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前回の続きです。



いずみ先生は言いました。

「麻美ちゃん、この筋肉の意味はね、


"愛と隠している感情"なの。


ほんとうは両手を天にあげて、


天からの愛をいっぱいに受け取りたい。


でも、それが出来ないのは隠したい


感情があるっていうこと。


何か思い当たることある?」



いずみ先生にそう言われて、


頭をよぎったのは小さいころの思い出。



でも、口に出すのは憚れました。


そのことを、隠している感情だと


自覚していなかったし、


個人的なことをワークショップの中で


話すのは勇気がいりました。



どうしたらよいのか迷っている私に気づいて、


いずみ先生が言ってくれます。


「(感情を)出して良いんだよ。


今のままじゃ、カラダが嫌だって言ってるよ。」



その言葉を聞いて、


やっと口に出せたのは母のことです。




すこし話がそれますが、 


私の父は私が5歳になる頃に会社を興し、


それまで専業主婦だった母も、父とともに


フルタイムで働くことになりました。


両親とも休みは元旦くらい、


常に電話番が必要な職種だったため

家族で外食や旅行に出かけることは


ありませんでした。




母はなんでも自分でやりなさい、


自分で決めなさい、と


私や兄姉に言っていました。



私たちが自立するよう育ててくれたのも


あるでしょうし、母に気持ち的にも


時間的にも余裕がなかったのもあるでしょう。






頭をよぎった思い出は


私が小学生で熱を出したときのこと。



学校を休むかどうか、


それも自分で決めなさい、と


母は言いました。



私は  "休みたいけど、


休むとズルをしているみたいになるのかな?


休んだらダメなのかな?"と思い


ふらつきながら学校に行く日もありました。




でもほんとうは


「熱があってつらいね。


学校を休んで良いんだよ。」と


母に言ってほしかった。


小さな私に優しく声を掛けて欲しかった、


受け入れて欲しかったのだと今はわかります。



自分で決めなさい、と言われることは


突き放されているようで悲しかったし、


寂しかった。



だけどこのことを、


そんな風に悲しいとか寂しいとか


考えたことはそれまで一度も無かったんです。


母のそういった躾で、


私も自立できたし、と


感謝しているくらいでした。



でもいずみ先生のキネシオロジーを受けて、


私の心の奥は違う感情を持っていたのだと


気づきました。



胸のつかえが取れた後は


涙が溢れるように流れて、


気持ちが穏やかに鎮まっていくのを感じました。





続きます。