11月27日が『あいち県民の日』
なるものに制定された。
その前の一週間があいち県民ウィークとして
施設によっては割引や入場無料になった。
大した大盤振る舞い企画ながら
名古屋市内で入場無料になる施設は
愛知県美術館のコレクション展のみ。
昔は尾張地方にある
美術系大学や専門学校の卒展が
大体ここで開催されてたのもあって
ギャラリーには何度か行ってたけど、
既存の美術館に飾られてるアートは苦手で
(当時画期的な作品も現代に至るまでに
何度も模倣されて手垢のついたネタになってて
目新しさのないものに見えてしまうことない?
縦長の構図でアーチ状の枠に
図案化した草花で飾られたミュシャ風の背景とか。
「これが元ネタ!」って気づければいいんだけどね)
美術館の方には入った記憶がない。
チケット売り場を通り過ぎ、ロビー内へ。
ミュージアムショップの先に分岐、
特別展は右、コレクション展はまっすぐ。
坪庭に十字のガラス張りの通路が通った交差点、
ラウンジの中央と四隅に1m程度のブロンズ像が5体、
4体が同じ作者の連作で、中央がロダンの作品。
像は世の中に等身大が溢れてるし
作風も時が過ぎて洗練されたものを気軽に見られて
有名作者の作品も古く粗い作品に見えてしまう。
正方形を使った作品展示の中では
タイルをモチーフにした作品が面白かった。
6畳くらいありそうな大きな絵で、
様々なタイルの模様を貼り付けるように並べた中に
金属光沢のような反射するのはラピーテープかな?
そんな素材で戦車やバイク、戦闘機のような模様が
規則的に並んだ中に点で描かれた放射状の模様が
キラキラとリズミカルに光る。
絵の表面に光ファイバーを、
中に光を点滅させる仕組みを仕込んであるみたい。
隣の展示室へ。「名品」はどこから来たのか?
作品の数奇な変遷を持つ作品の展示。
途中、展示ケースにオークションカタログがあり
壁にかけられた作品のページが開かれていた。
誰もが名前を知ってるだろう有名画家だと
ゴーギャンとピカソの作品があったが
どちらも薄暗い展示室で映える作品じゃない。
ピカソの絵なんか
メンタルめちゃくちゃな青の時代の作品。
絵が上手い自負がある人たちと集まって
切磋琢磨ししてるうちに隣の芝生が青く見えるとか
自分より評価されてる人を見て劣等感を持ち
メランコリックになってしまう人が出る。
青の時代は親友の自殺を受けてなお、
描き続けたピカソの苦闘の時。
アンリ・マティスも時代によって作風が変わる。
1枚だけで展示するならその時代の画家の心理や境遇、
憧れた芸術家や作品とかの理解が要る。
ジョージ・シーガルの
ロバート&エセル・スカルの肖像。
主に医療用石膏(ギプス)で固めて作った型に
充填して作った像。
イヴ・クラインのアルマン。
これも型を取って樹脂で作った像だったが
金メッキの板から抜け出そうとする群青の人形で
同じ作風で3体作ったうちの1体だとか。
三者揃った状態はどんな感じなんだろう?
一体を複製して並べても
背景や素材の色を変えて並べても面白そう。
人間を型を取った作品は、模写模刻みたく
無から作り上げるのを思ったらズルいと思うけど
容易く複製出来るからこそ作れる作品があって
数を揃えることで生まれる何かがあるはず。
あと立体って絵より多角的に見られるから
見る時間が長くなるのも利点かな?
日本画、やまと絵の展示室。
床の間に飾るよう半畳ほど奥まった壁に
かけられた線が細く色の薄い絵を
アクリルガラス越しに見るのは雑魚視力には辛いw
軸装された作品たちが目立つ。
明治天皇収穫叡覧之図は明治天皇が行幸の途中、
名古屋で稲刈りの様子を見学されたのを描いたもの。
田んぼは瑞穂区にあった熱田神宮の神田で、
鳳凰を載せた輿に向かい伏して説明するのは
戊辰戦争で新政府側についた尾張藩主 徳川慶勝。
稲刈りしてる横で千刃こきや唐箕で作業していて
刈った後の日干しの行程を省いているので
偶然通りかかったのではなく天皇に見せる為の
パフォーマンスだろうと説明文に書いてあった。
美術館が集めたというか
収集家から寄贈されたものらしい
熊谷守一の絵画たちもイマイチ刺さらず。
複数あった猫の絵も作風かなんか線が固いな。
昭和中頃の猫は痩せてて筋張ってただけか?
塗り方の実験的な作品としてキャンバス上に
絵の具のチューブを直に搾って描いたろう裸婦像。
絵は紙に絵の具を塗り重ねる立体造形物
(ゴッホなんかはわかりやすいよね)とは思うが
その大胆な筆致(?)、ミミズ状の塊の絵の具が
額縁いっぱい埋め尽くされていて
若干の気持ち悪さを覚えたが印象に残ってない。
終わりがけにある裸婦像のパートは
説明文のフェチシズム溢れる表現には笑った。
そんなに熱く書いてくれてるなら
こっちも真剣に見ないといけないな!と
膝を抱えるよう座った像の腕の下の隙間からとか
正面から見えるくびれと
横から見るぷっくりしたウエストラインとかを
真面目に見入ってやった。
傍目、エロいポイントを凝視してるだけw
裸像の股間を見てしまうのと同じ感覚で
裸婦像の胸や股間を見るのは悪なのだろうか?
劣情をもよおす人のそれと変わらないという自覚と、
どう見られてるかを想像してしまって怖いのだろうけど。
やっぱ卒展みたいな玉石混交な中だとしても
光って刺さるクリティカルヒットのような
即効性の高い猛毒みたいな展示に当てられて
100年前の、芸術作品を見ても凄さがわからない。
個人的にはあまり刺さらなかった。
ここ(美術館のある芸術文化センター内)で
過去に開催されてた卒展では
オナホ並べたレリーフや等身大陶器の裸婦像、
きぐるみでのパフォーマンスを見てから、
美術は金持ちが着飾って化粧と香水の匂いをさせて
ギャラリーを散歩する為のものじゃない。
もっと気楽に楽しんでいいんだと考えられるようになった。
キャンパス展示ともなれば学校の建物や空気、
屋外でないと出来ない巨大なものや
部屋をひとつ占拠したもの、
リアルタイム配信を見る、配信中の現場とか
散々衝撃的なのを見て来たから
こっちから歩み寄って作品の意図を読み取る、
察するような能力が退化したのかも?
絵画の『写実』は写真に取って代わられ
更に容易に明暗や色調も加工編集出来るし、
キーワードを打ち込んだら自動生成する、
そんな手法すら出てきてしまい
ペンすら走らせず絵師を気取る人すらいる
見る側、創る側の垣根が崩壊しつつある時代。
それでも手を動かし出来うる表現を追い求め
死ねば新作が生まれなくなることを嘆かれる、
唯一無二の存在と世の中が才能を認める
そんな芸術家を目指す人はいなくならないはず。
飾られていた作品の多くはたとえ巨匠の作品でも
今ほど道具も手法も洗練されてない。
その時代にここまでのものを作った!
よくぞ残った!って骨董価値か。
それか有名人に選ばれ渡り歩いた所有者遍歴が
珍重されて行く時代が来たりするのだろうか?
国内の企業や個人美術館は『収集』が主目的で
投機目的なことどころか放出も稀っぽいけど
現代アートはそんな路線だとも言うし、
今回の展示にオークションカタログや
所有遍歴の痕跡らしきものを紹介したのもあったしなぁ。
帰る前に
名古屋三越のライオンを探して
久屋大通公園の
イルミネーションを見ながらふらふら。
日が落ちて本格的に寒くなると
家まで歩く気がなくなるね。







