宮沢賢治 「雨ニモマケズ」


「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ  風ニモマケズ 雪ニモ  夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲ  モチ 慾ハナク  決シテ瞋(イカ)ラズ

イツモシズカニワラッテイル 一日ニ玄米四合ト  味噌ト

少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ  入レズニ ヨク  ミキキシ  ワカリ

ソシテ  ワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萱ブキノ  小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモ  アレバ

行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ

行ッテ  ソノ  稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ  死ニソウナヒトアレバ

行ッテ  コワガラナクテモイヽトイヒ 北ニ  ケンクヮヤ  ソショウガアレバ

ツマラナイカラ  ヤメロトイヒ ヒドリノトキハ  ナミダヲナガシ

サムサノナツハ  オロオロアルキ

ミンナニ  デクノボウト  ヨバレ

ホメラレモセズ  クニモサレズ

ソイウイウモノニ  ワタシハ  ナリタイ

「雨にも負けず」

雨にも負けず、風にも負けず 雪にも、夏の暑さにも負けぬ、

丈夫な体をもち 慾はなく、決して怒らず、

いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と、味噌と、

少しの野菜を食べ あらゆることを、

自分を勘定に入れずに よく見聞きし、分かり、

そして忘れず 野原の、松の林の陰の、

小さな、萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば、

行って看病してやり 西に疲れた母あれば、

行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば、

行って、怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば、

つまらないからやめろと言い 日照りの時は涙を流し、

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに、木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ

褒(ほ)められもせず、苦にもされず

そういうものに、私はなりたい
「雨にもマケズ」は、宮沢賢治の他の詩集や童話の文言に比べると、あまりにも表現が普通で、わかりやすく、賢治らしいすごさを感じさせない気がします。しかし、詩とは、心を表現した短い文章のことだとすると、これもまた詩であることに変わりはないと思います。手帳に書き留めてあったというこの詩は、おそらく文学的な詩として書いたというより、自身への戒めとして書いたのではないかという気がします。自分が詩(詞)を書くと、こんな感じの言葉になることが多いので、私としては親近感を覚える詩です。私は学生の頃、この詩の全篇を暗唱したことがありました。その後いつしか口にすることがなくなっていたので、部分的には少々忘れていましたが、何十年かたった今でも、ちょっと読み返すとほとんど諳(そら)んずることができます。 若かりしころ蓄えた財産の1つといえるでしょうか。 07/03/29
「雨にもマケズ」のモデル 大津キリスト教会のホームページにリンク
賢治と同じ岩手県花巻市の生まれで斉藤宗次郎という人がいて、その人はクリスチャンでしたが、その人の生き様をみて、賢治はこの詩を書いたと説明してあります。
ここには記載がありませんが、斉藤宗次郎は内村鑑三の忠実な弟子だったようです。(インターネット・フリー辞典「Wikipedia」より 雨にも負けず 斉藤宗次郎)
 ~仕事を離れて~ > 平 和 作成日 07/03/29   更新日