異化効果とアニメのお話をします。
美術館の現代アートより、さらに親しまれている異化の世界がアニメだと思っています。

◆異化効果アニメ
2000年代に入って、年間でやく50~60のアニメ作品が世に出てきます。
その中で一番人気のあった作品を、ネットでは「覇権アニメ」と呼んでいます。
このリストは、年間の覇権アニメと呼ばれるリストで、その年を象徴するアニメといってもいいかもしれません。
震災前後ぐらいから、異化効果アニメの人気っぷりがすごいです。

2011年 まどか☆マギカ

2012年 偽物語(物語シリーズ)
2013年 進撃の巨人
2014年 ラブライブ
2015年 おそ松さん
2016年 ユーリ on ice
結果はまだ定かではないですが、去年と今年はこんな感じかと思います。
2017年 けものフレンズ
2018年 ポプテピピック

アニメでの異化効果って何だろうと、アニメを見ない人には感じられるかもしれません。
私はキャラクターデザインに、とても異化効果を感じています。
登場人物にこれは自分だと同化できないキャラクター。

そして背景や世界設定を考えても、実世界に直結して投影しにくいものばかりです。


たとえば、ポプテピピック。

 


けものフレンズ

 



まあ、まず投影したくなる人間ではない。

そもそも人間じゃない。

世界もいつの時代のどこの設定かわからん。
 

おそ松さんももはや記号化されたキャラクターですし、

 

まどか☆マギカで戦う相手の魔女。これ魔女?

 

どうもポップアートな感じです。
 

 

ラブライブとユーリは見てないですが、同化を狙った演出が多そうな雰囲気がします。しかしそれ以外の作品はどうも現実からものすごい距離を置いた作品に見えます。前提となるその世界観には説明がなく、その世界を当たり前のようにキャラクターが動いていて、バックグラウンドを知る由もない。

 

ですが、それが視聴率上位になり、DVDが売れ、話題をかっさらいます。
まどか☆マギカが話題になったときに、私は弟からこんなことを言われました。
「絵とか世界とか突っ込み入れたくなるけど、とりあえず無視して、我慢して3話まで見てみて。そしたらはまるから。」
そしてドはまりしました。



 

 

◆異化効果の末に最近のアニメが伝えること

前回の記事で、異化効果は作者の意図を客観視させるために、あえてキャラクターに感情移入させない演出という話を書きました。
表層のストーリーは置いておいて、製作者は何を意図してキャラクターと世界を異化させているのか。


 

キャラクターを無視して話の展開と設定だけで考えると、意外と共通点が出てきます。そして強引にまとめると、共通する設定はこれです。
 

・基本的に世界には絶望しかない
・敵は理不尽で得体のしれないもの

・抵抗すると這い上がれないほど叩きのめされる
・それが分かっててもあきらめちゃダメ


 

案外ぐうの音も出ないほどダークです。
おそ松さんでさえダークです。

 

特別な力を持ったヒーローが世界を救うアニメなんてまったく存在しません。
とにかく生き残ることを目的に抵抗します。
敵が不明瞭で実態がつかめない。社会そのものが敵というパターンもあります。
抵抗してもたいていの場合効果はありません。
人類が滅亡した前提のその後という世界設定のアニメまであります。


ドラゴンボールみたいな、修行してある日いきなり強くなって、結局宇宙で最強になるストーリーが良いと思う世代はとうに終わってしまっています。
死んだ人間が生き返るなんてこともないし、目的が奇麗に達成されることもない。


 

いわゆるオタク向けのように見える作画、キャラクターはただの異化で、それによって客観的に見ることで製作者側のメッセージが分かってきますが、今度はキャラクターでなく鑑賞者がぼっこぼこに打ちのめされるという仕組みです。
 

 

君の名はなんて甘いぐらいの絶望が、これらのアニメの視点を変えた先に用意されています。でも蜘蛛の糸を垂らすように、でもあきらめちゃダメというメッセージが1ミリぐらい。
 

 

その視点で考えると、進撃の巨人があまり異化されていないだけ、あのストーリーの方が鑑賞者によって優しいんじゃないかとさえ思えます。

それ以外の異化の先のメッセージがリアリティありすぎて。。。。
しかし、世の若者たちの大半はそれを欲していて、それを評価しているのです。



たいていの場合、ほのぼのとしたキャラクターのどうでもいい言動の裏で、一見脈絡もないところからあらわれる、いろいろな設定へのメタファーが現れます。
鑑賞者はそれをつかみながら、その世界観のバックグラウンドはこのような状態だったなど推測し、異化効果の先を推測にかかります。

 

 

そんな異化効果なんて、若者が深読みして理解してるんだろうかと言われると、どうやらほとんどの視聴者が理解していそうです。
放映後にウェブ上では、「この作品はのほほんとしているように見えて闇が深い。なぜならこの設定は。。。」など、キュレーターならぬ巷の解説者がblogやwikiにアップし、それをもとに議論が始まっています。

 

アニメはテレビで見るだけで終了するメディアではなくなり、巻き戻して繰り返して、ウェブで議論をしながら見ていくメディアに変貌しています。


 

 

 

 

◆なぜこんなアニメを提供するのか
私が大学にいる間か社会人になる2000年前半で、ネットのリテラシーを持つ上の世代と持たない下の世代にくっきり分かれている気がします。
 

 

私はそのはざまにいる世代で、なおかつ職業がIT屋さんですが、そんなIT企業でさえ、上の世代は家に帰るとテレビを見て野球とサッカー観戦、下の世代はテレビすら持たない人が多々。
 

 

年長者のリテラシーが薄いネットの中では、毎年50~60出て来るアニメについての議論があり、youtuberの動画とabemaTVやopenrecなどでのe-sportsのプロゲームが繰り広げられています。
 

 

テレビとネットの番組を行き来する芸能人は、テレビでまともなそうなことを言いながら、ネットではその言動の背景や言うつもりでなった本音の動画をネットに上げています。その世界を知る由もない年長者は、そのなかでテレビ局がピックアップしたものしか知る由もありません。

 

ネット界隈での有象無象の中や、こういったアニメが伝えようとしていることの一つに、こういう考えがある気がしてなりません。
 

 

「もう大人の作る社会を信用するな。」

リテラシーの高い若者たちに、コンテンツを提供する立場の大人たちは、こう伝えているように見えます。

一人ひとりが頑張っても世の中がきっと変わるなんて、たいてい変わらない。

世の中は良く分からない暗黙のルールに満ちていて、踏み外すと一瞬で抹殺される。

年功序列は終わったと言いながら、何もせずにしがみつく大人もいる。

大人たちは若者に借金だけ残して逃げ切ろうとしている。

 

そんな得体のしれない敵と戦いながら、先には絶望しかないけど、逃げるわけにもいかない。その実態を異化効果の中で隠しながら、見えている本音がどうか若い人間に届いてほしい。
そんなことを考えているんじゃないかと妄想します。



 

 

 

◆今の若者は、、、の若者は何を考えているか

 

年長者は若者に対してこんなことを言ってきます。

最近の若者は付き合いが悪い。

何を考えているかわからない。

言う事を聞かない。
すぐ辞める。

 

 

そうでしょうか。
 

 

 

若者が憧れて話を聞きたいような人に自分自身がなれているか。
過去の武勇伝だけ振りかざしていないか。
若者の言語を理解するリテラシーがあるのか。


 

 

少なくとも若者はできる範囲内で年長者を気持ちよくさせる術を知っているように見えます。テレビと若者に掌で踊らされているのは年長者の方かもしれません。



最近のアニメのぱっと見の視聴者を突き放すように見える異化効果は、もしかしたらリテラシーを使って年長者を煙に巻くための装置かもしれません。

 

ヤマトが良かった、ガンダムが良かった、ドラゴンボールが良かったと言っている世代の何人が、この世界を理解できるか。
 

知らない間に動いている若者がリテラシーのない年長者に耳を貸さず、自分なりの生き方を模索していることを知っているか。
 

そしてその間の世代である私たちが、彼らの生きる手本にならずとも参考資料にでもなれているか。


胸に手を当てて考えてみるべきなのは、

むしろ年長者の我々なのかもしれません。