列車に乗り込んだら、次は座席にたどり着かねばならない。
一応は座席指定の切符であるが、この乗客の多さではまさか空席のまま空いているはずはないのだが。
通路に座り込んでいる人々の舌打ちを浴びながら、ようやく座席の番号を探し当ててみると、6人掛けのボックス席に8人がギュウギュウ詰めに座っている。
僕の席、ここよね?
と、彼らに切符を示すと、おお、そうだそうだ、と、さらになんとか僕の分のスペースを作り始めた。
どうやら無理やり9人掛けで長旅が始まるようだ。
母、姉、3歳くらいの妹の家族3人連れ、おっさんが二人、にいちゃんが二人、人民解放軍の軍服を着た兵隊さん、そして僕である。
早速皆と会話が始まる。
にいちゃん二人のうちひとりはコンピュータープログラマー、ひとりは南京の大学生で、幸運なことに二人とも僕と同レベルの英語を話した。
筆談と合わせるとほぼ100%意思疎通が可能で、これは退屈せずに済みそうである。
家族連れと、プログラマーと、おっさんのひとりは西安に行くらしい。
もうひとりのおっさんは鄭州へ、大学生は終点の蘭州で乗り換えて青海湖のそばの実家へ、解放軍の兄ちゃんは休暇で函谷関のそばの実家へ帰るのだそうだ。
時は1995年7月初旬、どうやら学生達の夏休みの帰省シーズンらしい。
これから2ヶ月は学生達が大学を離れ、各地で英語が通じる機会も増えるかもしれない。
学生さんは南京の大学で気象を学んでいるらしい。
サッカー部で、日本のJリーグの話題や、カズがイタリアでプレーしている事などよく知っていた。
プログラマーとは電気製品の話をする。
台湾製、韓国製の電化製品の値段は中国製の2倍で、日本製だと5倍から10倍するらしい。
それでも日本製に憧れるのだそうだ。
日本のテクノロジーはスゴイよな!
と言って、僕に積分の問題を出してくるので参ってしまった。
鄭州行きのおっさんのお父さんは、かつてハルピンで日本軍の運転手をしていたのだそうだ。
軍属というやつだろうか。
解放軍の兄ちゃんとは、お互いに女の子の遊び相手になることでコミュニケーションをとる。
小柄で浅黒く、いかにもアジアの兵隊さんといった感じである。
制服姿ではあったがカチッとした感じは全然なく、他の乗客との関係もフランクなもののようであった。
きっとこの兵士達はそんなに強くないかもしれないが、いつまでも粘り強く民衆と共に国を守るのだろうな、という印象を受けた。
駅に着くたびにものすごい数の乗客が乗り込んできて、車内はますます混沌としていった。
そんなギュウギュウ詰めの通路を、無理やり弁当売りやスイカ売りが通ってゆく。
駅では開いている窓から人がダイビングして入り込もうとするので、僕らのボックスでは暗黙のうちに停車前に窓を閉めるようになったようであった。
南京を出てから14時間後、23:30洛陽着。
皆に別れを告げ、通路で体育座りで寝ている人の間や上をまたいでようやく列車の外に出た。
お互い見知らぬ者同士のはずの乗客の会話が実になごやかで、面白い経験であったが、このすし詰め状態での移動はそう何度も連発したくないな というのが正直な感想であった。
今となってみればすごく懐かしくて是非またやってみたいが、その後僕は極力この硬座と呼ばれる二等席を避けて旅をしたところを考えると、かなりキツイ移動ではあったようである。