もう本当に弱っていて手抜き記事ですみません……
手抜きしたいわけじゃないんです!
集中力が持たないんです!
一週間以内に上げられそうなのは『論語』の記事です。一応予告。
さて、去年末くらいから、孫登四友にはまっています。四人の友です。
とても簡単に説明すると
孫登のお勉強教え係件お友達……みたいなものでしょうか。
■メンバー紹介■
孫登(子高) 209~241(享年33)
諸葛恪(元遜) 203~253(享年51)
張休(叔嗣) 上限201~241以後(享年41)(孫登より後)
顧譚(子黙) 上限202~243以後(享年42)
陳表(文奥) 上限203~236以後(享年34)
孫登……は、もしご存知ない方がいらっしゃったら
今日はぜひ覚えて帰って行っていただきたいのですが(笑)、
孫登ちゃんは孫権の長男で、太子だった子です。
三国志スキーの方はきっと“二宮の変”という言葉をご存知かと思います。
権様が、太子を孫和と孫覇のどちらにするかで揉めたという話です。
(↑本当は権様と言うよりも、孫和派の臣vs孫覇派の臣で揉めたのですが……
長すぎて複雑すぎて今回は説明しきれないので省略)
どうして揉めることになってしまったのか?
それは、もともと太子であった孫登ちゃんが
早くに亡くなってしまったからなのですよね……
本当に残念です。
と、悲しい話になってしまいましたが、
去年から、孫登&四友の妄想をして楽しんでいます。
この五人がとても萌えるということをお知らせしたくて記事を書いたのですが……
この記事だけでは資料に欠けすぎていて、まだ萌えられないと思います。
いつか萌えていただけるように精進します!!(?)
ちなみに
諸葛恪→諸葛瑾の長男
張休→張昭の末子
顧譚→丞相・顧雍の孫
陳表→陳武の庶子
です。
こんな名だたる臣の子や孫が、孫権様の長男とお友達だったとか
興奮しますよね。激萌えですね。
個人的にはやっぱり諸葛恪が一押しなのですが
(↑孫登に「馬糞を食え」と言われる関係的な意味で)
孫登ちゃんの本当のお友達としては張休や陳表が王道かと思います。
三国時代に入ってからの三国志は難しい……
と考えられる方も多いと思いますが、
萌えから入っていけばすんなり馴染めるようになっていきます!
「萌え」というと嫌なイメージを抱く方も多いとは思うのですが、
人物像に共感を覚えたり、ある事柄が本気で気になったり……、
そうやって何かしらの興味を持っていくところから始めないと
歴史に深く入り込んでいけないのではないでしょうか。
私はそうです。「萌え」か「燃え」か「尊敬」から入ります。
逆に何の興味も抱かなかった人物や国のことは
歴史上どれだけ大きな存在であっても、すぐに忘れてしまいます。
諸葛恪には完全に萌えから入りました。
しかし私もまだ三国時代以降のSNG(孫呉)では
諸葛恪一人に萌えている状況で、
まだ諸葛恪の他の推しメンを作れていません。
『三国志』呉書に一通り目を通した日からだいぶ日数も経っていますので、
もう一度呉書を読み直し、新しい推しメンを発掘したいと思っています。
皆さんも呉後期の推しメンがいたらコメントで教えてください!(笑)