現代アートの楽しみ方がなんとなくわかってきたのと、書きながらアメリカ生活の結論めいたものになりそうなので、まあまあ長文になると思いますが、現代アートを好きになりかけな人には楽しめる文章になるんじゃないかなと思います。




◆異化効果とは
キーワードは、同化効果と異化効果というものです。
デュシャンの泉は現代アートの異化効果の最たるものだと言われています。

 

異化効果というのは、アートの前に演劇で使われているもののようです。


叙事的演劇は「アリストテレスのいわゆるカタルシス——すなわち、ヒーローの感動的な運命に感情移入することをつうじて、情緒を排出し、解消すること」(ベンヤミン)を取り去って、筋の展開よりもヒーローの置かれている状況を描き、この状況への驚きを観客に求める。観客に状況を発見させるために劇の流れを中断させる。その中断のために用いられたのが、異化効果である。具体的には役者に社会的身振りの引用を行なわせることで、異化効果は社会的身振りを意識化し、それによって観客は通常とは異なる文脈のもとでその状況を反省するよううながされた。

 

はいムズイ。
乱暴に言うと、

登場人物に感情移入させるための演出が同化効果
登場人物に感情移入させないための演出が異化効果

 

作者の作る世界の住人になってのめりこむための同化効果

作者の作る世界を一歩引いてみるための異化効果

でいいんじゃないかなと。

 

 

◆同化効果、良いところ悪いところ

 

アメリカのドラマなんて感情移入するための仕掛け満載です。
2018年のエミー賞、9月に発表されてますが、this is us入ってますね。
今のところ今年見たドラマナンバーワンです。

 

 

これの演出は同化効果の最たるもので、登場人物の誰かには「あれは自分だ」とか「あれはあの人だ」と感情移入する要素がふんだんに盛り込まれているドラマです。
まあ続きが気になってしょうがなかった。

 

同化効果のある良い点は火を見るより明らかで、共感できるので面白いという点にあります。自分を投影しやすい対象がいて、いろんな伏線が隠れていて、この人は最終的にどうなるんだろう、自分だったらこうするのになど、登場人物と会話しながら続きが気になってしょうがない。


ただ、ここには一つ問題もあって、結構興味深く突っ込まないと作者の意図をくみ取れないというところにあります。登場人物に感情移入をするということは、製作者が作った世界に没入するということで、製作者がどういう人物で何を考えて物語を作ったかに興味を失ってしまうという事です。
世界の作り手のことは世界の一部の人だとなかなかわかりにくいんですね。

 


 

 

 

◆異化効果、良いところ悪いところ

異化効果はもともと標準だった同化効果に対抗して作られた表現技法です。
ベルトルト・ブレヒトさんという人が生み出したという話ですが、作られたのは19世紀。一方で同化効果を感じさせる表現は、アリストテレスに始まると言われるので紀元前ですね。

 

異化効果を代表する作品として、高畑勲のかぐや姫の物語を上げておきます。

 

 

なかなか異化効果を表す出す記事がなかったのですが、この型のblogが一番よく、端的にこの映画を表現しているのではと思います。
https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/12878848.html

 

かぐや姫に感情移入してしまう人もそこそこいるようですが、高畑さんは面白くては困るという話をしています。それはこの人が異化効果に力を入れているためで、登場人物への感情移入よりもストーリー、この世界について関心を持ってほしく、そして見た後に高畑さんが出したこの世界に対する問題提起に何かを考えるかということを期待しているからです。
 

高畑さんは音楽の久石譲さんに対して「登場人物の気持ちを表現しない」「状況に付けない」「観客の気持ちを煽らない」と要求したそうです。それもこれも、メタ視点で、神様の視点で、この物語を客観視するためのものだという事です。

 

 


物語の発祥から1000年ぐらいたってる、その人たちに比べるとある種月の人的な今の我々が見ると、1000年前この世界はいかがなものか。1000年前から表現されているのに、今になってもまったく変わらないエゴまみれの人間模様、そしてままならない無常観。

 

これを作るための、徹底した感情移入排除なんだと思います。

思いを巡らせてほしいのは登場人物でなくこの世界。

登場人物の誰かに肩を持つと、無常でなくこの人の生き方良い!になってしまう。

あれもこれもしたかったのに、周りは変な人ばっかりで、何かしようとしても何もできなくて、でも容赦なくお迎えが来る。
ある種かぐや姫の一生というドキュメンタリー映画を見ているようです。

 

ただ、異化効果にはとんでもないデメリットが存在しています。
一言でいうと、「面白くない」という事です。
感情移入できない、山も谷もなく続きが気にならない、何かを考えないと価値を見いだせない。そんな映画、普通見ないです。

つまり異化効果というのは、
感情移入できなくても客観視できて、
続きが気にならなくてもスルーせずに、
ひたすら見たものを題材に考える鑑賞者にのみ、
その価値を得られる手法であるとも言えるわけです。

 

 

 

 

◆異化効果を意識して現代アートを見る

 

そこでようやく現代アートに話が戻るわけですが。

現代アートを見て、ぱっと見で「美しい」と思う人は、なかなかの目の持ち主です。デュシャンの泉を見て、まあ誰も「この便器むっちゃ奇麗やん」っていう人はいないでしょう。
作品の内容に興味を持たせない事、それが現代アートによる異化効果です。

 

有名なジョン・ケージの4分33秒も、異化効果を期待した表現です。

 

ジョンレノンがオノヨーコと出会った展示も異化効果ですね。

http://www.tapthepop.net/news/21634
梯子上って虫眼鏡で見て、Yesって小さく書いてある。

何も考えないと、だから?ってなりますね。


じゃあ何を見るか。

そこに隠されたメタファーから何かを考える、

作者のバイオグラフィを見る、

これまでの作品を見る、

ほかの人の表現方法の共通点を探す、

同時代のくくりを見る、

書物を読む。
そういうことをしつつ、作者が提供したものを素材に、作者の世界観を考えてみる。

 

なんでそんなめんどくさいことをやってるのか。

それは、そうやってたどり着く作者のメッセージ性が、むちゃくちゃ深淵で答えが出ないし、深く考えないと仮説すら導き出せないからです。

 

 

デュシャンの泉のメッセージの一つに、「アートって結局何なの?」っていうものが含まれています。これに色んな人がまず興味を持って、深く考えて、なんだったらほかの人たちと議論するためにはどうすればいいか。

出す場所、出す時期、誰に見てもらうか、どうすれば興味をひくか、どの表現方法が適切なのか、結構むずいです。

その時のデュシャンの結論は「アンデパンダン展に便器をサイン入りで出す」でした。


その結果は成功して、その時代では事件になるほど物議をかもしました。そして100年以上たった今でも、こうして私のような何でもないサラリーマンが、アートとは何かをあーだこーだ考える。


それが現代アート作家の求めることで、鑑賞者の楽しみだと言えるでしょう。

作品が美しいか否かではなく、作品をトリガーにして何を考えたか。

 

これは紛れもなく美術でなく哲学の話になります。現代美術館というのは、実は哲学館と呼ぶほうが正しいかもしれません。現代アートを見るというのは、サンデル教授の授業を聞くような哲学の議論をするための題材なのです。

多分この動画見るのと、現代アートを見るのは、大差ない感じがします。

 

 

ただ、現代アートの作品に対して、多くの鑑賞者が「で?」となってしまいます。まあ私も相変わらずアンテナの刺さらない。ほとんどの作品に対しては同じように思います。

 

この「で?」は、「で?この作品を見て私は何を面白いと思えばいいの?」という事であり、作者が自分を同化させてくれないことに対する不満なのだと思います。
 

現代アートの鑑賞に足を突っ込み始めただけの私からしたら、説明されないと気付かない文法が多いです。
 

特に現代アートと言ってしまうと現在の人に対するアートだと間違えそうになってしまいますが、作者の人は同時代の人向けに作っています。ということは、そのころ人々が何を思っていたか、バックグラウンドの知識がないと相当難しくなります。。。

 

 


それでも私がこうして美術館に足を運んでしまうのは、

現代アートが絶滅せずに存在し続けているのは、
「隙あらば何かを考えていたい」と思ってしまう私のような人種、

深読み哲学集団が大勢いるという事なのでしょう。

 

この世界とは何なのか。この時代とは何なのか。

そういう究極な命題に対して、日常の雑念を取り払える美術館のような場所に行き、哲学的なアプローチで答えを求めようとしている人は、ソクラテス以来一定の割合で、今もなお存在しているんですね。

 

 

 

 

P.S.
米映画サイト選出「最も悲しい21世紀の映画20本」に「かぐや姫の物語」
https://eiga.com/news/20171114/11/
愛、アムールとか、ダンサーインザダークとか、レスラーとか、ミリオンダラーベイビーとかと同列にかぐや姫が並ぶっていう。
この評価は全然変じゃなくて、正当に評価されていると思います。

 

むしろ、アメリカ人が「絵がきれい」とか「まるで水彩画を見ているようだ」とか、そんな評価ではなく、高畑かぐや姫を人間の業の物語だと解釈できてるって、ちょっと俄かには信じられない 苦笑