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夢想・妄想 と 離れられない現実

独り言やたわ言です。気楽に読んでください。

 裂ける音。

 それは耳障りな音。

 前兆を感じる前に小さく裂ける。

 亀裂は、いつも気づかないうちに走っている事が多い。小さなひび割れの時に気づけば大事には至らないが、大抵の人々は動いてから、はじめて気づく。

 

 知り尽くしていると思い込んでいる日常。

 その中の小さな、とても小さな変化。

 日常の中に埋没する傷が、ゆっくりと長さと深さを増していき、いつのまにか形を変えてしまう。

 やがて、すっかり変化の中の一部と化してしまう。

 

 日常の生活に埋没している間も、日常は常に、うねり続けている。

 変化は良いことばかりではなく、どちらかというと大抵は悪いことである。

 悪いことは嫌で、悪いことは排除したい。

 しかし抗ってみても、僅かな抵抗に過ぎないのが現実だ。

 それでも、そうと分かっていても、抗うために戦う者は必ず居るだろう。

 そして、そのうち気づいてしまう。

抗う行為に意味を求めるのが虚しいことに。

だって。

だって、あなたが気づいた時には、たぶん死を迎えているから。


                                  創作小説『殲滅の記憶』より

 どうも、志遊(しゆう)と言います。


 恥を忍んで言えば、私は持病を持っている障害者です。
 それも精神病障害者です。
 病名は一応、不安障害(うつ病、パニック障害)です。
 発作性で、なおかつ前触れ無しに急にきます。

 発作の形は呼吸困難、唸りながら体を固く丸める、かと思ったら喘ぎながら動き回り、時折、頭を壁にぶつけたりします。訳の分からない事を口走り、時には近くにあるもので自傷行為もあります。
 寝ていると不意に目が覚め、どうしようもない孤独感から恐怖したりします。

 発作性の為、絡みづらい(急に出現しなくなる、起きてる時間がズレることがある等)かも知れません。


 日々を、ただ消化し、何もなく日が暮れていきます。


 もう、つらい。
 もう、苦しい。

 いつまで、こんな日常を過ごしていけば、いいのか。

 俺の生きてる意味は?
 誰の為にも生きていない。

 最近は、どうしても人と話さなければならない時でも、言葉が出てこなく、たどたどしくなってしまう。



 もう、止めていい?
 社会では、まだ二十代だと青二才とかひよっことか言われることもあり、まだまだ一人前にみられませんが、三十代になると、徐々に周りから、ようやく本当の意味での大人として扱われるようになります。
 同時に新しい魅力が現れてきます。

 では、ここでクイズです。
 生命の進化。
 進化していく過程で、生き残っていくのは、どういったタイプの生き物でしょうか?

 賢いものや強いものではありません。

 弱肉強食の世界で生き残っていくのは、強いものではないのです。

 それは、つねに変化していく環境に対応できるもの、だそうです。
 適応力が高いものだけが生き残っていく。

 同じように見えて、世界は常に変化しています。
 素晴らしい適応力は、自然と堂々とさせ、自己の中にある表現力を各々の形で湧き出させるのです。
 さらに自分の成長は、周りの人たちをも成長させると考えています。

 それぞれの能力は千差万別ですが、努力をすれば、ある程度までは伸びるでしょう。
 しかし”現実”というのも確固としてあります。
 スタートラインが違うという”現実”があるのです。

 そこで、その距離感を縮めるのが、己が中から湧き出る表現力、そして適応力を高めることでしょう。

 それが出来る人は、無茶と無理の違い、無理は自分を傷つけるだけですが、無茶はギリギリのところで耐え抜いて、自分を成長させるのです。


 大人の世界、社会は子供の頃に考えていた以上に、さらにそれ以上に、厳しい世界でした。

 でも悲観は不必要な感情です。

 必要なことは、自分の世界を見つけることです。
 それが適応力を自然と生み出します。