先日フィラデルフィア美術館に行ったときは、マルセル・デュシャンという人の作品を見に行くのが一番の目的でした。見に行くというか、対峙するというか、鑑賞するというか、思考ゲームするというか。

この人に対する批評はほんとに色々あるので、まあサラリーマンなりの解釈をしてみようと、ドタバタした結果が以下の記事になります。

 

 

 

 

●デュシャンと時代

ピカソと並んで20世紀の芸術家で最重要人物の一人と言われています。

デュシャンの時代背景で考えると、19世紀~20世紀のお話。

フランス出身で20世紀に入ってアメリカに移住、その時のアメリカ人パトロンが全作品を所有している経緯で、フィラデルフィア美術館が今一番デュシャンの作品を保存しているのだそう。

 

 

アートは19世紀後半の印象派あたりから、抽象化傾向に入っています。

印象派→キュビズム、フォービズム→ダダイズム

この1850年→1950年の100年前後で一気にアートが見る人の頭をひねらせるような「で?」となるものを作り出しています。日本で言うとペリーが来て太平洋戦争が終わるぐらいですね。日本が暮らしや考え方やテクノロジーをゴリゴリ吸収しているその間に、世界のアートもむちゃくちゃ変わっているタイミングです。

 

 

 

 

 

 

 

●デュシャンの作品は15年で庭のスケッチから便器になった。

デュシャンも作品の中で目まぐるしくその変化を感じられる人です。

実はデュシャンも印象派な時代がありました。上に書いた歴史の流れにそのまま乗るように、作品を作っています。

便器に名前書いてポンと置いちゃうデュシャンも、初期は印象派じゃんと言ってしまうような絵を描いています。こんな感じの。

 

 

 

 

これとか、ゴーギャンの作品ですって言ったら信じてしまいそうなぐらい印象派ですね。

               

 

 

そっからもう数年後には、代表作の一つである「階段を下りる裸体No.2」が出ます。。

 

キュビズム来たー。もうわからん。もう人かどうかもわからんよ。

解説を聞くまでこの絵が何を言っているかは分からないものですが、階段を下りる人を時系列ごとに書いてるのだそうです。そういわれるとそう見えてしまう。

 

 

 

なおかつ、どうやらこの絵はキュビズムの中では異端なのだそうです。キュビズムは静止画をいろんな点で書くのが良いのであって、動いてる人を画面に抑えるんじゃねーよという批判があったんだそうです。この辺から世の中から浮いてる、わからないもの代表のキュビズムの画家でも、さらに浮いてる画家になっていたのがデュシャンという人でした。そしてデュシャンはこの辺から急速に絵画に飽きてきます。

 

 

 

そして大ガラス。絵に飽きてニューヨークのパトロンを得て、アメリカで数年かけて作ったのがこの作品。しかも数年かけたものの、未完でギブアップして終了したそうです。これには諸説あって未完だがそれが完成なのだ的な哲学があったりもします。

 

 

 

同時期から、取り合えず、そこらへんのモノを展示してみる「レディメイド」というスタイルをはじめ、最終的に泉に至るというところです。泉は当初ニューヨークのアンデパンダン展覧会での展示を拒否されたといういわゆる「事件」と言われています。このアンデパンダン展、「アートなら何でも来い」が趣旨なのにも関わらず拒否という。しかしこれが今後100年間現代芸術家を悩ませる問題作にして大作として世の中から評価されます。

 

 

 

最初の庭の絵が1902年。泉の発表が1917年。たった15年でデュシャンはこんなところまで行きついています。

音楽家でも哲学家でもいいんですが、「15年でなんでこうなっちゃったの?」ってところまで変わってしまう人はこの人以上にいないんじゃなかろうかと思えてきます。

 

 

 

 

 

●デュシャンは大喜利のネタを提供している

大ガラスと通称で呼ばれている作品名は、

彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも / The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even

という名前です。そのタイトルについて、デュシャンが晩年にこんなことを語っています。

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興味の的になったのは表題のおかげです。中身の意味はありません。「処女」「花嫁」「独身者」などのタイトルを使っていれば興味をひくだけです。特に裸体に向かい合っていれば、スキャンダラスなものに見えたのです。裸体は尊重されなければいけませんからね!

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じゃあなんでそんなものを作っちゃったんだよ!って言いたくなりそうですが、デュシャンがこう思って作っていたとするならば、難しい解釈でもなんでもなくむしろ相当単純かもしれません。

つまり、「このアートを作った人は何を伝えたかったんでしょうか?」の回答は「いや、何も?」になります。

結局のところ、何かモノがあって、それにタイトルがあって、それを誰かが何かを解釈すれば、デュシャン的には満足だったのでしょう。単純に好奇心から、「こんなん作ってみたけど、みんな深読みする?」みたいな思考ゲームの誘い、もっと言ってしまうと、むっちゃ真面目な大喜利のお題というのがしっくりきます。

 

 

 

 

 

●なぜ絵画が抽象化、多様化していったのか

美術というのが迷走を始めたのが、良くも悪くも印象派という印象が強いです。それまでは「鮮明である」ということ、「神様である」ということ、「肉体がたくましい」ということなど、美しいの定義がはっきりしていた中での美術でした。絵画の技術は徐々に精度を増し、ルネサンス期、科学が萌芽期だった時代、「美しい」を科学的に表現しようという、レオナルドダヴィンチなどがいました。しかし、そこからその定義をすべてずらしたのが印象派です。描く対象は神様から日常の風景になり、手法も鮮明ではない書き方で描いていきます。

 

 

今「シンギュラリティ」という単語が俄かにはやっています。AIが人間の処理能力を超える特異点という意味で使っており、それがいつなのか、果たしてそれは来るのかという事を評論家たちが予測を始めています。絵画において考えてみると、印象派ができた1870年、その30年前にカメラがすでに中産階級まで大流行しています。印象派が始まったときには、絵画としてはこのシンギュラリティを迎えていたといっても過言ではありません。精密に鮮明に空間を切り取る作業において、人の技術による絵画が勝てなくなった瞬間です。

 

 

美術、アートはそこから、100年かけて科学に対して反発する形で、文系サイドの進化(迷走?)を始めます。科学および理系の学問は、「再現可能な法則を見つける学問」であり、哲学および文系の学問は「再現不可能な法則を言語やその他手法によって表現する学問」であると言えます。絵画に対する科学的アプローチは、写真によってあっさり抜かれ、絵画が持っている哲学的アプローチに傾倒していくことになります。「写真とか撮ってる奴は人の心が分かってねえよ。」と当時のヨーロッパの画家たちが言っているような想像が頭に広がります。

 

 

しかし抽象化された言葉を人に共有されるのが難しいのと同じように、絵画をもってしてもその表現は難しいでしょう。「あったかい」とか「ほっこり」とかに始まり、「死の恐怖」とか「将来への不安」、「政治不信」などをいかにして表現するか。このアプローチは芸術家たちが入り込んだ闇でもあるでしょう。

 

 

 

 

●アートはすでにデュシャンが終わらせている

心理、哲学を芸術に込めるという事は、手法の差こそあれ、ぱっと見よくわからないものになりがちです。人の心理状態が多様なように、表現方法も多様になりました。はじめは「ちょっとぼやけさせる」から始まった現実とのズレは表現手法の模索と共にどんどん客観的な現実と離れ、自分の内面の表現になるごとに、それは何でもありの多様化を良しとするようになります。

 

 

ではどこまで現実の客観的な描写から離れることを良しとするのか、デュシャンはその極論であり結論を出していると言えます。それが誰かが何かを表現して、それを誰かが見聞きして何かを考える。その範疇に入りさえすればアートはアートでありうるという事です。Youtuberの動画もアートであり、バラエティ番組も、道に落ちている石も、カレーを作るときのにおいも、アートだと。

 


もちろんその価値には上下はあるでしょう。デュシャンが泉を出した時代背景、いきさつ、アンデパンダン展という出品した場所、その前後の彼の言動、鑑賞者の印象、言動、そのすべてが作品に集約されていないが、その価値を上げる要素ではある。今私が同じレプリカを買って、どこかの展覧会に置いてもそれはゴミにしかならない。差は作品以外の背景とやったこと、それをもとに何かを考えさせた実績において価値が変わってきます。

 

 

 

デュシャン界隈の物事を調べてみると、どうもこの人は好奇心のみでこれをやっているようです。表現したい意欲というよりは、これをやったら人々はどう反応するんだ?という具合の。ただ、その時代の読みと問題提起として彼の示したアートは未だに現代人を悩ませています。

 

 

会田誠さんはデュシャンを引き合いに出してこんなことを話しています。

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デュシャンあたりまでは納得できるのですが、デュシャン以降は好きになれない。いまの欧米で形作られている現代美術の概念が、何か嘘っぽいものとしてずっと見えている。僕も延命を許されている現代美術っていうところで、自分に都合がよいから腰を下ろしているという矛盾もあるんですけど……。

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デュシャンの泉が現れて100年たった今、現役バリバリの現代美術家が、実はこんなことを言っています。これはデュシャンの功罪でもあります。アートというものの行きつく先をデュシャンが表現してしまったことで、後の美術家は大変困っています。「これもアートだよね?」というアートの拡張性という点で考えると、もはやそれ以上の先進性を見いだせない、デュシャン以上の極限値をその後100年見いだせず、デュシャンが広げたアートという枠の範疇でこの100年動いているのだという事です。

 

 

 

 

 

 

●その後のアートに意味はないのか

では、デュシャン以降のアーティストがすべて掌の上で踊らされている模倣作品、パクリと言わないまでも先進性のない作品を100年生み出し続けているのかというと、それも違うような気がします。確かに表現手法や定義という点でデュシャンを超える人は今後100年を見ても現れるかどうか想像つかないし無理だと思いますが、それは「アートの表現手法の拡大」というレースが終了したのみで、今その観点で戦っている人はごく少数じゃないでしょうか。

 

 

なので、「印象派に始まりデュシャンが泉を出すことで一区切りついた、アートの抽象化と表現手法の拡大レースがその昔ありました。」という一つの歴史として見てみるのが、デュシャンの作品に向き合う楽しみ方の一つではなかろうかと思います。

 

 

 

 

 

P.S.

デュシャン見ながら思ったことはまだまだあってですね、、、、どんどん長くなってしまうのですが、別の記事でそのあたりのことを書いていこうかなと思います。