サウスカロライナの湖。この4時間後に日食がおきます。

本題とは関係ありませんよ。

 

 

「どうやったら英語をそんなに話せるようになったの?」

先週直属のマネージャからそんなことを言われました。

彼はインド生まれ、アメリカ育ちの英語ネイティブです。

 

「外国語は学校でスペイン語を学んだけど、全く話せなくて。」

そうして彼は苦笑いを。

 

マネージャだけではなく、日本にいるときにも何人かに聞かれる定型質問。

そうしたときに、もはや自分の定型句にもなっているのが、

「学生の卒業旅行としてバイトで100万ためて南アフリカに1か月過ごしました。あとは会社での会議やミーティングなどでコツコツと。」

 

 

 

 

 

「私は英語が話せます」

といってもいいレベルかどうかは定かではありません。

話せるし話せない。

 

日常会話はまあ8割は。仕事もチームに日本人は私しかいませんが、専門分野における話はこれも大丈夫。

でも、毎度アメリカのネイティブスピーカーに交じってお客さんと電話会議すると、決まって理解度が2割に減ります。

もうなんどもdisgustedでexhaustedな思いをします。


日本人でも私より英語ができる人間はたくさんいて、そういう人はミーティングなどで言いたいことが言えないパフォーマンスに、

たまにイライラしているのだろうと思うと、わーわーわーわー頭が呻きます。

 

周りの人がフォローしてくれるから、何とか持っているようなもので。

でもこちらの業務上の専門知識が重宝されているからこそのフォローかもと思うと焦りも出てきます。

あと、英語が話せる人の代名詞でもある、ドラマや映画が字幕なしで見えるというやつ。私は全くです。。。。

 

 

 

 

 

この人は頭いいからなどと言われる人もいますが、それは正しいベクトルで正しい量勉強する事へのアプローチが速いだけ。

これについては昨今の英語教室ならどこでも正しいアプローチをしていると思います。

そうすると努力に比例して語学力が上がっていく。しかし、結局努力に比例する成果は分かっていても、いかに努力をするかなんて結局誰も教えてくれない。だから語学力を向上させるのは正直「マジで厳しい」作業なのです。

 

語学力は地道に地道に上達するもので、それはマラソンのタイムが上がるのと同じで、ギターが上達するのと同じで。

何度もげんなりする思いを乗り越えて、少しずつ良くなっていくの繰り返し。

だから、ネイティブでなく流ちょうに話ができる人を見ると、語学力が上がれば上がるほど、その努力がより身に染みてわかり、頭が下がるものです。

 

ある人が「英語の話し方わかったわ。話せる人に頼めばいいんだ。」

こんなことをいう人がいました。これもこれで真実ですが、内心ふざけんなよという思いです。

英語しかできない、本分の仕事が成果上がらない、そういう人もいるでしょう。しかしすべからくそういう人たちは、それなりの努力をしてその立ち位置にいるという事は知っておいてほしい。

 

 

 

 

 

 

反対に、英語を話せる人は、「それ英語で話せよ。こっちが苦労して話してるのに、日本語で好き勝手なこと言うなよ」なんて事を言うこともちらほら。これもこれで身につまされる思いですが、半分はこっちに片足突っ込んでる私としては、その培った苦労が少しでも和らぐような、方法を考えたいなとも思っています。だってその努力むっちゃ辛いもん。

 

 

 

 

 

 

最初に戻り、どうやって英語力を手に入れたのか。

その解答は非常に難しい。

できれば自分のように回り道することなく、外国の人と話をしてほしい。んで楽しみながら語学力を上げてほしい。

話し方は少しは指摘できるかもしれない、けどうまくなるにはコツコツとたまに苦しい思いをしながら長年努力をすること以外の結論が見いだせていないのが切ないのです。

 

私はアメリカ含む10か国ぐらい出張や旅行の経験がありますが、語学力不足が原因でイライラされることなんてなく、人を選べば大概の人は親切そのものです。

そんな外国人の善意に触れるたびに、ああもっと勉強しなきゃと思い、そうして闇にはまりながら、ちょっとずつ英語を勉強した結果、今私はここにいます。

一つの目標であった海外生活を実現するまで、長かった。。。ような、短かった。。。ような。

そして語学力という意味でいうと、これがゴール地点でもなく、果てしなく長い感じもします。

 

 

そして、苦労してバイリンガルになった人たちに敬意を。

バイリンガルになりたい人にエールを。

んでバイリンガルになりたい俺、もっと頑張れよおい。

 

 

 

 

というわけで、次は何を書こうかな。