スミソニアンで現代美術を見て、記事を書いたもののモヤモヤが抜けず、頭の中で整理されてなかったので色々調べたり記事を読んだりしてました。そこで、そこそこ腑に落ちてきたので、現代美術をどう見ればよいのかを書いてみたいと思います。

一つ気づいた大きな事実は、現代美術を見るのに、この2つは分離しなきゃいけないんだね。というお話です。
■研究の一分野として見る
■純粋に鑑賞する





■研究の一分野として見る
現代美術は一種の研究であると見ればわかりやすいかも知れないです。
先端の科学は前提知識が無いとそのすごさがわからないのと一緒で。

この前だれかとの対談でホリエモンの堀江さんが「ほとんどの仮想通貨はキャズムを超えたと思うんですよね。」って言ってました。そういわれたときに、キャズムという単語に反応してイノベーター理論の正規分布図をイメージできるか。
「そうか。アーリーアダプターじゃなく、アーリーマジョリティが来てる感は確かにあるなぁ」って思えるか。そういう所で、知識のあるなしで会話の内容がわかるかわからないかが分かれるのと一緒かなぁと。
(ちなみに、キャズムを超えたってのは、むっちゃざっくりいうと、「知る人ぞ知る」状態から「まあ世の中の半分ぐらいは知ってる」っていう状態に移行したってこと)




現代美術はそういう、美術に対する先端の先端を行くものです。キャズムを超えてない状態の産物です。より評価されるものは、知る人よりもさらにマジで知ってる人から聞かないと、その状態がわからない。現代美術の解説文も、前提知識が無いと分からないし、解説文、前提知識が無いと分からないものが多いです。そりゃそう。説明文も日常的に使ってない言葉の応酬なんだから。
すげーざっくりとでも、美術史の背景や現代美術のトレンドを知っておかないと、見えるものも見えない。
よって「で?」ってなるのだろうと。

 

 

 

んで、ある程度共通会話のできる知識を身に着けた段階で、その「で?」状態を抜けて、何をすごいと思えばいいんだっけ?という疑問にぶち当たります。
鑑賞する人が見る基準、評価する基準を自分の中で確立すること。それが2つ目の問題です。



小崎哲哉さんという美術評論家の方が、その指針を出してくれていて、すごく腑に落ちた評価基準だったので、私なりにまとめてみました。
https://www.newsweekjapan.jp/ozaki/2017/02/post-19.php

現代美術を評価するには次の8つの項目でレーダーチャートを作って、それぞれ嗜めばいい。

1.新しい視覚・感覚の追求
ぱっと見のインパクト。見てみて「え?なに?わからん。でも、ナニコレ?」と思わせるものであるという事。



2.表現手段の独特さ
絵具で描く、石を削るという表現方法から、写真、映像とか音とか、鉄の溶接とかに広がったように、今までにはない表現方法であるということ。
最近だとVRを使ったアートとか、プロジェクトマッピングとかもそれにあたるのかな。



3.時代を転換させる影響力を持ったこと
全てのお笑いはダウンタウン以前と以後に分けて称される事であろう。的なやつ。
芸術のトレンドを如何に覆すものであるかということ。



4.政治に対するメッセージ性
今国が、世界が抱えている問題に対して、如何に人の心に刺さるものであるか。3.11の不幸に対して社会が思っている閉塞感とか、何か変えなきゃとか、そう思っている人の気持ちを象徴するような作品。



5.誰もが持っている人間のサガへのメッセージ、世界観
なぜ人を殺してなならないのか、幸せとは何なのか。などなど。良くフランス映画とかイタリア映画とかがやる手口のやつ。日本映画も重たいやつはこれかも。遠くのものは小さく見えるように、単純に我々が見えてる世界ってこんな感じよねって人間のこうやって感じるよねっていう共感を与えるところも。




6.人となり、社会の歴史を表現している
鉄道員(ぽっぽや)とか、映画や小説で見たらわかる感じの、その人の生き様とかが心に刺さるか。もっと社会問題に広げると、アパルトヘイトとか宗教差別とか、そういう環境の中で俺らは生きてきたんだ!っていうメッセージ

 

 

7.生と死と性
これが一番わかりやすいかもしれない。
生きるのキツイ!死ぬの怖い!やりたい!もてたい!
が伝わるか。

 

 

 



8.わかりやすさ、完成度
みんながわかるような作品なのか、わかるやつにわかればいいと思ってる作品なのか。





インドに行った時にタージマハルを見てきたんですが、そこでついてくれたガイドさんがこんなことを言っていました。

タージマハルはムガール帝国の王様が、自分の愛した王妃様の遺言を守って作った奥さんのお墓です。王妃様も王様を愛していたので14人の子供を産みました。王妃様は死ぬ直前に、後世に継がれる最高の建築を作ってくれと言われました。20年の年月をかけて、2万人の人がその建築にあたり、タージマハルが出来上がりました。最高の建築でなければならないので、その後に良い建築ができない様に、20人の設計者の腕を切り落としたと言われています。





これを聞くまでのタージマハルは、白い、でかい、綺麗といった印象でしたが、その背景の歴史を聞くと、なんだかむっちゃ複雑で、だからこそそこから4年ぐらいたちましたが印象残る建物として、私の記憶に残っています。現代アートを見る観点は、この背景情報を手に入れるか入れないかで味わいが凄く深くなるものだろうと思います。

えーと、なぜ思いますなのか。
私自身がまだ現代美術に対する背景知識がほぼゼロに等しいからですね。。。。

でも、なんとなく指針がわかってきたので、ちょっと教養を深めるために、この辺を調べてみたいなと思っています。





■純粋に鑑賞する
とはいえ、とはいえですよ!
上記にタラタラ上げましたが、言うても所詮は「分かる土俵にたった人にしかわからない」というのがわかっただけです。「で?」ってなっちゃうし、前提知識を入れる段階で「そうか。なるほど。わからん!」ってなる人が多いと思っています。
すげーお高くとまってみると、「そんなん、作品作ってる側の事情じゃん」というのが大半じゃないかと思うんです。

 

それはITやっててなかなか作り手側の理由が理解されないのと似てるので、生産者側の思いが必ずしも需要者に伝わらないもどかしさは良く解ります。でも、ポジティブに考えると、何かを伝えたいと思って時間を芸術家たちが時間をかけているのは事実なので、受け取る側も最大限の感受性で付き合わないと。


なので、「自分がなんも考えず正直にどう感じるのか」っていうのは考える必要がありだと思っています。私は美術はあんまり知識無いんですが、普通のの人なので、音楽だったり、映画だったり、ドラマだったり、ダンスだったり、スポーツだったり、何かを見て感動するということは人としてあります。

そもそも芸術ってみた人が感動して救われるものであるべきじゃん。
美術には、、、、一発で感動しましたってのは、、、まだないかなぁ。。。



これは他の芸術に関してもそうですが、変な偏見無しでちゃんと見る。っていう状態を作ったうえで見るのは大事だと思います。一旦なんも分からん子供の気分になってみるという事です。

「全然知らんけど、これ、なんかヤバくない?なんかわからんし表現できんけど、すげーもの見た気がする。」
っていう感覚は、美術以外の芸術を見たときに、私は結構よく起こります。これはこれでもう出会いの運でしかないので、行ってみて全くヒットしない可能性もあります。が、そういう出会いを求めてみるのは、知識の必要ないもう一つの楽しみ方なんだろうなーと思います。
今回はスミソニアンに行って、そういう意味で一目惚れヒットするものは、なかったんですけど、美術においても良い一目惚れがあり良いなと思うので、今後もトライしてみようとおもいます。