームなのです
布でできたお気に入りのブックカバーを買ったのです
通販です
それに触れながら本を読むことがとても幸せでたまりません
そんなわけで文庫本ばっか読むようになって思ったんですけど
物語が終わったあとに「解説」ってあるじゃないですか
あれがね~、、、、なんつうかね~。。。。。
解説好きです
「あ、そか。」とか「な~るほどねぇ。」っていう気分になるのはハードカバーにはない楽しみです
でも解説嫌いです
なにぶん、自分は読み終わった後に感想であったり考えをまとめるのに人より長い時間が必要です
読み終わった後に、自分の中で印象にあるシーンをすくいとって
それのどこが良いのか?
なぜそこが印象に残ったのか?
っていうのがわかってようやく思考回路が成り立つので
余計なのものを沈殿させるための、感覚を「寝かせる」っていうことはボクにはなくてはならない時間なのです
だから解説読んじゃうと、まだ何もまとまってないから人の意見が不純物みたいになってしまう気がします
じゃあ、しばらくしてから読めばいいじゃんねぇ?
なんか、なんとなく読んじゃうんだよなぁ。。。。
でも、最近は「読み流す」っていう技を覚えたので「ふ~ん。」って感じで読めます
んで
話戻しますが、今回はこの「レークサイド」の解説について「異義、あり!!」なのです
この小説は映画化されています
ボクは先に映画見て、それがおもしろくて小説読んでみたんですが
解説書いてる人はその映画を、小説に比べると質が落ちていることがわかるだろう、みたいなこと言ってます
ちょっと待ったあああぁぁぁぁ
用は映画は小説に比べるとミステリーとしての部分が割愛されており、それがミステリ作品として薄くなっているみたいなことを勝手に解釈しましたが
いやいやいやいや
映画なんだから当たり前だと思いませんか?
映画は本と違って振り返ることが出来ないんですよ?
ミステリー小説をそのまま映画にしたら台詞長くなるし、話が複雑になって見てる人疲れちゃいますから
だからこそ、この映画はミステリーとしての要素が薄くなってもそれを補って余りある「人間の深い表現方法」をとってるんだと思います
「表情」や「間」を大事にしてました
「小説を映画化」することを上手にやった作品だと思います
映像が出来ることをしっかりわかっているから、文章を映像に置き換えるときに正しい変換の仕方が出来るんだと思います
豪華な役者陣の演技力、もかなり大きいけど。。。。
なんか、「映画は小説には劣る」、みたいな気風ってありますよねぇ
どうなんでしょうねぇ?
まぁ、小説がオリジナルですからねぇ
シナリオで勝るなんてできないでしょうが
そういうことをこの解説書いた人が言いたかったのはわかりますが、それじゃまるで映画が「なっていない」、みたいな感じが引っかかったんですね
