■「アートは友達」と言いたい
先日National Gallery of Art東館に行った際に思ったこと。
それは自分と現代アートとの結構な距離感でした。
いや、これは、、、わからん。これはどうやって面白がるんだ?
でも、、、この距離感は埋めたい。

ラーメンは作れないけど、ラーメンは好きだ。
相対性理論は理解していないけど数学は好きだ。
通知表の美術は2だったけど、アートを見るのは好きになれるはず。だし好きでいたい。
では、自分にとってラーメンと物理学と数学とアートの差は何なのだろう?

という悶々感の後に思い至ったのが、こういう話でした。
アートのことを面白がれるほどよく知らない。

 

じゃあ、アートとお友達になれるように、まずアートを好きなれるところを見てみよう。まずは、親しみやすい時代の絵画から。
 

 

 

ということで、今回は印象派に焦点を絞って印象派のみ見に行くことにしました。
このNational Gallery of Art西館は10世紀~19世紀の西洋美術が置かれています。現代アートと呼ばれるものよりも前のアート。
ですが、1000年分もみて、ほほう!とわかるのもちょっと荷が重い。。。

 

 

印象派っていうのは、日本人評価も高いし、私も印象派は好きです。でもじゃあ画家知ってる?何が印象派って知ってる?
って言われると、これっすって言えないレベル。
モネ?ルノアール?もやっとしてるやつ?睡蓮?日の出?ぐらいなもんです。
さ、そこから印象派とどうお友達になれるか。







■印象派って?
印象派がピークだった時代。それって1870年~1890年の間。約20年間ぐらいなのだそうです。
その時代に主にフランスで起こった画家の集まりです。
思ったより長くない。そして意外と昔っていうわけでもない。
日本だと江戸時代が終了して明治になった初期ですね。明治維新の時代とがっつり同時期です。西郷どんがいて、福沢諭吉さんが慶應大学を作った、散切り頭と牛鍋とるろうに剣心の時代ですね。



また、印象派っていう、印象って何なんだというと、「印象的に下手くそ」という批評家の言葉から来ているんだそうです。印象派の人たちが書いた絵はあまりに価値観が違いすぎて、批評家はおろか、見に来た観客も「いやいやいや、へったくそやなー」と笑ってみていたそうです。そこを逆手にとって、我々、印象的に下手くそな画家集団、印象派ですが何か?的な展覧会を開いていた、割と尖がった人たちだそうです。


モリゾ:名前は知らなくても、この絵見て何派?って聞いたら印象派っていう人は多いんじゃなかろうか。


■印象派な人たち

そんな印象派の画家たち。いっぱいいてもまだ覚えられないので、この4人押さえておけばいいんじゃないかなと。

 


モネ:上の睡蓮の絵もモネ。シンプルに「上手ねぇ」って言える絵を描いている印象。


ルノアール:もっと靄っとした絵をかいてるイメージだったんだけど、意外とちゃんと書いてる。


ピサロ:今回見た中で一番ヒット。家に飾りたい系のやつ。

 

セザンヌ:ちょうど行ったときに、セザンヌの肖像画を集めたイベントやってました。


この辺ですかね。セザンヌにいたっては、後に近代絵画の父とも呼ばれているので、この20年間で人々の価値観がガラッと変わった時代。といえるわけです。



■価値観がどう変わったの?
当時のフランスには、ここで評価されなきゃ一流じゃないっていう「アカデミー」という存在があったと。そこで評価するのは主に貴族な人たちで、昔からの伝統工芸として、宗教画、歴史画最高!とされてました。
 

ただ、時代は産業革命があって、ナポレオンが出てきて、そのあとの共和制の時代。それまで貴族の人たちのための絵画だったのが、市民のための絵画になり、王様から認められる絵画から、お金持ちに認められる絵画に変わる瞬間でした。
 

そこで、かたっ苦しい感じの絵じゃなくて、もっと万人受けする絵画作ればいいし、そういうの作りたいよね。っていう流れができ始めました。それが、民衆を導く自由の女神みたいに、市民革命の様子とかごく最近の歴史を切り取りに行ったドラクロワ(ロマン主義)だったり、落穂ひろいみたいに、すぐそこで働いている農業の様子を切り取ったミレー(写実主義)だったりしたわけです。
そして、写真みたいにきめ細かく描かなくても、もっとぎゅっと、ごりっと、ぱっと描きゃ良いじゃんって、絵画の手法まで変えてきたのが印象派。
貴族の決めた教科書的な価値観から、身の回りの人たちのための「会いに行ける画家」に変わっていったのが印象派までの流れですね。


カイユボット:水辺の絵が良かった。波の表現とか綺麗。


■どうして評価されなかったのか、どこで評価されたのか
それまでがいかに写真のようにきめ細やかに描くかというのがすべてのアートだったので、そりゃあびっくりするわけです。
さらに、革新的と言われた、ロマン主義でさえ、何か歴史に長い事心に刻むべき絵画を描いている。その辺の日常の風景を絵具塗りたくっとるだけやないかと。
会いに行ける画家たちだった印象派の人々は20年地下アイドルだったわけです。


ドガ:何となく線がさわやかな感じのが多かった。見ていて気分よくなる。


そうフランスで言われているさなか、この印象派を初めに評価したのはアメリカなのだそうです。これには聖書とか神話と共にあるカトリックと民衆のためにある、プロテスタントの差があるといわれています。

神様じゃないじゃん。とか絵の技術的にどうなんですか?って思うわけじゃなく、純粋に良いねーこの絵。って言えた人たちだったのかも。


日本人に印象派がなじみ深いとというのも、聖書とか歴史とか神話とかが浸透していない日本人に比較的入りやすかった絵画の部類だったのが一つの理由と言えるでしょう。
と、いうのも、こっからゴッホなどの後期印象派を挟んでキュビズムに移行するわけで、絵画として見やすい、一般人が頭を使わずに絵画というのはすぐ無くなります。


ゴーギャン:後期印象派の人。こうなるとちょっとまだわかんない。


ゴッホ:ゴッホも後期印象派の人なんだけど、これはまだ全然上手ねぇって言える。






■印象派に対する親近感
今でこそフランス・パリのオルセー美術館などが印象派収蔵としては有名ですが、日本にもたくさん入っています。

 

また、不遇な印象派を率直に評価したアメリカで見ることができるというのも、歴史からくるノスタルジーを感じるところでもあります。
 

そして、私のひいおじいちゃんの世代で、世界の裏側ではこんなことが起きてたんだなぁというのを、絵画を通じて知ることができるのは、見ている楽しさを引き立たせます。
 

歴史とセットにするというのは、絵画を楽しむ一要素だと感じるお話でした。


■追記
今回絵画を見ながら、印象派に親近感を感じることができたのは、大学受験で世界史勉強したからかなぁと、しみじみでした。
 

アメリカで働いてみて、あれだけ嫌だった英語の受験勉強が役立ったり、AIを作るのに高校数学が役立っています。
 

高校の時に「いるのこれ?この勉強いる?」と思っていたものは、実はそんなに間違っていなかった。
 

もし高校生と話す機会でもあれば、今なら「勉強しとけ。マジで役立つから」と言えそうです。