こんばんは。
今日は日々経験することに対しての感情についてです。
タイトルが長過ぎて「キミイツ」みたいになりました
(↑知らない方のために...「君といつまでも」という面白い食パン屋さんの名前)
以前、面白い本を読んだことがあります。
チベットに住むまだ小さいある女の子のお母さんが亡くなったそうな...
ちなみに皆さんだったら、この子に対してなんと言ってあげたいでしょうか?
まず、どうしてあげようと思いますか?
次に進む前にぜひ考えてみてください。
寂しいよね。いっぱい泣いてもいいんだよ。
そばにいるからね...
などでしょうか?
実は、お母さんのお葬式の日、
その女の子は嬉しそうに喜んでいたそうです。
それは、死とは「新しい場所に行って幸せになること」だと母から教わっていたからです。
お母さんは素晴らしい場所に行った。お母さんは幸せになる。
そして、自分はまた必ず会える。そう教わっていたのです。
死とは、別離ではない。
死とは、移行にすぎない。
そのように信じていたのです。
私たちは出来事に対して文化的な意味を与えがちです。
何かが起きたらそう反応しないとおかしな人、失礼な人だと非難されることもあるから、
というのもあるからかもしれません。
何かが起きると、ほとんどの人が自動的に反応します。
けれど、怖い、腹たつ、許せない!これも何かが起きたからそう感じるのではなく、
そこに与えた意味によってそう反応しているに過ぎないのです。
少し前に、あるインフルエンサーの話を聞きました。
アンチが酷い書き込みをしてくるのだとか。
そんな時に「私に注目してエネルギーをくれてサンキュー!!」って思うようにしたら
気にならなくなったと言っていました。
確かに、なぜ非難されたら「エネルギーを奪われる」って決めてしまっているのでしょうか。
単なる嫉妬で「羨ましい!」と憧れられているに過ぎないのに。
「あなたに憧れています」と言われエネルギーもらっていて、サンキューなのです。
多くの人は、ダメ出しされたり、批判されたり、意味不明な攻撃をされたりしたら
エネルギーバンパイアにやられた!とかって自動的に思い、
さらには「ううう...」って本当胃が痛んだり、落ち込んだりしますよね。
でも、よく考えるとそれは自動的なプログラムによって勝手に反応しているに過ぎません。
なぜ他人から批判されたら、自分の価値が減るように思うのでしょう。
なぜ他人から攻撃されたら、自分という存在に傷がついてしまうのでしょう。
なぜダメ出しをされたら、自信を失ってしまうのでしょう。
もともと、自分の価値や存在を疑い、自分に自信がなかったからではないでしょうか?
そこに結びつけているのは、脳の自動プログラミングにすぎないのです。
別に批判されても、邪魔されても、ハラスメントされても、
自分ってダメなんだ...って思う必要はないんですよね。
英語で有名な言葉があります。
Hurt people hurt people.
(傷ついた人が人を傷つける)
批判し攻撃し他人を貶める人は、自分自身をダメだと思っていて他人の良いところが見えない苦しんでいる人なんだ...って本当のことを知っていればいいのです。
実はそちらの方がよほど自然な考え方ですよね。
パワーハラスメントされたら心身症状が出てしまうのも、
自分がダメだから、至らないから、こんな事されるのだとどこかで思っていて、
罪悪感を持っていたり、自己攻撃していたり、
このあと会社をやめてしまったらお金も失いどうやって生きていこう...と
不安だからかもしれません。
ハラスメントする人、攻撃する人は自然に考えたら「困っている人」に決まっていませんか?
幸せな人、自分自身や自分の生活に満足している人は愛の波動にいるため
他の人を攻撃しようとはそもそも思わないのです。
他人を傷つけたり、貶めたり、挑発する人は、人から愛をもらわないと自己愛が欠落していてどうにもならない状態なのです。
自分を認められなくて困っている人、自分に自信が持てなくて困っている人が
素晴らしいあなたをみて、
「あなたのようになりたいのになれないからあなたがダメな私のようになれ!」と引き下げようとしているだけです。
「私もあなたのようになりたいのに、この程度の私じゃあなたのようになれなくて悔しい!羨ましい!」と言っているのです。
毒親も子供を愛するほどの余裕がなく、自分の方が愛が欲しくて「愛をくれー!」って叫んでいたわけです。
虐待しながら「私は愛に値しない!愛が足りない!愛が欲しい!」と心の中で叫んでいたのです。
「あなたがダメな子だからこうなるんだ!」と言いながらも、本心は「自分がダメな人間」だと罪悪感を持ってその痛みに苦しんでいるだけなのです。
傷つくのは、誤ったことを本当だと信じているからです。
わざわざ批判してくる人に出くわしたら、
認められたくて必死で愛が欲しい人なのだと、気がつけばいいだけです。
支配的な人に出くわしたら、ご丁寧にパワーのない人に支配されてしまうのではなく、
無力感に苦しんでいる人なんだと、気がつけばいいだけです。
自分はリーダシップや人を導く力ない...って自己不信で苦しんでいる人なのです。
ネガティブなものを投げつけてくる人は、
そのネガティブなものと真逆のものを自分にくれー!って言っているのです。
傷つく必要が全くないんですね。そこに本当の意味のパワーなんてありません。
傷つくことを選ぶか、選ばないかは自分で選べます。
選べるのなら、批判されたら「誉められている」のだと気がつく方を選んだ方が得です。
貶めようとされたり、妨害されたりしたら、「私はあなたに負けている、自分の能力では勝てないから邪魔することにします」と負けを認めているだけです。
なので、こうした人たちに思い知らせようとしたり、やり返したりする必要はありません。
本人たちが一番、自分がどんな立ち位置にいるかわかっていて、すでに苦しんでいるからです。
これはポジティブに考えよう!とはちょっと違います。
本当に起きていることを見つめるということです。
別にそう反応しなくてもいいということに気がつくということです。
そして、これは共感が足りないとか、痛みを無視するということではないので、
もし、批判されて苦しんでいる人がいたら、それに寄り添う方が良いと思いますし、
わざわざ頼まれてもいないのに「悲しむ必要はない!」とかいう必要もありません。
悲しんでいたら、普通に慰めてあげれば良いと思いますし、
彼らが外側からの影響によって失ったと思ったものは、何も失っていないと教えてあげると良いと思います。
蛇足ですが、他の人の悲しみに共感できない人に辛い思いをした方も多いかもしれません。
気持ちを理解してもらえなくて悲しい時、許せない時、あると思います。
しかし、その相手自身も愛を欲しがっていて、他の人に与えられる愛がない、
つまり、自分が十分な存在であることを一時的に忘れてしまっている状態なのです。
気持ちを理解できない人は気持ちに寄り添ってもらった経験がないか、
今は、他の人の気持ちを理解するほどの余裕がないのです。
どれだけ大人であっても、いわゆる偉い人であってもみんな愛が欲しい人ばかりなのです。
自分自身のことになった場合はしっかり起きている物事を見れば
自分は外側の何事にも損なわれるような存在ではない、
つまり「神」(完璧な神の子)であり「全て」なのだからということに気がついていられます。