ブライアンズタイムの歴史について(前編) | ブライアンズタイムの血を受け継ぎし者

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アメリカ 競馬 ブライアンズタイムとは…アメリカ合衆国出身の元・競走馬&種牡馬である。

1985年5月28日、アメリカ合衆国ケンタッキー州ら辺にあるダービーダンファームにおいて

父ロベルト×母ケリーズデイ(母父グロースターク)なんていう血統で、この世に生を受ける。

デビュー戦は1987年8月30日のサラトガ競馬場ダート1200mで、普通に5着入線した。

翌年3月にGⅠフロリダダービーを差し切って勝利した後、米クラシック三冠にフル参戦し、

ケンタッキーダービー6着→プリークネスS2着→ベルモントS3着と…普通に好走した。

で、、最終的に 21戦5勝(GⅠ2勝)の成績を残し、1989年8月のレースを最後に引退した。

キャリア 21戦中19戦がダートで、最後の2戦だけ芝レース使って5着,3着だった。

尚、同期のライバル馬にはフォーティナイナー、シーキングザゴールド…ら辺の連中もいた。

 

日本馬そのブライアンズタイムが日本で種牡馬として仕事を開始したのは1990年からのこと。

北海道新冠の早田牧場が発起人となり、シンジケート・ブライアンズタイム会が発足された。

当初の予定では……アメリカ芝GⅠ3勝&BCターフ2着&アーリントンミリオン3着などの

実績を誇り、1988年エクリプス賞・最優秀芝牡馬にも選出されたサンシャインフォーエヴァー

とかいう馬が購入される予定だったが、、金銭面で折り合いがつかず、普通に交渉決裂した。

その代わりに!!サンシャインフォーエヴァーの従兄弟であり尚且つ全く同じ血統構成だった

ブライアンズタイムに白羽の矢が立てられ、代替購入されて来日する次第になったわけだ。

実際問題、サンシャインフォーエヴァーは種牡馬として何の活躍馬も輩出しなかったんで、、

もし早田牧場の当初の目論見通りブライアンズタイムではなくサンシャインフォーエヴァーの

方が購入されてたとしたら、ナリタブライアンサニーブライアン……といった名馬の名前も

ナリタフォーエバーだとかサニーサンシャイン……みたいな感じになって、日本競馬の歴史も

全然違うモンになってたのだろう。そう考えると、この代替購入は奇跡的な偶然と言うべきか

いささか運命的なモンを感じずにはいられんわな。

そのブライアンズタイムは初年度産駒からいきなり三冠馬ナリタブライアン(GⅠ5勝)を輩出。

2年目にはGⅠ4勝馬・マヤノトップガンを輩出した。4年目には皐月賞&ダービーで産駒が

ワンツーフィニッシュを決め、年末にはシルクジャスティスが有馬記念で普通に楽勝した。

結果的に種牡馬デビューから5年で2頭の年度代表馬、牡牝クラシック制覇者5頭、有馬記念

制覇者3頭を輩出し、トータルでJRA・GⅠ16勝ていう上々のスタートを切ることに成功。

また、胴が詰まり気味のコンパクトな体型、クビを上手く使って走る重心の低い走行フォーム、

GⅠとか大舞台での勝負強さ…等といった点は主要産駒の特徴みたいなモンだった。。

結果的に1993年の朝日杯3歳Sナリタブライアン1着に端を発し、2012年のエリザベス女王杯

レインボーダリア1着…辺りに至るまで、総勢14頭くらいのJRA・GⅠホース(地方競馬では

GⅠ6勝馬・フリオーソら辺の馬らが活躍)を直仔の産駒として輩出した後、2013年4月4日に

享年28歳っていう…人間で言えば110歳を超える程のとんでもない大往生の末に他界した。

 

 

 

※当ブログでは、ブライアンズタイムとその後継種牡馬を赤茶色表記とさせて頂いております。