不安には二つある。
一つ目の不安は誰もが持っている。
日々生活して行くうえで
普通にでてくる不安。
出てきては去っていく、流れる雲と一緒。
もう一つの種類の不安は
得体のしれない物で
常に根底にありその人を揺さぶる。
この不安を持っている人は
そこからやっと、
一つ目の不安は誰もが持っている。
日々生活して行くうえで
普通にでてくる不安。
出てきては去っていく、流れる雲と一緒。
もう一つの種類の不安は
持っていない人もいる。
得体のしれない物で
常に根底にありその人を揺さぶる。
この不安を持っている人は
自分の人生を歩けない。
この不安から逃げて逃げて逃げるだけでいつも精いっぱいだから。
逃げるのをやめて向き合う時
それは死の恐怖と向き合うのに匹敵するほどの戦い。
それはいろいろな仮面をつけて現れる
お金の不安として
将来の不安として
生死の不安として
子供の不安として
この不安の感情と向き合っていくうちに
お金が理由の不安ではないと気づき
子供のせいの不安ではないと
どんどん気づいていく
この不安は
この不安から逃げて逃げて逃げるだけでいつも精いっぱいだから。
逃げるのをやめて向き合う時
それは死の恐怖と向き合うのに匹敵するほどの戦い。
それはいろいろな仮面をつけて現れる
お金の不安として
将来の不安として
生死の不安として
子供の不安として
この不安の感情と向き合っていくうちに
お金が理由の不安ではないと気づき
子供のせいの不安ではないと
どんどん気づいていく
この不安は
何か外からもたらされるものが原因ではなく
自分の中の隠された大きな不安がただあるだけだと気づいていく。
そうすると
自分は
不安に飲み込まれるだけの存在ではなく、
不安を起こしている
自分の中の隠された大きな不安がただあるだけだと気づいていく。
そうすると
自分は
不安に飲み込まれるだけの存在ではなく、
不安を起こしている
大きな存在でもあるのだと実感してくる。
そうなってくると
大きな不安が襲ってきても
飲み込まれても
揺さぶられてもそれは一時的で
実際には大丈夫な事を知っている。
そうなってくると
大きな不安が襲ってきても
飲み込まれても
揺さぶられてもそれは一時的で
実際には大丈夫な事を知っている。
得体の知れない二つ目の不安はきえている。
流れる雲をただ見てるだけ
そこからやっと、
自分の歩く方向へ歩き始められる。