シゲさんは車酔いだけではなく、どうやら本格的に体調を崩したようであった。
真っ青な顔をしてフラフラしている。
早く滞在する宿を見つけて、休まないとキツそうで気の毒だ。
とはいうものの、知っている宿は町なかに一軒、町から徒歩40分のところにあるオルホン休養所というリゾートが一軒。
この町には宿の客引きの姿ははもちろんなく、交通機関があるのかすらも疑いたくなるくらいさびれた雰囲気であった。
とりあえずその町なかの宿に行ってみた。
ここもまた看板すらない見事に飾り気のない建物で、聞いていなければホテルだとは見当もつきそうにない外見であった。
無人のフロントで声をかけると若い女性が出てきたが、もちろんというかなんというか英語はまったく通じなかった。
手製のモンゴル語会話集をカタカナ読みして、トメテクダサイ と頼んでみると、ダメデス との返事である。
話が通じないとは大変なものだと改めて思った。
海外に出て2ヶ月以上が経過していたが、中国では曲がりなりにも漢字でのやり取りが可能であり、中国語を全く知らない初めの頃であってもそれなりのコミュニケーションは取れたのであった。
この場合、満室なのか、外国人が厄介だと思ったのかが問題であった。
満室でさえないのならなんとかやりようはあるはずだった。
おねえさんは困ったような顔をしているばかりである。
さて、どうしたものか… と考えていると、シゲさんは床にペタリと座り込んでしまった。
よほどきつかったのだろう。
床でいいから泊めてくれ、と身振りで訴えている。
おねえさんは事情を察したらしい。
ところがそれから彼女が取った行動は僕の予想の範囲を超えていた。
どうやら宿は本当に満室だったらしいのである。
彼女は僕らふたりを連れて部屋へ向かうと、二つの部屋に泊まっていたモンゴル人客たちとなにごとか相談を始め、彼らを相部屋にしてそのひとつを僕らに空けてくれたのであった。
ふたり組の兄ちゃんのうちひとりの名はジャルガル、ひとりで泊まっていた兄ちゃんはヤトゥンスルンという名と後で知った。
その後の僕らのハラホリン滞在は、彼らとの交流で実に楽しく素晴らしいものになったのであった。