これって私がアダルトチルドレンだからなのかなって思うことを思い出した時に書いていこうと思います。


今日は私にとって物凄くタイムリー?な話題。


■のんびりできない

のんびりというのは、ゆったりリラックスして何もしない状態と思って下さい。

私はこの状態を意識してすることが出来ません。

何故なら罪悪感を抱くからです。

何もしないこと=悪い事

だと思っています。

ふつうの人?がどうなのかはわかりませんが

「よし!今日はのんびりすごすぞ~!」

というのが私には物凄く悪い事でしてはいけないこと、のように思えるんです。

でも不思議なことに他人がそうやって過ごすことに対しては何も思いません。

自分がそうすることについて、とてつもない抵抗感があります。


でも、例えばうつ状態のときやあまり元気のないとき、何かをするのに気乗りしないときってありますよね。

その結果、一日何もせずにネットサーフィンをして終了してしまった。。。。


そんなことも少なくありません。

そうするとどうなるのか。


途方もない絶望感・罪悪感が襲ってきて

「自分はなんてダメな人間なんだろう」「これだから私はダメなんだ」「こんなことだから誰にも好かれないんだ」「こんな私を好きでいてくれるのなんて結局両親だけなんだ」「両親以外に私を愛してくれる人なんていない」「………死にたい。。。。」

という負の連鎖に陥ります。


たかだかリラックス出来ないだけでここまでいくことに、ふつうの?人は理解できないかもしれません。

私も書き出してみて「なんだこの思考回路(笑)」ってなります。


でも、例えばうつ病の人とかって、こういうふうに考えることあるんじゃないかなって思うんです。


私は精神的な病気になる前からこういう性格?なところがあって。

でも若くて(笑)バイタリティに溢れて体力が今よりもあった時は「休むという事」をしませんでした。

そういう時って物凄く自分の人生が充実している感じがしていたんです。

そういう意味では、私の人生の頂点は中学時代でした。

寝る間も惜しんで勉強して、自分で自分を管理しながら時間を工面して読書の時間を作る。

読書をしているので一見リラックスしているようなのですが。

今思うとそれって休んでいたのかな???って。

知的好奇心は満たされていましたけど、心も身体も休んでいなかった気がするんです。

寝不足で頭が痛くても、時間がないから寝る時間を削って小説を読んだりしていましたから。


高校に入って勉強にまったくついていけなくなって(笑)

これじゃダメだとわかっているのに何もしたくなくてあまり授業にも出ずにダラダラしていました。

中学時代のストイックな私から一転、物凄くだらしない人間になってしまったんです。

それを見た母が「中学時代のあんたのほうが時間の使い方がうまかった」と言いました。


まあ、まったくもってその通りだったんですけど、その時の私にとってその一言は「今の私を否定する言葉」としてずっと私の心に棘として刺さっていて今も抜けません。




じゃあ私はどうなりたいのか。


私は、何もしない、ダラダラする私をそんな私も私で、悪い事をしているわけじゃないんだと許容してあげたいです。

確かに、仕事の勉強も、掃除も、洗濯も、料理もしなきゃいけない。

でも精神的に病気になってから大好きだった読書も苦痛な時があります。

だからもう本当に八方塞がりで。

そんなときもあるし、それは悪い事じゃないんだよって教えてあげたい。

元気のあるときに、やれることをやればよいし、気乗りしないときに無理に何かをしなくていい。

私の「気乗りしない」はうつ状態のさせること、つまりは病気のせいだから、それはどうしようもないし。

そうやって意識して生きていけるようになればいいとは思うんですけど。


これがなかなか難しいですね。。。。





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