1番遠い記憶はなぁに?

 

 

幼稚園の記憶?

 

 

もっと前?

 

 

私は

妹が生まれる前の記憶が2つある。

 

 

両方の手を父と母それぞれに繋いでもらい

 

 

1.2.3! で宙に浮かせてもらう遊び。

 

 

遊び?移動?

 

 

そこに住んでいたのは妹が生まれる前だから2歳6ヶ月前の記憶ってことね。

 

 

もう一つもきっと同じ頃。

 

 

キッチンでお引越しの準備をしている。

 

 

食器を新聞紙で包み段ボールに詰めていた。

 

 

どちらも母は笑っていて私も幸せな気分だった。

 

 

母は23歳で県外から嫁ぎその年に私を産んだ。

 

 

私が2歳だったとして…25歳なのね。母の顔や姿は覚えていない。

 

 

 

 

 

今はすっかり忘れたそうだが

息子には体内記憶があった。

 

 

お母さんが食べているものは全部わかった。

らしい。

 

 

なんでわかるの?って聞いたら

なんで?わかるに決まってるって答えた。

 

 

誰にも内緒で歌って聴かせていた

私が作詞作曲した歌を

2歳の時に水浴びをしながら歌っていた。

 

 

聞いたのは私の母。

 

 

あの子変な歌歌ってる。聞いたことない歌。

って言うから

どんな歌?って聞くと

まさにその曲だった。

 

 

私はその後も一度もその曲を人に聞かせたことはない。今でも歌えるよ。

切迫早産で生まれそうになったお腹のなかの息子に『まだ生まれてきちゃダメだよ、頑張れよ』っていう内容の歌だった。

 

 

彼はお腹に入る前のことも覚えていて

お腹に入る前のことを覚えている子供達が言うこととおんなじように『自分でお母さんを選んで来た』と言った。

 

 

それは私と言い争いをしている時だった。

幼稚園か小学校の1-2年生だったと思う。

 

 

息子『こんなことならお母さんをえらばなければよかったよ!!!』

 

 

あ、生まれる前のことを言ってる

とわかったから

喧嘩を続けながらも一瞬冷静になり話を続けた。

 

 

私『なんでお母さんを選んだの?』

 

 

息子『優しそうだったからだよ!!なのに全然優しくないじゃん!!!』

 

 

私『自分でえらんだんでしょ!!!じゃあ、優しそうな人じゃなくて本当に優しい人を選べばよかったじゃん!!!』

 

 

それまで戦闘態勢だった息子が

急にトーンダウン。

 

 

そしてこう言ったの。

『お母さん、それは会ってみないとわからんのよ。』

 

 

可愛いとか

優しそうとか

寂しそう

わかるらしい。

 

 

でも本当に優しいかどうかは会ってみないと分かんないんだって。

 

 

私『それは…残念だったね』

 

 

喧嘩はそこで終わったよね。

本当に残念そうな息子を見てなんだかごめんね、と思った。

 

 





お空の上から見ているらしい。

 

 

そしてあのお母さんにしようって決めるらしい。

 

 

テレビのモニターのようなものに次から次へとお母さんが映るって言ってる子もいるね。

 

 

そしてみんないうのが

滑り台みたいなもので降りてきてお腹の中に入るんだってよ。

 

 

選んで来るんだって。

 

 

あたし

ちゃーんと

受精や着床のしくみも勉強したし

 

 

小中学生にそんな講義もしてるけど

 

 

 

 

自分で選んで生まれてくる説

 

 

これ信じてるんだ。

 

 

 

 

 

 

あ、そうそう。

 

 

この話をすると必ず

 

 

悲しい思いをする人がいる。

 

 

子供がいない人生を歩んでいる人。

 

 

ほしいと願ったのに

子供との生活をしなかった人たち。

 

 

あのね

 

 

選ばれなかったわけではないらしいよ。

 

 

子供が

あのお母さんにしたいです

って言っても

 

 

神様が

行けませんっていうこともあるんだって。

 

 

夫婦仲良く生きる人生を

考えているのかしらね。