GeneralistとSpecialist、どちらに未来があるかということを、
1.辞書の意味以上に人のイメージが付加されて誤解されている
2.傾向と尺度の問題を、2択で迫ろうとしている間違い
というボタンの掛け違いについてみてみました。

お金を稼ぐという意味合いでは、度合いは違えどみんな何かのスペシャリストでその技術、情報、サービスをお客さんに提供している構造は変わらないと思うんですね。




では、辞書の意味以上に人のイメージが付加されている意味について考えます。
スペシャリストと呼べる人は、ひとえにそのスペシャリティが「得難い」ものであるという事に、スペシャリストと呼ばれる所以があると思います。
その技術は余人を持って代えがたい、なおかつ多くの人が必要としている、実態としてはそういう人をスペシャリストと呼んでいます。
 

 

 

私がまだ右も左も知らぬ若手だったころ、こういうスペシャリストをよく見ました。
気性は荒いし、言ってる言葉の端々が刺々しい、しかし特定の製品について、余人を持って代えがたい製品知識と良質なサービスを提供する。
陰では賛否両論あるのに、必ずその人の知識を求めて人々が集まる。とても分かりやすいスペシャリストです。
そのスペシャリストさんと話をしていて、印象に残った一言があります。

「自分と同じ技術を身に着けようと思っちゃだめだよ。この技術はそのうち衰退するから。同じ時間をかけるなら何に詳しくなるべきか選択が大事。」
 

そうなのです。スペシャリストのリスクは技術を特化する分野の選択が非常にギャンブルを伴うという点です。自分が長時間努力を捧げた技術や文化が、人に認められない、それを求める需要がない場合、もはや不幸以外の何物でもない。

 

 

そのためゼネラリストという文言が表れてきたのだと思います。技術が衰退したとしても常にその他にシフトできる柔軟な思考力とベースとなる自頭を鍛えておく。そして必要なタイミングでスペシャリティをシフトする。そうしてできることが多くなってきた状態を、もしくはいつでも新しいことが学べそうな人という状態の人をゼネラリストと呼ぶのではないかと思います。
いわばゼネラリストはリスクテイクのたまものなのです。



我々の世代が単一のスペシャリティを持って定年まで同じ技術を高めながら過ごしていくのは非常に稀なことです。
綿製品が、鉄鋼業が、石油化学が、自動車が、ITがもてはやされていた時期には、それを極めることが製品力の強化につながり、それを必ず人が必要としてくれているベースがあるから、モノづくりの名のもとにスペシャリストがもてはやされました。
んで、何が儲かるかわからない時代が訪れ、なんでもシフトできるという意味合いでゼネラリストがもてはやされました。各スペシャリストのスペシャリティを因数分解して新たなサービスを生み出すパイオニアになりうるからです。
とはいえ、だれかに何かを頼るだけではサービスを創出する軸がないので、スペシャリストの重要性もそれなりに求められるようになる。
この振れ幅がSpecialist vs Generalistの構造なのだと思います。



 

もう一度戻って、Generalist vs Specialistどちらに未来があるか。

この質問の答えは、
自分のスペシャリティが何であるか、何が人と比べて特別なのかを判断し、期間を決めてそれを極める。
そして常に自分のステータスを見極めて、自分のスペシャリティをどれだけの人間が必要としているか深く想像する。
自分の特技が市場と異なっていた場合、シフトする候補を決めておき、同時並行でそのスペシャリティを高める。

そうすることでGeneralized Specialistになっていくのが、より確実な未来を手にできるのではないかと思います。