なんか椎名林檎の曲みたいなタイトルになったな。。。



ももいろクローバーの有安杏果さんの引退の記事をさらっと読んでた時に、
http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/14/ariyasu-momoka-graduated-momocloz_a_23333319/
今後については「具体的には何も決まってません。逆に何も予定のない日々を人生で一度くらい過ごしてみたいなと思ってます」とした。という文章が頭に引っかかって、文章を書こうと思います。



アメリカに来てよかったことの一つとして、いろいろな人との関係性から距離を置けるようになったことがあります。
今日はそれについて考えてみようかなと。

 

 

自分が日本にいるときに見出した一つの法則として、
何かができるようになると、それについやす時間と、それにかかるお金、人間関係の複雑さ、この3つからは避けて通れない。
 

そしてこの3つは何かが上達するたびに等比級数的に膨らむ。

こんなことを考えていました。




日本にいるときの私は、常にスケジュールを気にする人間でした。
平日は仕事をしていますし、
夜は行きつけのバーで飲む。
土日も趣味でギターを弾いていたり。
実家の介護関連のトラブルやその調整も。

 

 

そのどれも、やればやるほど時間のかかることですし、関わる人がどんどん多くなっていきます。
何かが上手くなる事それ自体は嬉しい事ですし、そんな自分を気にしてみてくれること、応援してくれる人、そういう人がいるのも嬉しいし、ありがたい事です。
ただ、やればやるほど膨らんでいく時間と投資額と人間関係が、どんどん重たくなっていく。

 

 

 

仕事は仕事で認められると、さらに大きな時間のかかる仕事が舞い込んでくる。顧客だけでなく、人をまとめること、偉い人の人間関係を見て報告するなど、気にすることも増える。
 

 

 

バーでもっと美味しいお酒を飲もうとすると、お金はかかるし、常連さんとの人間関係もどんどん複雑になります。
 

 

 

ギターもそう。うまくなるとプロやセミプロと一緒にやりましょう。お金をかけて大きな箱でやりましょう。やることがどんどんシビアになります。上達するための練習量もどんどん多くなるし、機材も買いたくなる。
 

 

 

介護関連なんて、その人を大切に思っている周りの人の感情が一番表に出るところです。医者でもできないことを、私ならやってくれとも言われたりします。



時間とお金と人間関係、この中で一番厄介なのは人間関係でした。
 

 

時間は24時間しかないので、出来ることとできない事は判断できる。お金も増やすように努力はするけども、今あるお金に上限があることは分かる。
 

 

ですが、人の信頼はつかみどころもなく、客観的に判断できないもので、やる気やパフォーマンスを向上させるものでもあれば、むちゃくちゃげんなりさせられるものでもありました。
生きてきて30年以上もたてば、人の信頼が簡単に落ちるのも、回復するのが大変のも良く解ります。なので、いつ機嫌を悪くするかわからない子供のように、大事にその信頼を養っていった事も事実です。
 

 

 

人の期待は時間やお金のように際限がない。できたら次はもっと、出来たら次はもっとの繰り返しです。
気が付いたら、やりたい事とやってほしい事の中点を毎度取ったつもりでいながら、実はやってほしい事重視なことも多かったんじゃないかなぁと思っています。
自分自身も、人の信頼にこたえていく反面、必要以上に承認欲求を求めるような、人間関係メタボリックになっていたと思います。



 

 

 

そういう人間関係や人の信頼から10万キロ、12時間以上の時差ほど離れてみて、それを客観的に焦らずに落ち着いてみることができているのが、アメリカに来てみて良かったことの一つでした。
アメリカに来てみると、人間関係はリセットされるとは言わないまでも、それまでのコミュニケーション量からだいぶ減った状態からスタートします。
 

 

 

 

必然的に一人でモノを考えたり、美味しい料理を作ってみたり、ふらっとドライブに出てみたりする時間ができます。
朝起きて、「あれしなきゃ、これもしなきゃ、あーあれできてない」なんて考えてた自分が「ああ、今日なんもないな。何しようかな。」と思う日を過ごすなんて。
そうして自分がやりたいことを1個ずつ選びながら生活できているのに、なんとなく幸福感を覚えます。
 

日本にいるときにこんなblogなんて書く余裕持てなかったですよ。マジで。



日本にいる家族や友人に何かを頼むこともありますが、こういう時にも「誰が自分にとって信頼できる人なのか」という選別ができる時間ができます。
 

 

日本の郵便受けに溜まっている郵便物を整理してほしい
 

 

両親の介護について、ケアマネージャにコンタクトを取って支払いや方針を聞いてほしい
 

 

日本のオフィスにあるドキュメントを参考にしたいからメールで送ってほしい
 

 

こういう日常の事でも、距離や時間が離れているからこそ頼むことも簡単ではなくなり、その代わり誰なら頼めるのか。自分にとって信頼できる人は誰なのかというのがわかります。
元気であることを伝えるのも、日本より手数増えるし、その際にも本当に伝えたい人誰なんだっけというのを考える時間ができます。



また、日本にいた頃受けていた注意や指摘も、
 

 

この人は自分を本当に心配して言ってくれていたんだな。とか、
 

 

この人はただ言いたいだけのクレーマーだったなとか。
 

 

人の信頼や期待に対する自分なりの評価もできる余裕ができました。


 

 

当たり前の話ですが、自分がいない日本でも、何も変わることなく日常が過ぎていきます。
いないならいないで、代わりに頑張る人間が現れて、その仕事をやっていきます。こういうのを見ると寂しくなるのかなとも思っていましたが、案外そうでもないです。
 

 

自分の思いを引き継いでそれを体現しているような家族や友人、同僚がいるのを見て、そういう人が周りにいたことに対する幸福感のほうが大きいかなとも思います。



もちろんアメリカに来て過ごす時間も長ければ、日本と変わらない状態になっていくでしょう。
 

アメリカに来て赴任歴5年の日本人赴任者の方とゴルフに行ったとき、「ゴルフ行くともうボールとコースだけに集中して、明日の仕事のこととか考えないでしょ。そういう時間を作るの大事なんだよ。」
と言ってました。

 

 

まさに私は今はそういう時間を長時間持てる、めったにない時間を過ごしているのだと思いますが、
 

 

時間がたつと自分の時間が持てるのはゴルフの時だけ。なんて日が私も来るんだろうなと思うし、日本に戻ったらここで過ごしている真反対のめんどくささがあると思います。



アメリカに行ったら毎日英語で孤独な生活を送るのか。的な話を日本でした覚えがあるのですが、実際楽しい同僚もいますし案外孤独でもないです。
それに孤独度合いが増えたことは寧ろ余裕を持つことにつながっているし、今まで必要以上に抱えていた毒素をデトックスできているような気分です。
 

 

 

 

逆に日本に戻ったら、毒素まみれでめんどくさいけど、脂っこい人間関係を楽しんで過ごせる自分ではいたいなと思っています。
その時は渡米前よりも、必要だと思った脂っこさを嗜める、もう少し節制した大人な自分でいたいものです。



何も予定の無い時間を過ごすなんて、ただのモラトリアムじゃないかと思う人もいるかもしれません。
サッカーの中田英寿さんが引退して旅に出たときも、この人何やってんだと思う人が沢山いたように。


有安杏果さんは引退されます。何でもない日常を過ごします。
いいじゃないですか。
日々の生活に違和感を感じながら、時間を無為に過ごすよりも全然いい事です。
 

 

 

やればできるんだっていう過信した人の自分探しってわけじゃないですし、ひたすら一つの事に集中して結果出した人のセカンドライフくらい、ほほえましく応援しましょう。
 

 

環境が変わって、今まで見えてなかったことが見えると、穏やかに日常を過ごせると思います。ずっと穏やかだとつまらないけど、ずっと忙しいよりよっぽど良い。

 

 

大学時代に後輩ちゃんから言われた名言をまだ忘れてはいません。

 

 

「忙しいっていうのは、

心を亡くしている状態なんですよ。」