■先週の話。
日本の偉い人がアメリカに出張しに来て、ちょっとした大方針を決めに会議をしていました。そこで10分ぐらいプレゼンをする機会があり、調査した製品の結果とどういう風に使うと良いかを説明しました。
日本の偉い人は、その製品を気に入り、日本で使いたいと言ってくれました。
その製品を使う事をアメリカだけでなく、大々的に使いたいという、アメリカの偉い人は私を褒めました。
「あの短い時間の中で、よくあの人を説得した。10分間だけど、プレゼンにはすごく意味があってお前はすごい仕事をした。」と。



対する私のイメージは少し違っていて。
私がプレゼンしたそのものには、特にポイントを指している話でもなく、話した内容としてはレベルの低いものでした。

なぜ日本の偉い人がそれを使いたいと言ったかというと、アメリカに来る前の私の実績が理由です。今回来た日本の偉い人は、日本での私の仕事を信頼してくれていて、他の人ではなく私がやるのであれば、概ね信頼してくれるという人でした。私も、この人に対してどう立ち振る舞えば、自分が共感してもらえるかの術を知っていました。プレゼン技術云々とは別に。
この偉い人と私が会社でやりたいコンセプトが似ているというのもありますが、これはとても有難い話です。
ですが、まあそういう経緯もあって、プレゼンの内容がどうあれ、私が会議室の椅子に座った時点で勝負は決まっていたという事です。



■一昨日の話
家に帰って、最近好きでよく見ているドラマ「This is us」を見ました。
三つ子である主役の年齢は36歳。私と同い年という事もあって、むっちゃ入り込みます。これは自分だと思ってみることも多々あり、毎話見るたびに苦笑いと涙です。でも最後には、明日も頑張ろうって思える、そういうドラマです。
勿体ないので1日1話ずつ大切に見るようにしています。

このドラマで、ある偉い人が三つ子の一人に、「何か問題を起こしたらお前を社会的に再起不能にしてやる」と偉い人から言われる。という内容の話がありました。この社会的に再起不能にするというのを、スラングの動詞としてNagasakiと使っていました。
I will Nagasaki you.で「お前をぶっ潰す」です。
言語規制の緩いhuluだからこそなせる業ですが、すげーハラスメントな話です。(ヒアリングミスかもしれません、合ってるかな、書いてて心配になってきた)
なぜこれがそういう意味を持つかは、日本人ならわかるでしょう。




■先週の話。
アメリカの偉い人の話。機嫌のよかった上司は、私を褒めた後、
「お前は仕事ができる人間だが、あとは嫁と、子供と犬を持て。そうしたら給料2倍にしてうちで直接契約しよう。」と笑って話をしていました。
そのあと、同僚と「今時そういう結婚ハラスメントともとれるような話をする人いるんだな。」と内輪で話を。「別に気にしてないですよ。」と返しておきましたが、それにはアメリカの同僚には話していない背景が。
なんせ、この類の話、日本ではその100倍言われてるから慣れてるんです。



■昨日の話
昨日見たドラマ「This is us」の話 笑
人種間差別の話がありました。主役の一人であるランダルの娘が学芸会で白雪姫を演じるという話。
ランダルは白人の父親、白人の母親、3人兄弟の中で一人養子の黒人です。
昔は違和感だらけだった、みんなが白人だらけのコミュニティの中で育ってきた。白人コミュニティの中で、知らずに話す無邪気な表現とか、浮浪者に思われがちとか、違和感を感じさせられる言動は、ずっと笑って見ない様にしてきた。今では白雪姫を黒人の自分の娘がやることに、何も違和感を感じない世の中になっている。
自分のその時思った思いとは別に、その60億倍人間を抱えた社会自体は、ゆっくりとその姿と形を変えていくものです。




■先々週の話
同僚の誕生日を祝うために、部署のみんなでランチを。
その時に、話題がアメリカの銃規制の話になりました。その他、住宅ローンの話だったり、退職後の不動産の国への返し方などなど。おおよそわからない話で、「ほほう。そう仕組みになっていたのか。」という話です。
自分の意見を言おうにも、バックグラウンドの知識が無さ過ぎて、話が全く別のダイエットの話に変わるまで結局おとなしい日本人をやっていました。



■今日の話
ここ数日感じる、この考え方や感情のすれ違いの類は、なかなか埋まるものではありません。
アメリカに来て半年の、グリーンカード(外国人永住権)を取るつもりも考えてない私が、生まれてこの方ずっとアメリカに住んできた人間と価値観を共有するのは難しい。じゃあ日本ならどうなのか、と考えても、お前結婚できない奴と見下される的な、それ相応のプチハラスメントは日常茶飯事です。


売上上げて、コスト落として、利益を拡大するということが大原則の会社の中にいても、それぞれ働く人の価値観は、資本主義が揺らぐレベルで様々です。
本社と支店の話、
日本とアメリカの話、
多様性を受け入れる文化の違い、
何の価値観が多様と考えるか文化の違い、
結婚観、
仕事に対する思い、
技術に対する思い、
親や子に、
同僚や友人に対する思い、
時間の使い方、
みんな大なり小なりの違和感を感じながら、どうにかやりくりをしています。

お前の小はこっちの大なんだとか、お前の大はこっちの小なんだというレベル感の違和感話はさらに輪をかけて多い。


あなたは変わっている。人にはない切り口で物事を考える。生まれてこの方よく言われる私への誉め言葉です。元々違和感を口にするだけで、よく褒められたものです。その数嫌われる事も。

それは反対にすると、あなたと社会が完全にシンクロすることはないという事への対義語でもあります。多分死ぬまでそれが同調することは無いでしょう。

ただ、その違和感を半分だけ受け止めて、自分がどう思っているかを半分だけは無くさずに、社会とかかわっていくというのは、私が死ぬまでやっていく事なのだと思います。


 

 

受け止めましょう。
仕事で褒められた事、それが自分の思いとちょっとずれている事、世の中色んな人がいて変なこと言う人がいるという事。


 

みんな違ってみんな良い。ということ。

 

金子みすゞさん、良く言ったものです。