『旅日記』 中川えりか
青い空、赤茶の土。
緑の中にひっそりと佇む苔生した石の遺跡。
終わりかけていた夏、再び。
少し動くだけで、汗がにじむ。
肌が焼ける。息が苦しい。
カンボジアに行ってきた。
『天空の城ラピュタ』のモデルになった遺跡があるという。
曲がりくねった根を持つ樹とか、
神秘的な石像とか、
優しい東南アジアの人たちとか、
夢のバカンスとか、
そういうイメージで。
下調べは旅行のガイドブックだけ。
「なんだか危険そうな国だなぁ」
とは思った。
女性は夜は絶~っ対に出歩かないでください。
地雷がまだあるので、勝手にほっつきまわらないでください。
しかし日常から離れる楽しい旅。気楽な気持ちで飛行機に乗った。
着いたところは、熱帯の、貧富の差の激しい現実だった。
もちろん、ホテルを予約していったのでゲストとして扱われるのだが、
それがなんだか心地よくない。
気のせいかもしれないけど、媚を含んでいるような、その裏に嘲りの感情があるような、笑顔が怖い。
ここは、観光地である前に、彼らが生活している場所である。
当たり前のことが抜け落ちていた。
カンボジア。
そういえば。
小さい頃見た「恵まれないカンボジアの子供に愛の手を」というテレビコマーシャルは、
インパクトが強すぎて怖かった。
『地雷を踏んだらさようなら』という映画のタイトルを思い出した。(観てないけど)
とんでもないところに来てしまったのではないか。
しかし、後の祭り。
深く考える前に、遺跡めぐりの旅程が始まっていた。
太陽と土ぼこりと、足に伝わる硬い石の感触が、どんどん体力を奪っていった。
こんなに体力なかったっけ?
とびっくりするぐらい、午後にはぐったりしていた。
それでも遺跡めぐりは続く。
有名な遺跡にはお土産屋がつきもので、
「オネエサン、5個1ドル~」「ヤスイヨ~」
とどこまでも、声が追いかけてきた。
小さい子供は愛らしく、買えないと言うと悲しそうな目をしていた。
ある遺跡で、一体だけ、オレンジの綺麗な布をつけている像があった。
眺めていると、お坊さんらしき人が出てきて、お線香を渡しながら
「こうやってお祈りするんだよ」と言っているようであった。
見よう見まねでお祈りすると、お線香の代金を払えという。
ある遺跡では、4歳くらいの女の子3人組が遊んでいた。
カメラを向けるとピースサインをして応じてくれる。
うれしくなってパシャパシャとっていると
「キャンディー」と一言。
ああ、ギブアンドテイクだよね。そうだよね。
彼女たちは彼女たちなりに、「商売」をしているわけだ。
よく見ると女の子たちはそれぞれの一張羅を着ていることがわかる。
もしかしたら、違法だから見かけたら知らせてくださいと広告が入っていた、
もっと本格的な「商売」もしているのかもしれない。
原付バイクのタクシー「トゥクトゥク」のおじさんと少し個人的は話をした。
朗らかに笑いながら、僕には子供が3人いるんだ、と言っていた。
ちょっと仲良くなれたのかも、と思った。
次の瞬間、「今日の代金は30ドルだ」と言われた。
昨日の20ドルでも相場よりは高いのに。
疲弊を感じる間もなく、
日にちが過ぎていった。
そして、ラピュタのモデルと言われる、ベンメリア遺跡を見に行く日が来た。
正直、もう行かなくてもいいかなと思っていた。
遺跡なんてどこへ行っても同じだし、
群がってくる人たちに対して、なんらかの感情を抱いて、
勝手に裏切られた気持ちになって疲れるのも嫌だった。
でも、せっかく来たんだし、このまま帰ったら負けのような気がして、
少し早めに起きて身支度をした。
ガイドのサムアートさんは、笑わない人だった。
淡々と、丁寧な日本語で、口癖であろう「なんか」を連発しながら、
カンボジアのこと、遺跡のことを説明してくれた。
知らないことがたくさんあった。
昔、貯水池だったところで、今は稲作がされていること。
昔ながらの高床式住居では、昼は人間が下で過ごし、夜は牛が収納されること。
今でも、電気がない家は、夜ろうそくですごしていること。
車で移動していることの贅沢。
彼が綺麗な日本語をしゃべればしゃべるほど、
貧富の差は確実に広がっていることが分かる。
そうして、ベンメリアに着いた。
青い空、赤茶の土。
緑の中にひっそりと佇む苔生した石の遺跡。
少し動くだけで、汗がにじむ。
肌が焼ける。息が苦しい。
しかし建物に入るとどこかひんやりとしていて、
ここが大切な場所だったことがわかる。
静かというには、有名になりすぎてしまったようだったが、
それでも素敵な場所だった。
昼は、また違う遺跡の前でお弁当を食べた。
犬が三匹寄ってきた。
「その美味しそうな匂いのをわけてよ」
と、彼らは言いはしなかった。
ただ、足元に寝ていた。
そのころには食欲もなくなっていたので、たくさんあったおにぎりをその鼻先にやった。
すると、当たり前のように、手から食べた。
なんだかうれしくなって、ほとんどのおにぎりを彼らにやってしまった。
少し良い気持ちのまま、目の前の遺跡に赴いた。
驚いたことに、三匹いたうちの一匹が
「ついてこい」
とばかりに、先の道を行く。
とうとう、ピラミッド形の遺跡まで案内してくれた。
草原でついついバッタ取りに夢中になったり、
水溜りでカエル取りに夢中になったりしてたけど、
うれしかった。
いぬ、ありがとう。
遺跡の入り口までちゃんと送ってくれて、
帰り際は
「礼なんていらねえよ」
とばかりに、ぷいといなくなってしまった。
ギブアンドテイク。
そういう意味では、件の三人組の女の子や、お線香のお坊さんも、同じなのだ。
勝手なイメージで、表情を読んで怖いと思ったり、
普通のことを悪意のように感じてしまったり、
それでなにか嫌な感じになってしまっていたり。
突然ふってわいたような暑さに、夏バテしたのかもしれない。
あたりまえのことをあたりまえに受け止めること。
勝手に想像しすぎないこと。
「あなたは考えすぎる」
誰にかいわれた言葉を思い出して、苦笑する。
弱ると、つい癖がでるのだな。
気分はやっと晴れて、
オールドマーケット(勝手に命名:ぼったくり市場)での、
値切り交渉もコミュニケーションとして楽しくできた。
アンドレのみんなにお土産も買った。
よぉし。
なんか元気になった。
旅に出てリフレッシュ。
今回は、日常を忘れてではなく、日常の悪い癖を自覚する旅。
たまには、いいかなと思う。
像に乗ってサンセットを見る
というのと、
バルーンからアンコールワットを見る
というのができなかったから
また行くのだ。
それに、パパイヤやマンゴー、スイカなんかの果物がとてもとても美味しかったから、
また行くのだ。
きっとまた、すごく絶妙なタイミングで。