はじめまして。餡子です。他にも同じ「餡子」名義でブログを書いていますが、そちらとは趣旨がちょっと違うこと、また大学の恩師(産業カウンセラー)に手記を残してみたらと助言されたので新しくブログを始めることにしました。
自分の今の気持ちの整理と、出来れば生きていく気力に繋がったらという希望を持ちたいと思っています。
日本語可笑しかったらすみません。
あまり集中して文章を組み立てる事が今とても難しい状況です。あんまり頭が働かない。

事の始まりは、福島に居る主治医に母に薬を取りに行って貰った時の話です。
その少し前に私はウサギを飼い始めました。仮に名前を「坊ちゃん」とします。男の子なので坊ちゃん(仮)です。
ウサギを飼おうと思い立ったのはとても衝動的で、炬燵で2chのまとめサイトをボーっとして見たいたら不意に思いついたんです。「そうだ、ウサギを飼おう」って。
元々ウサギが大好きだったかと言うと、まったくそんなことはなく、同居するならおネコ様と以前から考えていました。でもネコや犬は一人にするのは淋しそうだし、その点ウサギは一人で居るのが平気そう、そんな理由でウサギに決まりました。
そもそもウサギを飼おうかと思ったきっかけは「誰かの為に生きたい」、という理由からです。私は20代前半から5年間、うつ病と診断され投薬治療を続けていました。でも最近、生きることに理由が見いだせなくなっていました。理由がないというか、自分の為だけに生きるのは正直辛いです。自分の為なら、別に死んでもいいと思っています。でも、私が死んだら、まず両親が悲しみます、面倒をかけます。なんとか大学にもあげて、社会人として手放したと思っていた娘が鬱病という事で実家に出戻ってきた、それだけでも親不孝だと思っているのに、それに加えて自殺するなんて、余りにも親が報われない。だから生きなきゃいけないとは思いましたが、それだけの理由では私が積極的に生きる理由にはあまりなりませんでした。
自分の為に生きられないのなら、私を必要とする誰かの為に生きようと思いました。私の存在なくしては生きていけない存在を意図的に作るんです。私がお世話をしてあげなきゃ死んでしまう存在。そう考えた時にペットは私の中でとても有効的な理由になりました。

そして坊ちゃん(仮)を迎え入れて一か月程した時、金銭的理由から実家に帰って主治医の診断を受けられないため母に代わりに薬を取りに行って貰いました。
その際、母にお願いして主治医に現状を伝えて貰いました。私は積極的に生きる為にウサギを飼い始めたという事を。
そうしたら、主治医が言ったそうです。「自分の事も出来ないのにウサギなんて飼ってどうするの?」

主治医はとても呆れていたそうです。
確かに、そうかもしれません。私は自分の社会人生活を送るのにいっぱいいっぱいで、休日は外出する予定がなければシャワーも浴びずにすませます。だってシャワーを浴びるのが億劫だから。やらなくても生きていけることはやらないで、社会人生活を送るために必要最低限の事しか今はしていません。
でも、私は生きる為にウサギを飼うことを決めたんです。母にはその点も含めて主治医に話して貰いました。それでも主治医は呆れて、私の精神に問題があると思ったのか、薬の種類を増やしました。

とても酷く屈辱と怒りを感じました。

以前から、患者の話をろくに聞かない医師だと、患者間の間では話にのぼっていましたが、転院するには他にあまり選択肢がない事と、酷い鬱状態だった私を一応一人で社会人が出来るまで投薬治療をしてくれた義理もあります。あまり医師をコロコロ変えるのは得策ではないと思っていましたので、実家をでて遠方で一人暮らしを始めても半年は新幹線で主治医の元に通院しました。
でも、今私が住んでいる地域は医師を選ぼうと思えば選択肢は沢山あります。
患者の話を聞かない、患者の意思を馬鹿にする医師の元に、わざわざ新幹線代を払ってまで通う理由がなくなってしまいました。

そして、私は転院する事に決めました。


お正月明けに、都内にあるメンタルクリニックに予約をいれました。
そのクリニックを選んだ理由はインターネットで検索したら一番上に出てきた事、そして有名だった事から選びました。電話予約出来る時間は過ぎていましたので、メールで初診の予約を入れました。その際に現在の病状と転院を考えている事、そしてその理由も記述しました。

土曜日の14時頃に予約を入れましたが、朝起きても何もする気になれませんでした。かろうじて坊ちゃん(仮)にご飯を与えて、特に楽しくもないインターネットを朝8時くらいまで眺めていました。どうしようもない気持ちでいっぱいでしたが、シャワーを浴びて着替えて、化粧をして出掛ける準備をしなくては、と動こうとした時に大学の友人から連絡がありました。
19時まで暇なのでそれまで一緒に遊ばない?という話でした。
私はその話に飛びつきました。一刻も早くその友人に会って話がしたい衝動にかられましたし、そうしなくてはいけないと思い込みました。一瞬前の何もやる気がおきない気持ちなんてすっかり消えてなくなり、私は折り返しすぐに友人に連絡し、渋谷で会いたい事、14時からメンタルクリニックに行くから付き合ってくれないかと相談しました。その友人は私が鬱病で一番辛かった時期を知っていますので、病院について来て貰うことに全く抵抗はありませんでした。それよりも一分一秒でも長くその友人と一緒に居たいと思いました。
友人は快諾してくれて、私は意気揚々と出かける準備を始めました。何も面倒くさくなく、億劫だと感じる事もありませんでした。

友人とお昼を食べ、一緒にクリニックに向かいました。
受付でお決まりのバウムテストを描かされた時も、学生の頃を思い出して懐かしいね、とお互い笑いあっていました。私たちは心理学部の学生で、バウムテストについても学でいましたので、その事について話が盛り上がったのを覚えています。
30分以上待合室で待ちましたが、友人が一緒だったのでそれ程長い時間には感じられませんでした。
診察室にも呼ばれ、友人にもついてきて貰いました。初めて見る男の先生に、一応友人も同席していいかと尋ねた所、問題ないと言って貰ったので友人が奥に座り、私はその横へ。医師と対面するように座りました。

私が前日に送ったメールを見て、医師は鬱病で5年は少し長い?というような話から始めました。
私には何のことかわかりませんでしたが、医師の話は続きました。
典型的なものではないが、私は躁うつ病である可能性が高いと言われました。
気分の波がコロコロ変わる方ですか?との質問に、私は友人にどうだろうと尋ねました。友人は確かに驚くほど気分が変わりやすい事を医師に伝えました。確かに私は気分屋です。ただ、それは気まぐれの範囲内だと思っていました。一種の個性だと。あんなに怒っていたと思ったら、いつの間にか物凄く上機嫌になることがあります。まるでスイッチをON/OFFしたように。でもそれは昔からで、それで問題を起こした事はないと思っていました。

そして家庭環境についても聞かれました。両親との関係について聞かれ、母はどんな人間か、父はどんな人間か聞かれました。私は幼い頃から抱いている父と母への印象を率直に話したところ、ネグレクトという虐待を受けていたと医師から伝えられました。
友人にも母の話をしていたので、特に驚いてはいませんでしたが、私たちは「やっぱりな」という軽い気持ちで笑っていました。

結局、双極性障害だという事、それは薬で抑えられる事、母との関係については今後カウンセリングを通して掘り下げて行った方が良いと治療方針を聞かされてその後は採血をして帰りました。

18時過ぎまで友人と渋谷でお茶して楽しくお話をしていましたが、帰宅してから涙が止まりませんでした。
私は鬱病だと思って、それを信じて投薬治療を5年続けていたのにそれが間違っていた事、そしてやはり私は医師の判断からしてネグレクトという虐待を受けていた事、その事を忘れていた事、それらを思って泣きました。
私はストレスや過労が鬱病を引き起こしたのだと思っていたので、薬と時間でいつかは解決する問題だと考えていたのです。けれでも実際には双極性障害で、アダルトチルドレンで、自分で克服する道はなく一生薬を飲み続けこの病気と付き合っていかなくてはいけないと思うと悲しくてしょうがありません。

生きる意味を、今は見失っている状態です。