久しぶりに1週間何も書かなかったな。

先週から半分仕事半分趣味でAIを作っていました。
パイプサイクルという図をガートナーという会社が作り出したのですが、テクノロジーは大きく分けると4つの状態(時期)を変遷するそうです。
http://www.gartner.co.jp/press/html/pr20170823-01.html

1.黎明期
まだ研究機関等で生み出された段階の技術
2.過度な期待のピーク期
何か新しいテクノロジー出た!未来すげー変わる!どう変わるかわからんけど。という知る人ぞ知る状態から、耳の速い人に伝わった状態。
3.幻滅期
実際色んな会社が使ってみて、なんだよ。全然出来ねーじゃん。期待はずれだなーと思う状態
4.啓蒙活動期
これにはこういう使い方があってね、こう使うと便利。的なエヴァンジェリスト(啓蒙活動家)が生まれる期
5.安定期
もはやそれがあるのが普通になる期


機械学習、人工知能、AIは2.の状態の真っただ中です。
ちょっと前はVRが、もうちょっと前はクラウドっていう言葉がその位置にいました。
「AIつかってなんかやってみてよ」と言われて、とりあえず、どないなもんか、食えるのか食えないのかを調べています。

この図はGoogleが出しているサンプルAIで、実際にうちのパソコンに入れて学習させてみました。
手書きの数字を見たときのコンピュータが、ちゃんとした数字として見分けられるように、55000件のテストを20000回やってみるテストの様子です。




いつもはこんな感じのプログラミング的な文字ばっかりの世界ですが、見た目がかわると、なんかすごい事やってるな感、出てきますね。



ですが、ここから3.の幻滅期に入る期間が、テクノロジーを生業にする業者にとっては一番試練の時です。
深く突っ込んで携わったものであればあるほど、製品を開発した人間は何ができるか、そして何ができないかわかります。
ただし、いったん過度に上がった期待を持ってしまった人の対応って、難しいんだよなぁっていつも思います。
我々ITだけでなく、モノづくりする側の人間は、顧客の要望をかなえるために全力を尽くすわけですが、認識の差異が激しいのがこの時期。
啓蒙活動期を経て、使い方や付き合い方がある程度わかると、誰もが同じ認識になるのですが、そこに至るまでは基本的にその期待との戦いです。



モノを作ってる側の立場からすると、クリックするボタン1個作るのも、いろいろなプログラムの連携を考えなければいけなくて、うんうん悩みながらの仕事だというのが身に染みて良く解ります。
でも、顧客や営業さんたちの、我々にやってほしい事は多いのですよ。。。。
追っても追っても新しい事は出てくるし、要求も高くなるので、「だったらお前がやれよ!」って思う事もちらほら。
悲しい話ですが、飲み会をすると、「我々の仕事は動くと当然だと思われ、壊れると怒られる。壊れないための努力は分かってくれない。」
という話になることが良くあります。

切ない商売についたものです。




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ですが、モノづくり側をしている事で得られた特権もあります。
我々モノづくり側は一般の人の数年先の未来を先に体験しているということ。
一般の人が食べやすいようにかみ砕かれてはいないし不格好ではあるけれど、他の人の知らない新しい未来を見ることができているという話。
なんとなく一番風呂に入った気分と似たような感じでしょうか。
なかなか人には共有できない事でもありますが、誰も知らないことを知ることができるというのは悦に入れる瞬間でもあります。



また、こういう仕事をしていると、何となくモノづくり側だけがわかる連帯感みたいなものを感じることもあります。
飛行機のシステムが止まった、改札口のsuicaが機能しなくなった、銀行のATMが止まった、
ほかの会社のシステムなりホームページがダウンして、いろんなユーザがネットでクレーム来て炎上してたりするのを見ると、
全然関係ないのに、「がんばれーー!!みんながんばれー!!!多分寝てないだろうけど、がんばれー!!」って作り手側の事を思ってしまいます。
だって、きっとこのホームページの裏では、こういうシステムが動いていて、こういうプログラムを書いてる人がいて、こういうコンピュータを守っている人がいるっていうのが想像がつくから。



AbemaTVで元SMAPの3人がでた番組終了後、藤田さんがツイッターでこんな話をしてました。
国内の過去最高同時視聴数を記録したにも関わらず、3日間一回もサーバーを落とさなかったうちのエンジニアも褒めてください。よく頑張った!
この凄さはね、身に染みて分かるんですよ。

サイバーエージェント、すごい会社やなと思いました。
それを実現するエンジニアも、それがわかる藤田さんも。





私は売ったり提案したりする方も経験しているので、そっちの気苦労も分かっているつもりではいます。
テクノロジーを理解するということは、この勉強と一緒で、知識を蓄えた量が一定の価値を生みますが、
しかし、テクノロジーよりも人間のほうがより網羅性のないもので、そういう対象を相手に一定の価値を提供するってのは、難しいしその技術も伝承するのはなかなか難しいと思います。
人と仲良くなって信頼を得て、お金をもらう事の出来る人は羨ましい能力を持っているなと思います。
私は売る方と作るほう、どっちが大変かといわれると、私にとっては、売るほうが大変だと思います。



去年引退しましたが、伯母が高級ブティックを経営していました。
ここの店のお客さんは、大半が伯母のファンでした。
伯母の人柄に惚れ、店先で話をしたい、話を聞いてもらいたいがために、数万円の服を購入するお客さんで売り上げが成り立っていました。
これは、誰にもまねできない才能だと、見た瞬間で直感が走りました。そして今の自分にこれはできないという事も。





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そんな伯母が今、実家の田舎で母の介護をしてくれています。
もはや寝たきりで、話していることも届いているかわからないのですが、
「あんたの息子はすごい息子よ。一人でさっとアメリカ行って、私らの知らんことをよう知っとる。私らが想像できんことをあの子はやってる。あんたはよう育てた。」
とベッドの横で母に話しかけていたという話を、介護士さんから聞きました。
うれしいことです。ほんとありがたいことです。



母が最期に誇れる息子でありたいという事は、

私が今ここにいる理由でもあります。
色んな人がいろんな事を言います。
そんな外国に行くんだったら、結婚して田舎に帰ってそばにいろ。
とある人に、そう直接言われたこともあります。



そういうときに決まって思い出すのが、

実家の田舎でお茶を飲みながらテレビを見ていた時の事。
サントリーの人がヨーロッパに美味しい水を探しに行く番組でした。
それを見ながら母は一言言いました。
「あんたはこういう仕事をしなさい」



今そういう仕事をできるか、それは分からんです。

でも、いま自分に必要なのはここで働くことだと思って、

母と1万キロ離れたところで仕事をしているわけです。

 

 

おかれている立場で最大限のパフォーマンスを発揮する、

自分が一番その能力を発揮できる場所にいるということ。
それは売るところにも物を作るところにも、田舎でも東京でもアメリカにいても共通することですし、それが自分の視野を広げて他人の苦しみを分かるようになる事につながると思います。そして、支えてくれる実家の皆さんに感謝できるようになりました。
 

 

自分のパフォーマンスがイマイチで、人のことを羨んでいる状態だと、

人の苦しみは分からんと思います。
頑張った人の気持ちは、頑張った人にしかわからんのですよ。


 

 

 

 

 

テクノロジーを理解するという事は、そういう見つけた人の先見の銘への敬意と、その一部である誇らしさと、他の沢山の人の努力の理解を生むのだと思いながら、私は明日も仕事をするのです。