年明け早々、知り合いから紹介された瓦屋さんにお願いして、
実家の屋根のメンテナンスをしてきました。
母の存命中に何度も怪しげな屋根の修理業者が訪れて、
屋根の上に登っては写真を撮り、このままでは雨漏りがひどくなるし、
瓦が落下して危険だと脅かされていたのです。
母は認知症が進み、判断能力がなくなっていたので、
業者が写真を見せて修理を勧めるたびにパニックになって、
「いますぐ修理をしないとたいへんだ!」 と電話をかけてきました。
母はポチ袋にお札を入れたものをいくつもバッグに入れていて、
ちょっと親切にしてもらうと、誰彼かまわずそれをあげてしまいました。
母は銀行口座の管理も現金の管理もできなくなっていましたから、
生活費がなくなると一緒に銀行に行って必要な現金を引き出して渡していたのですが、
ポチ袋に入れた現金をばらまいてしまうので、
あっという間にお金がなくなってしまうのです。
当初は1万円札のまま預けていましたが、
途中からは一計を案じ、全部1000円札に両替をして渡すようになりました。
屋根の修理業者が訪れたのはまだ1万円札のころのことで、
屋根に上がって写真を撮り、アルバムにして母に渡すときに、
ポチ袋をもらって帰ったのだと思います。
業者の連作先として手書きの電話番号のメモがはさんであったので、
そこにお断りの電話をしたのですが、
1カ月後、まったく同じ業者が来訪し(それも人数を増やして)、同じように写真を撮り、
同じようにアルバムにして母に渡し、またお小遣いをせしめて帰りました。
業者がくるたびに母からは、
「屋根をなおさないといけない」 と矢のような電話がかかってきましたが、
それほど蓄えのない認知症の母が、これから先、
安心して生活できるだけの預金は残しておかなければいけないので、
屋根の修理に大きなお金を使うわけにはいきません。
玄関のドアに「屋根の修理をする予定はありません」 と書いた貼り紙をして、
母から電話が来るたびに 「もうちょっとまっててね」 とごまかしながらやりすごしてきました。
母が亡くなり、無人となった家が残されましたが、
家を処分するにしても、家にはたくさんの思い出の品が、
まるで倉庫のような状況で山になっています。
それを整理するだけでもかなりの時間とエネルギーが必要になるので、
当面、姉に名義を変更して維持することになったのですが、
無人となった家で瓦が落下して通行人にけがをさせたりしたら一大事になるので、
思い切って修理をしようということになりました。
ところが、ネットで屋根の修理を調べてみると、
200~300万くらいはかかってしまいそうで、途方に暮れてしまいました。
どうしたものかと思案していたとき、ふと思いついたのが、
事務所を借りるのにお世話になっている不動産屋さんでした。
不動産屋さんはアパートの小修繕をすることが多いので、
ひょっとしたら業者さんをご存知かもしれないと思い当たったのです。
お店に行って相談してみると、
「同じ商店会の知人に瓦屋さんがいるから、ちょっと電話してあげよう」 と言ってくれて、
その瓦屋さんが年明け早々に一緒に見に行ってくださることになったのです。
屋根の修理業者ではなく瓦を扱っている方なので、瓦も原価です。
昨日はその約束の日で、事務所にも近いお店に出向くと、
軽トラックにはしごや何枚かの瓦を積んで待っていてくださいました。
ざっと見て、なおせそうならその場で施工してしまえるから、ということのようでした。
瓦屋さんは家の前の道からなが~~いはしごを二階の屋根の上までかけて、
ダイレクトに屋根に登っていき、しらばくあちこち写真を撮ると、
真っ二つに割れた瓦を1枚だけ担いで降りてきました。
真新しい割れ痕で、真ん中あたりに鋭いものでついたような傷が2カ所ありました。
悪徳業者が意図的に割ったのかもしれません。
瓦屋さんは割れた瓦をはずしたところも写真に撮って見せてくれたのですが、
「築40年と言うけれど、この屋根の下地処理は今でも使っている工法で、
桟木も普通の4倍の太さのものが使われていてびくともしていない」 と驚いていました。
そう言えば、父ががんで亡くなるちょっと前に、残される家族が困らないように、
屋根を頑丈に補修しておくと言って、大規模な工事をしたことを思い出しました。
・・・と言っても、もう20年も前のことになります。
見た目は経年で薄汚れてはいますが、父はこういう日を見越して、
瓦屋さんが驚くほどの頑丈な屋根を残してくれたのです。
評価額は100万円そこそこの老朽家屋だけれど、
父の思い、そして家にいることにこだわった母の思いのつまった家だから、
もうちょっと、がんばって守っていかなければと思います。