最後の最後に北京オリンピックを振り返って。

総括して思うのは。

 

羽生結弦は羽生結弦だった。

 

そういうことなのかな。

想像もできないような重圧、緊張、恐怖、覚悟を背負って臨んだオリンピックだったと思う。出場する事すらなかなか決められないくらいに。それでも、羽生結弦であることから逃げなかった。最後まで、羽生結弦であり続けた。

 

結果だけ見れば4位で金メダルは手に入らず、4Aも成功は出来なかった。

悔しいと思う。もう本当に悔しいと思うけど、でもやり切った。あの羽生結弦がそう胸を張って言えるくらいにやり切った。それで十分なのかもしれない。

今回、勝たなかったことで、勝つことが全てじゃない、報われることが全てじゃない。そんな風に考えられるようになった部分もあるのかもしれなくて、それは今後の人生に繋がっていくんじゃないかな。

 

正直に言うと、フリーが終わった時、これで羽生くんが背負い続けてきた重荷が少し軽くなるのかな、とちょっと思ったりした。ファンは変わらないだろうけど、それ以外の周囲の関心が今より薄れて、少しは自由になれるのかなって。実際には真逆の現象が起こったんですけどね(^^;)。

ただ、背負ってきた重荷は少し、下ろせたような気もするね。

もう風よけにならなくていい。少し解放されて、自由になって、滑っていいと思う。この10年、男子フィギュアをずっと牽引してきたんだから。どのフィールドを選ぶにしても、これからは自由にやりたいように、自分のために滑って欲しいな。

 

 

そして、TLでこういう意見を見かけたんだけど、この意見には私も共感できる部分があった。たとえ羽生くんが完璧に演技をしたとしても、ISUは優勝させる気はなかったと私も思う。真っ当に採点すれば羽生くんが勝てる状況でも、絶対に点数を与えなかっただろうって、私も思うから。

金メダルじゃないなら、4位が一番いい順位だったのかもって、ちょっと思ってる。

表彰台の下に立たせて、会見で気を遣わせて、テレビ回りで後輩の面倒見て。ケガの対応もできなくて。そんなことになるくらいなら、メダリストにならなかったことはマイナスだけじゃなかったかなって。

https://twitter.com/konomis68/status/1501860625030709249

 

完全にメダリストと別れたことで、如実になった現実。羽生くんの価値はメダルや結果だけにあるわけじゃなく、彼自身にあったんだってことが明確になった。

羽生くんが金メダルを取らなかったことで、皮肉にも彼の本質が多くの人に知れ渡った。

世界中で多くの人が彼の本質に気がついて、心を引かれた。それはある意味、メダルを取るより凄いことかもしれない。

メダルを取るのはもちろん凄いことで、大変な事。今回のオリンピックを見ててもそう思ったし、だからこそメダリストは讃えられる。でも、メダリストだからってそれだけで多くの人の心を動かせるわけじゃない。賞賛することと、心を動かされることは別だから。


金メダリストだからこそできることはある。
でも金メダルを取っても、できないこともある。

金メダリストがみんな、羽生結弦のような存在になれるわけじゃない。
羽生くんはメダルを取っても取らなくても人の心を動かす、そんな存在になんだよね。

 

 

とは言え、羽生くんにとって北京オリンピックって何だったんだろうってことは、今も考えてる。

その答えはまだ分からないんだけど。

 

もしもオリンピックに出ていなかったら、どうだっただろう。

全日本で「ロンド・カプリチオーソ」という「バラ1」に匹敵する素晴らしいショートプログラムを披露できた。フリーではDGだったけど4Aに挑戦出来て、その後のプログラムもまとめられて、いい演技ができた。いい点数も出た。優勝できた。オリンピックで経験するあの事故や理不尽を経験しないで、頑張れたって思えて、幸せなまま次に進めたのかな。

でも、北京に出ることにしたのはまだやり切ったとは思ってなかったからじゃないかな。そうだとしたら、後で後悔することになったんじゃないかなって。どうして出なかったんだろう、どうして挑戦を止めてしまったんだろうって。

織田くんが「フィギュアスケートといは生き様を観るスポーツである」の中で語ってる後悔。それと、同じ種類の後悔をすることになったんじゃないかって気がしてて。だから、やっぱり出てよかったんじゃないかって、そこはそう思うんですよね。

 

そして、もしも4A決めて、3連覇をしていたら。その時は?

それはもうこんな幸せなことはなかったよね。これまでのいろんなことが全部報われて、夢を叶えて。心からの満足と幸せを得られただろうし、当然周囲からも賞賛の嵐だったはず。それだけのことをやり遂げたのだから。

ただ半面、今回、報われなかったと語った羽生くんのファンになったり、羽生くんを理解したような人たちの共感は多分得られなくて。それでも十分に多くの人を魅了したとは思うけど、今回羽生くんに引き寄せられた層の人には響かなかったんだろうなって。

 

 

そう考えると結局、羽生くんは何も失ってないんだよね。

望んだものは得られなかったけど、それ以外のものを得た。

ショートもフリーも自分が表現したい世界観をしっかり表現できた。オリンピックという最高の舞台で、最高の4Aを跳べた。エキシの練習でやっぱり自分のスケートが好きだと再確認できた。心を込めた「春よ来い」を世界中に届けられた。全てをやり切れた。点数が伸びなくても、メダルがなくても、誰も離れていかないことを知った。求められているのは結果じゃなく、自分のスケートなんだって自信も得られたんじゃないかな。

 

何があろうともオリンピック2連覇の実績は何も変わらないし、羽生くんのスケートが特別で多くの人の心を惹きつけることも変わらないし、周囲から人がいなくなるどころかむしろ増えたし。羽生くんはいつもスマートで隙がなくて、努力は報われてきたし、欲しいものは手に入れてきたっていうイメージを持たれてて、あまり快く思ってなかった人もいた。実際はそうじゃないけど、それは他の大会じゃ伝わらなかったんだと思う。オリンピックという多くの人が見る舞台だったからこそ、羽生くんの本当の姿を世界中の多くの人が知って、共感を覚えた。

 

北京落ちさんも相当増えてるし、落ちてないにしても好感を持ったり、共感した人が世界中に増えて。それは羽生くんがこれから何をやるにしても、絶対に大きな力になる。支えになる。将来を考えたら、むしろプラスしかない。

 

そう考えれば、この結果にも意味があったと言えるのかな。

そうは思ってみても、これでよかったとはやっぱり言えないんだよね。ここまで味わってきた羽生くんの苦しみや重ねてきた努力を思うと、これでよかったとはやっぱり言えないんだけどね。

 

良かったとは言えないけど、羽生くんが北京オリンピックに出てくれて、羽生くんのフィギュアスケートを見せてくれて、羽生くんを応援できて、私は幸せだったよ。もう2度とこんな人は現れないかもしれない、それほどの稀代のスケーターであり表現者である羽生くんを好きになって、リアルタイムで応援できるなんて。こんな幸運ってないよね。やっぱり私は羽生くんのスケートが好き。だから、北京オリンピックに出てくれてありがとう、応援させてくれてありがとう。そういう気持ちでいっぱいです。

 

 

 

この先、羽生くんがどんな道を選ぶのか、それは分からない。

本当はね、もう1度「ロンカプ」を試合で見たいなって思ってたりはする。あの美しいプログラム。まだ2回しか披露してないし、北京では”穴”が・・・。あの穴だけは悔やまれるけど、あれがなければ銀メダルだったろうことを考えると、これも神様の意志だったのか。。。

アイスショーでもいいんだけど、出来れば試合のあの緊張感の中で、もう1度見たいなって。3A3Loとか4Fも見てみたいな、なんて。

 

でもね。現役を続けることがどれほど大変か、どれほどのものを犠牲にしてきたか。そしてISUやJSFに不当に侮辱され続けてきたこの数年間を考えると、気安く続けて欲しいとはとても言えない。だから、気が向いたら、くらいで。

 

羽生くん自身、次にどうするかを決めるには時間が必要だろうしね。

隔離もなくなって海外も行きやすくなったから、クリケに一度戻ってもいいかも。みんな、待ってるよ。この状況下で拠点を戻さないのは感染リスクを避けるためと、多分ご家族のことを考えてなのかなって気がしてるけど。やむを得ない事情からだったけど、ようやく普通に暮らせるようになった家族を自分のスケートのために引き離したくない気持ちもあるんじゃないかな、なんて。分かんないけど。そうだったとしても、短期間ならいいんじゃないかしら。

 

 

この大会で羽生くんは、フィールドはどうあれ、自分がやりたいことが見えたんじゃないかなって思う。羽生くんは”自分が極めたい羽生結弦のフィギュアスケート”と”ISUが求める今のフィギュアスケート”を別物と定義したよね、この大会で。だからこれからは自分のために、自分の滑りたいスケートを自由に滑って欲しいな。
 

もうこれ以上、辛い思いはしないで幸せになって欲しい。笑顔でいて欲しい。試練はもう十分。この出来事には意味があったのだと、無駄じゃなかったんだと、いつか目に見える形で羽生くんが感じられますように。

 

そしてこれからは、たくさんの幸せに包まれますように。

羽生くんの健康と幸せを何より祈ってます。