ご訪問ありがとうございます
今日はちょっと考えごとを。
少し重たい内容なので、
得意じゃない方は(得意な人がいるかな)
スルーして下さいませ
私は山田ズーニーさんが好きで、
「ほぼ日刊イトイ新聞」で掲載されているコンテンツを毎週読んでいます。
昨日のテーマは“足のある表現“ということでしたが、
私がその中で注目したのは、引用されていた
”連鎖“という昔のテーマです。
http://www.1101.com/essay/2005-08-24.html
ズーニーさんが、ある人から悪意のメールを受けた後、
自分のなかで消化しきれず、
関係のない自分の母親に、その悪意を向けてしまった、という内容です。
”悪意は連鎖する”
まず、ご自分の苦しい体験を表現して下さったズーニーさんに感謝します。
そして、悪意について…
これはほんとうに考えさせられます。
生きていれば、大なり小なり悪意を受けることもあれば、
悪意を人に向けることがあると思います。
少なくとも、私はそうやって生きてきました。
メールで受けとる悪意は、なかなか厳しいです。
手紙と違って、相手の温度が感じられないですし、
温度のないその文章を、何度も読み返すことができます。
言葉は、受けた瞬間よりも、時間をかけてじっくりと、
深く深く自分の中に染み込んできます。
でも悪意を向けられることを、私はその相手にしてしまったのだと、
振り返り、そして考えることにつながります。
必ずしもそう思えるわけではありません。
納得できないこともあります。
でも、どちらかだけに非がある、とは言い切れないと思います。
次回へ続きます