2月の末に骨折で入院した母は、2カ月後の退院を機に
介護老人保健施設(老健)に入所しました。
認知症を発症してから4年、なんとか一人暮らしを続けてきましたが、
車いすになっては、もうそれも難しいと判断して、
入院中に施設を探したのです。
都内の施設は待機者数が多すぎて入所は難しく、
お隣の埼玉県内の施設への入所となりました。
予定では、この老健でリハビリをしながら、
系列の特養ホームへの入所を待機するという筋書きでした。
母に会いに行くには片道2時間近くかかります。
ここからバスに乗って最寄りの駅まで行き、
そこから中距離電車に乗り継ぎ、
到着した駅からタクシーに乗ればさほど時間はかかりませんが、
度々出かけるにはお財布がつらいので、2キロの道を歩いていました。
都内と違って高い建物があまりないので空が広くて、
畑には鷺の姿が見られたりするし、カエルやヒバリの声も聞こえます。
途中に農産物の直売所などもあって、
母の所に通うのも苦にはならなかったのですが、
入所して2カ月が過ぎ、施設での生活になじんできたころ、
母が高熱を出したと連絡が入りました。
翌日の早朝、午前中の診察に間に合うように母を迎えに行き、
老健の車で最寄りの総合病院まで運んでいただいたのですが、
半日かけて検査を行い、さらに点滴を受けて夕方近く、
ようやくドクターに呼ばれました。
母は肺炎を起こしており、敗血症も併発していて、
さらに口からあまりものを食べないために内臓の働きがほとんどなくなっているとのことで、
「このまま入院してください」 と言われてしまいました。
慌ただしく入院の手続きをし、身の回りの最低限の品を買い集めてから、
ベッドサイドに戻ると、母はベッドに縛られていました・・・
どういうわけか母は点滴が天敵のようで \(*`∧´)/
ちょっと目を離すとあっという間に針を引き抜いてしまうのです。
午後半日だけでも3回は引き抜いているので、
やむを得ぬ措置とはいえ、なんとも痛々しいものでした (ノ_-。)
病院からの帰り道、褥瘡予防のためのクッションをさがして買い求め、
翌日それをかかえて病院に行きました。
母はまだ点滴を受けていましたが、熱も下がったようです。
「ばあちゃん、おはよう! お熱下がってよかったね」 と声をかけると、
いきなり 「ばあちゃんって誰よ!」 Σ(゚д゚;)
あわてて 「○子さん、おはよう!」 と言いなおしました ((゚m゚;)
そういえば、いつからこの人を 「ばあちゃん」 と呼んでいるのでしょう?
私には子供がいないので、姉のところに子供ができたころからだったでしょうか?
思い返してみると、「おかあさん」 と呼んでいたという記憶もかなり曖昧です。
いつの間にか、当たり前のように 「ばあちゃん」 になっていたのですが、
「ばあちゃんって誰よ!」 のリアクションは想定外でした。
ドクターの話では記憶を司る海馬の萎縮が顕著で、
認知症がかなり進行してはいますが、
長期記憶にかかわる前頭葉はまだある程度維持しているということですから、
最もなじんでいる自分の名前を呼ばれるのが、
彼女にとっては一番認識しやすいことなのかもしれません。
それにこの人は 「おかあさん」 でも 「ばあちゃん」 でもなく、
ずっと 「○子」 という固有名詞をもって生きてきているのです。
漫然と 「ばあちゃん」 と呼んでいたのは NG だと気づかされました。
ごめんね、あなたの人格を尊重して、これからはちゃんとお名前で呼びましょうね。