National Gallery of Art行ってきました。国立美術館ですかね。
ここは西館と東館に分かれていて、今回行ってきたのは東館の方。西館は中世、近世の絵や彫刻がメイン。東館はそれ以降。つまり近代現代美術です。
今回は日本人の学芸員さんで案内をしてくれる人がいて、説明を聞きながら回りました。





■アヴァンギャルドとは何か
東館のコンセプト、つまり近代現代美術を一言で言うと、アヴァンギャルドです。
学芸員さんが話をしてくれました。前衛部隊という軍隊のまとまりの意味で、フランス語が語源です。

これまで目で見てきたものを如何に忠実に再現するかという事が美術の中心であったのが、写真の誕生で画家の価値がガラッと変わっていきました。それが1800年代のお話。

そうしてモネとかルノアールとか、印象派という人が出てきて。
あえて明確にせずぼやかせるような表現を、自分の精神性の表現として解釈して絵を描いていく人が出てきました。

さらに、第一次、第二次世界大戦あたりから、世の中の不安も相まって、何か変えなきゃという人たちが、
それまでの写実ではない、何か変わった今までにない表現手法で表現をする。
このあたりがアヴァンギャルドと呼ばれるものです。
コンテンポラリーとか、ダダ、ミニマル、キュビズム、ネオダダ、ポップアート、シュールレアリスムなどなど。
既存の分野から逸脱する事を意図した分野なので、時代と区分の仕方によっていろいろなくくり方がありますね。





■何に見えるか、何を言おうとしているのか
学芸員さんが「この作品は皆さん何に見えますか?」と聞いてきました。




・・・・いやぁ、、、わからん。。。


学芸員さんには、この表現手法や使っている素材について説明してもらいました。今まで石、石膏を使って表現をしていたのが、鉄を使って実際に溶接してっていうのが、どうやら斬新なんだそう。そういうのはヨーロッパじゃなくてアメリカのほうが表現手法としての鉄の使用を先に進めていたんだそうです。




で?




で?



つい聞いてしまいました。
「えーと、これ聞いたらもうアウトなのかもしれないですが、この人何を言おうとしてるんですか?」

学芸員さんは答えてくれました。
「それに教科書的な答えは出せると思います。時代背景と済んだ地域と一緒にいるコミュニティだったり。でも現代美術はそういうものではないんですよ。」


話飛びますが、学生時代に、小さい子供と美術館に行く機会がちょこちょこありまして。
私「よーし、じゃあ俺が美術館での動き方を教えよう。例えば、この人だ。この人、楽しそう?悲しそう?どんな感じに見える?」
子供「ええと、おなかすいてそうに見える。」
私「ほほう。それもアリだなー。絵画っていうのは、見る人によって色んな見え方があるんだよ。映画見ても音楽聞いても、みんなちょっとずつ感じ方が違うんだよ。ちなみに俺はこれ見て、あー明日会社行きたくないなーっていう人に見えたよ。」
子供「へえええ。おもしろい。次は?」
みたいな話をして盛り上がっていました。



私は上に記載した「この人は何を言おうとしているんですか?」という問いに対する自分なりの答えを持っていたうえで、質問をしました。それもそれでヤラシイ聞き方をしてしまったなぁと反省しているのですが、私の答えはこう。

 

「周りの人が、これ面白いって思うか、そうじゃないかを判断するだけで、作者の意図は関係ない」
 

学芸員さんと一緒なんです。





■表現技術が上がったことによる良し悪し
でも、現代美術むっずい。何を伝えたいのかってつい聞いちゃう。

 

なぜか。
 

音楽だとむっちゃ盛り上がる曲とかわかる。映画だと感動する映画はある、踊りにしても感動は比較的ダイレクトに伝わる。でも現代美術は一目見て誰もが涙を流すっていうのは希少です。美術はなんで難しいのかという一つの理由として、感情の乗っけ方が難しいということ。
 

なぜか。

 

刺さった作品について、これがなぜ刺さるのか、文章で表現できないまでも自分の頭の中でしっくりくるまでにまあ時間がかかる。そのうちに、高尚なものに見えてしまう、やっぱ難しいってなる。でも世の中には偉い人がこれはすごいっていう人がいて、高額で取引される絵画もある。だから有名な画家が日本に来るから身に行かなきゃってなる。


現代美術は、やっぱり写真との闘いだと思うんです。
見える景色を如何に正しく切り取るかという点では、人間の技術をどうやっても凌駕してしまう技術の粋である「写真」が出てきてしまった。だから写実ではない何かをそこに乗せなければいけなかった。そしてそこに哲学、形而上学を入れてしまった。写真ではできない技術を獲得した代わりに、一目でのわかりづらさをもたらしてしまったと思うんです。

例えば、これ。





にわとりをここまで忠実に再現しているのに、全部を青にしてそこに違和感を出した。
 

で?
 

それが刺さるのか?でも誰か偉い人に刺さったからここにあるんだろうけど。

学芸員さんが言ってました。

「現代美術というか、表現は一歩間違うとその辺のガラクタとあまり変わりないんですが、それを経済的に余裕のある人が評価するかどうかにかかっています。みなさんが好きなことをやろうとしても、生活を守るために仕事をしなきゃいけないのと同じで、基本的に芸術家には好きなことをやるだけなのでお金が無い。なので、芸術家はパトロンとセットなんです。中世までは王家が、近代以降は資産家がそのパトロンになります。そして幸いにもパトロンに評価された芸術家が現在名のある芸術家だとされています。フェルメールが死後何百年もたって評価されたのも、それを見て評価したお金のある人がいるからなんですね。」

たしかに。そうしてみると分かる作品も出てきます。



■もっとライトで良い。
美術品って格調高くもてはやされがちです。ですが個人的な考えですが、もっと取っつきやすくていいと思うんです。
いい曲をMP3をダウンロードするように、暇つぶしに映画館に行くように、美術館もさらさらっと見て、気になったらパンフレットもらって。気になった絵があったらレプリカを買って。
そっち側があって初めて、今ある現代美術が生えるような気がします。見方を勉強するとか、深く入り込むための前提条件が、特に現代美術には多い。。。
いきなり階段100段のぼってから来いと言われてしまう感じで。。。

 

そうじゃないもっとカジュアルな立ち位置で、ライブアートとか、カジュアルに1000円ぐらいの絵を買うとか。美術を好きになる階段の1段目とか用意されたら、もっと美術を楽しむ人が増えるんじゃないかなーと、絵を見ながら思います。

 

 

私が現代美術すごいねと思ったのは、ベタかもですがマルセル・デュシャンの泉でした。デュシャンは、モネのような印象派な作品を初期に書きながら、ピカソと同じようにキュビズムに行きつき、そうかと思うと油絵を描かなくなり、ダダイズムに傾倒、最終的に泉です。私は美術を追求しようとしたデュシャンの過程だったり、行きついた先に惹かれます。

 

それってRadioheadみたいじゃないですか。

(誰がわかってくれるだろうこの話。。。)

 

でも、そうじゃなくてももっとポップな音楽家やポップな映画があるように、芸術性はともかく、誰もが好きっていう音楽が今でもある。ミスチルとかサザンとか。(いやバカにしてないです。好きです。ほんとに)
そして、それを好きだという人がいるから逆に分かりにくくてもRadioheadが好きだという人が、欧米でチャートNo.1になれる程、沢山いるのだろうと思います。

もっとコンビニ感覚で行ける、わかりやすい絵が置いてある美術館、ほしいなー。そして両方楽しみたい。


 

■評価される日本人
おまけとして、この館で飾られていた日本人の作品を載せておきます。
アメリカのすごいのって、ぱしゃっと写真撮っても文句言われないし、見ながら人が会話できるカジュアルさがある。それが心地いいと感じるのでした。


草間彌生

数メートルにわたる水玉の集合体。

出たな。インパクトある。ここでも草間彌生感満載。

 

河原温

その後のデザインに影響を与えそうな作品。

佐藤可士和はこういう所からユニクロのモチーフにしたんだろうか。

 

イサムノグチ

数メートルの大きな石。自然に摩耗され、削られた石。

金属成分がもはやサビてきているが、それもそれで味わい深い。

らしい。これはね、、、、わからない、、、