鷹場.........
“鷹狩り”の鷹場...三鷹♡
「三鷹」という地名は、明治22(1889)年に「三鷹村」が誕生した時に始まるもので、
野方領、世田谷領、府中領の三領にまたがるかつての鷹場の村々が集まったことに由来していると言われています。
鷹狩りとは、鷹をあやつって、小動物や鳥を狩ることです。三鷹市教育委員会の資料によれば、
三鷹市域が鷹場となったのは、江戸時代のことで、『徳川實紀(じっき)』という書物には、
三代将軍の徳川家光が牟礼で鷹狩りを行い、その景色の美しさを褒めたことが記載されており、
『武蔵名勝図会』には寛永・正保の頃に井の頭池の西に鷹狩りに訪れたことが記されているとのことです。
「井の頭」という地名も、家光が鷹狩りに来た際、湧水を見て命名したという説もあります。
八代将軍徳川吉宗の頃には、江戸城から五里(約20km)の範囲を
御拳場(おこぶしば)と呼ばれる将軍家の鷹場として、六つの筋に分けて再編管理し、
外側には徳川御三家などの鷹場があらためて設置されたということです。
そして、三鷹市域は、中野筋の御拳場と、尾張徳川家の鷹場に相当するということで、
鷹場を示す杭が、将軍家の鷹場と尾張徳川家の境界に建てられていたと推測されており、
そのうちの五本が現存しています。
三鷹市役所の庁舎南側の雑木林の中にある「鷹場標石」はその一つ。
これは、市内大沢にある長久寺が保管していた一基です。
私たちは、歴史を紡いできた多くの先人たちの有形無形の文化財と共に、今の時を生きています。
三鷹市内随所に文化財が残され、私たちにメッセージを送っています。